『鮮血覚醒』
雪太達がこの世界に来てから、早くも一週間が過ぎた。
皆、徐々に環境にも慣れ始め、毎日の訓練に努めた。そんな中、雪太のいる第六線だけが、他の部隊についていけず、右往左往していた。
ある日、雪太は春也からこんな話を聞いた。この世界は人間界と表裏一体になっており、大和帝國のすぐ下に日本があるのだという。大和帝國の地図を見ると、日本が左右反転したような形をしていたらしい。
つまり、この帝國の真下に日本があるのだ。
何故、そのような話を春也が知っているのかというと、ここ毎日、ツキヨミの書斎に忍び込んでは、様々な文献を漁っているのだという。その話が事実なら、この世界と人間界の重力は、逆向きに作用しているということになる。
それはさておき、この日も訓練が終わり、第六線メンバーは自分達の部屋に引き返した。しかし雪太だけが、その場に残って訓練を続けていた。雪太はあの試験で、一番の成果を出した。その結果、第六線のリーダーになることができたのだ。
しかし、それだけでは雪太は納得しなかった。弱さを克服することが、最初の関門だ。ツキヨミにも言われた通り、血を見ることのできない人間が、戦力になれるわけがない。
その日も一人で弓道場に残り、雪太は只管に訓練に勤しんだ。更に数時間すれば、流石に疲れが出てきたのか、少し眩暈を催した。それを見たアメノーシが、今日は休むように勧めてきたので、雪太は帰ることにした。
訓練を終え、第六線の部屋に戻る途中、雪太はウルフット家の前を通った。あの時以来だ。雪太はふと、足を止める。そこで、初めてスノーと出会った時のことを思い出した。あれから何度か会っているが、どうも可愛げがない。
また見つかる前に部屋に戻ろうと、雪太は再び歩き始めた。すると、後ろから声がかかる。
「す、すみません」
若い女性の声だった。振り返ると、庶民的な着物を身に纏った、侍女らしき女が立っている。その女は、怯えたような目で雪太を見つめてきている。
雪太もそれを不思議そうに見つめ返していると、その女はゆっくりと雪太のところに歩み寄ってきて、こう尋ねてきた。
「あの……。人間界から来られた方ですよね? 私、スノー様にお仕えしている、ウヅメと申します。今、スノー様を探しているのですが……」
ウヅメと名乗ったその女は、どうやらスノーに仕えている侍女らしい。ツキヨミから、ウルフット家は大和帝國を築いたイーザの子孫だと聞いていたから、一人ひとりにお付の者がついていても、なんら不思議ではない。
ウヅメは、モジモジとしながら気恥ずかしそうに頬を赤く染め、雪太を見つめている。
「あ、あの、すみません。急に、お呼び止めしてしまって。私、男の方と話すのにあまり慣れていなくて……。宜しければ、中で少し話しませんか?」
ウヅメが、屋敷を指しながら言った。雪太の今日の予定は、すべて終了している。そのため、帰ってもすることがない。雪太は、その話を承諾した。
その後、雪太は屋敷に上がった。応接間のような和室に案内され、ウヅメに茶を差し出される。ウヅメは雪太の前に座り、また恥ずかしそうに俯いている。雪太も、何を話してよいか分からずに少し気まずくなった。
すると、ようやくウヅメが話し始める。
「あ、あの……。先日は、誠に申し訳ありませんでした」
「先日?」
「はい。ツキヨミ様からお聞きしました。スノー様が、たいへん失礼な振る舞いをしたと。私のせいなのです」
ウヅメは、雪太にそう話した。
更に話を聞くと、ウヅメはスノーが生まれた時から、側に仕えているのだという。アマテルが引きこもってしまった後は、ずっと一人で身の回りの世話をしているらしい。
スノーの性格を思うと、雪太はウヅメが気の毒になった。
「それで……、今日も剣のお稽古があるのに、途中でいなくなってしまって……」
ウヅメが話し続けるのを聞き、尚更大変さが伝わってきた。それで、雪太にも探すのを手伝ってくれとでも言いたいのだろうか。しかしウヅメは、
「今日は、ありがとうございました。あなた様とお話ししていると、少し元気になりました。では、私はスノー様を探しにいって参ります」
と笑顔を見せ、頭を下げると部屋を出ていってしまったのだ。結局、雪太に悩みを話すだけで終わってしまった。雪太は少しウヅメを案じたが、部屋に戻ることにした。
屋敷を出て、雪太は森の中を歩いた。あの建物に帰るには、ここを通る他に道はない。すると、誰かに思いきり背中を蹴られた。雪太が振り返ると、そこには笑っているスノーの姿があった。
「お前、敵に不意を突かれたら死ぬぞ?」
スノーはまた、小馬鹿にしたように笑った。これは世話のかかる主だ、と雪太はまた、ウヅメを哀れに思った。
「さっき、ウヅメって人が探してたぞ。さっさと帰ってやれよ」
「そんなこと、なんでお前に言われないといけないんだ?」
「お前のこと、心配してたぞ。可哀想だと思わないのか?」
「ふん! 余計なお世話だ! おいらは、お前の言うことなんか絶対に聞かないからな!」
スノーは言い、向こうへ走っていってしまった。
心配してくれる人がいる。それがどれほど幸せなことか、スノーには分からないのだろうと雪太は思った。
個人を最も心配してくれるのは、やはりその親だ。しかし、雪太の両親はもうどこにもいない。もしかすると、母親のいないスノーも、同じ気持ちなのかもしれない。
(あいつも寂しいんだな……)
心の中でそんなことを呟きながら、雪太は部屋に帰っていった。
翌朝も、雪太を含む第六線は、訓練が行われる弓道場に足を運んだ。アメノーシが、
「みんな、弓の使い方はもう覚えたな。私は少し席を外すが、各々演習に励んでいてくれ」
と言い、その場から去っていった。それでも、サボろうとする者は一人としていない。第六線は少しでも訓練を積み、他の部隊に近付かないといけないのだ。
遠くからは、銃声のような音が聞こえる。山の向こうで、第一線や第二線が銃の扱いを習っているのだと雪太達は思った。無論、第六線は銃など触らせてももらえない。只管、矢を射る練習をしなくてはいけないのだ。
「他の子は、もう銃撃演習なんかやってるのね」
「この世界にも銃ってあったんだ……」
麻依と由佳が、羨ましそうに呟いている。それを見て、春也は皆を鼓舞した。
「まぁ、他の部隊を羨ましがってても、時間の無駄だよ。今は、俺達に与えられたことをきっちりと熟そう」
その言葉を聞き、皆は練習を開始する。正確に的に狙いを定め、そして矢を放つ。
雪太は、一人居残って練習していた成果が早くも出てきたのか、正確に的を射ることができた。
数時間が経過したが、アメノーシはまだ戻ってこない。五人はその間、汗だくになりながらも練習を続けていた。すると突然、視界が暗くなる。太陽が雲に隠れたのかと、皆は上を見上げた。そこには、巨大な鳥の姿があった。
それも、人間界に棲む鷹の何倍もの大きさだったのだ。巨大な鷹は、雪太達のすぐ真上をぐるぐる回っている。
そして突然、その鷹は急降下を始めたのだ。まるで、獲物を狙うかのように。そして、雪太達を襲ってきた。皆、咄嗟に身体ごと地面に伏せ、なんとかそれを躱し、急いで木の陰などに隠れた。一先ず、そこで皆は鷹が去るまで待機することにした。
すると雪太は向こうに、疲れたのか光河が寝ているのを発見した。
助けにいこうにも、鷹がいるので動けない。すると鷹はまた、物凄い勢いで下に突っ込んできた。多分、無防備な格好で寝ている光河を狙っているのだろう。雪太は我慢できず、飛び出した。しかし、間に合わなかったのだ。
目の前で鮮血が飛び出し、雪太はまた気分が悪くなった。目の前に、頭から血を流している光河が横たわっている。
雪太は弓矢を手に取ると、怒りのままに鷹目がけて構える。雪太が矢を放つと、それは見事に鷹に命中した。鷹は、頭に矢が刺さったまま、どこかへ飛び去ってしまった。
皆は、光河の周りに集まった。
「平城君、大丈夫かな……」
由佳が、心配そうに呟く。光河は嘴で右耳の上を攻撃されたらしく、そこから血が流れている。放っておけば、出血多量で命に関わってくる。どうにかして、止血しなければならない。その方法を、雪太は考えた。
「私、アメノーシさん呼んでくるね!」
由佳は、そう言って走っていった。それでも、アメノーシが戻ってくるのをただ待っているわけにもいかないだろう。麻依と春也が、タオルなどで必死に光河の頭を押さえる。しかし、やはり出血は止まらない。
「もういいよ……。どうせ俺、何もできないから……」
光河には意識があり、寝言のように呟いている。
「そんなこと言わないでよ! もうすぐ、アメノーシさんが戻ってきてくれるはずだから!」
「そうだよ、もう少しの辛抱だ」
麻依と春也が、必死に光河に声をかける。それを、何もできない雪太は立ち竦んだまま見ているしかなかった。やはり人の血を見ると、あの時の記憶が蘇ってきてしまう。このままでは、光河の命が危ない。そう思った時、予想外のことが起きた。
光河の身体が、突如として光り始めたのだ。頭を押さえていた二人も、驚きながらその様子を見ていた。しばらくして光が治ると、春也が異変に気付いた。
「あれ……? ねえ、傷、治ってない?」
よくよく見てみると、光河の傷口は塞がっている。そこで、ようやく由佳がアメノーシを連れて戻ってきた。
麻依が、二人に事情を説明すると、由佳も信じられないといった表情をした。しかし、その話を聞いたアメノーシだけが、冷静な顔で言うのだ。
「そうか……、君は早かったんだな」
何が早かったのか、アメノーシ以外のその場にいた全員が理解できなかった。
「これは……仏力だ」
アメノーシは五人に言った。「仏力」とは何なのか。そして何故、何もしていないのに光河の傷は治ったのか、雪太にも全く分からなかった。ただ、一つだけ分かったことがある。ツキヨミやアメノーシが、今まで自分達に隠していた秘密があるのだろう。