『傍若無人』
訓練初日。雪太達は、建物裏の広場に集められた。
訓練では、部隊ごとにメニュー分けされており、また時間も異なる。まるで学校の授業のようだ。その日、第六線の訓練は昼間に行われた。前に和服を着た男性の教官が立ち、声を張り上げる。
「初めまして、私はアメノーシという者だ。以後、お見知り置きを」
アメノーシという男は簡単な挨拶を述べた後、雪太達を見渡した。おそらく、どのくらいの能力が備わっているか観察しているのだろうと雪太は推測する。部隊編成は、それぞれの能力や資質を見極めた上で行っている。つまり、第六線は最も値の低かった者達の集まりなのだ。そんなことは分かっているはずだが、それでも一通り調べるのは、このアメノーシという男の律儀さを表している。
見終わると、アメノーシが簡潔に説明を施した。
「今から、簡単な能力検査を行う。まぁ、簡単に言えば、身体測定みたいなものだ。気軽な気持ちで臨んでもらったらいい」
今から、何をさせるつもりなのかと皆、互いの顔を見る。
そうしている間に、ゴツゴツとした岩山の前まで連れてこられた。一見して、木は一本も生えていない。
「今から、この山を登ってもらう。どのくらいで頂上まで辿り着けるのか、時間を計って測定する」
この男は簡単に言うが、どう考えても傾斜が六十度くらいはある。それを、走って登れとでも言うのだろうか。
最初の訓練の時点で絶望しか感じていないのは、おそらく雪太だけではない。他の四人も、なかなか登り始めようとしなかった。
「どうした。怖いのか? まったく、情けないなぁ。このままでは、他の部隊に更に差をつけられてしまうぞ?」
アメノーシは、呆れたように言う。それでも、皆は依然として固まっていた。雪太は体力はある方だが、他の四人が心配だ。
麻依は陸上部だが、平らな道しか走れないという欠点があり、由佳と春也に至っては全くと言っていいほど運動神経がない。
光河は、際どいところだ。家から学校へは歩いてきているので、体力には自信があると自慢しているらしいが、それでも徒歩五分圏内のため、体力は雪太とあまり差異がない。
「あ、ひとつ言い忘れていたが、これはリーダーを決める試験でもあるんだ。この試験で一番になれば、この部隊の隊長任命されることになる」
思い出したように、アメノーシが言った。それを聞いた瞬間、雪太はようやく動き出した。岩山に足をかけ、登り始めた。自分が率先していかなければならない。そんな心情が芽生えたのだろう。この部隊でトップに立てないような人間が、全体の一位になどなれるはずはないのだから。必ず一位になってやる、雪太は心の中でそう誓った。
それにしても、登り始めたまではよかったが、思ったより足場が悪く、うまく前に進めない。一歩間違えれば、転げ落ちてしまいそうだ。できるだけ前に体重をかけ、重い足をなんとか進めていく。
しばらく登ると、雪太は立ち止まって後ろを振り向いた。誰の姿も見えない。どうやら、差が開きすぎてしまったようだ。他の四人は、今頃どうしているのだろう。どちらにしろ、雪太でさえも厳しい状況なのだから、皆、ヒーヒー言っているに違いない。
雪太は一息つき、再び足元に視線を落として歩き進めようとした時、誰かの視線を感じた。しかし、周りを見渡しても誰の姿も見えない。同じ第六線のメンバーが、追いついてきたわけでもなさそうだ。気のせいかと思い、また歩き出そうとすると、今度は声がはっきりと聞こえた。
「お〜い! そんなところで何してんだー?」
その声は、前の方から聞こえた。雪太は顔を上げ、前を向くと、岩場に一本の木が立っている。そこに、人の姿が見える。よくよく見てみると、木の幹にスノーが座っている。
雪太は、その木に近付いた。そしてスノーを見上げると、今度は雪太から話しかけた。
「訓練だよ。お前の方こそ、そこで何やってんだ?」
「ここらは、おいらの縄張りなんだよ。アメノーシの奴、あれ程言ったのに、また訓練に使ったな」
「……お前、本当に女か?」
「あぁ、そうだよ。おいらの言うこと聞いてくれるんなら、お前を負ぶっていってやってもいいぞ?」
「結構」
雪太はそう言って断わると、スノーを無視して再び頂上を目指した。
「最弱の部隊に何ができるのかな〜」
後ろからは、またスノーの声。煽るスノーを雪太は気にも留めず、足を動かし続けた。好きに言えばいい。絶対に成果を出してみせる、と雪太は胸中にて固く誓ったのだ。
更に山を登ると、ようやく平らな地面が見える。そこには、すでにアメノーシがいて、腕を組みながらこちらを見ていた。
アメノーシは、一番で到着した雪太を称揚した。雪太がアメノーシに時間を尋ねると、午後四時間半ということらしい。気がつけば、日はすでに暮れかかっている。登っている時はあまり気にならなかったが、言われてみればかなりの距離だった。岩山といっても、小さい山くらいはあるのだ。
それから一時間ほどして、光河や麻依が辿り着き、日が完全に暮れた頃、春也と由佳がなんとか辿り着いた。
初日から、過酷な試練だった。皆は、がっくりと膝を落として荒い息を吐いている。
しかも、アメノーシが言うには、明日からも試験は続くのだという。これは試験というよりも、拷問ではないかとその場にいる誰しもが思ったことだろう。そんな皆の顔を見ても、アメノーシは予定を変えようという表情はせず、「今晩はしっかりと休息をとるように」とだけ言い、帰ってしまった。
解散後も、誰も立ち上がろうとしなかった。皆、疲れ果てて動けないのだ。すると由佳がついに我慢できなくなったのか、不満をぶちまける。
「何が試験よ! こんなの、ゴーヤを生で食べるよりきついよ!」
由佳らしい発言だが、まったくその通りだと春也と麻依も頷いた。
「こんなの、体が幾つあっても保たないね」
「いくらなんでも、無茶過ぎじゃない?」
由佳は、「もう嫌っ!」と叫んで泣き始める。光河に至っては、その場で丸くなって眠ってしまっている。多少の予想はしていたが、初日からここまで悲惨な訓練だとは思わなかった。まさに、「地獄」といっても差し支えないだろう。
雪太は、初めてこの試練の過酷さを思い知った。それでも、逃げようという考えは出てこなかった。ツキヨミと約束したのだ。必ずこの国に、再び平和をもたらすのだと。
翌日。雪太達はアメノーシによって、ある場所に連れてこられた。浅い森を抜けると、神社のような建物があり、その裏には広い庭がある。庭を挟んで向こうの塀には、幾つもの的があった。ここは、一種の弓道場のようだった。
「今日は、ここで矢を射る練習をしてもらう。戦闘で最も重要なスキルだからな。心して、臨んでくれ。それにしても、一人足りないような……」
アメノーシはそう言いながら、困惑したようにキョロキョロと周りを見回す。そこには、雪太含め四人しかいなかったのだ。
「あれ? 平城君いなくない?」
由佳も気付いたようだ。光河の姿が、どこにも見えない。
「あぁ、平城君なら寝てたよ。起こしても、起きそうになかったからね」
春也が平気な顔で言うので、雪太は呆れ返った。普通なら、引きずってでも連れてくると思うが、これが春也の良心なのかもしれない。天然というか、昔からどこか抜けたところがあるのが春也だった。
「困ったなぁ。全員揃ってないと、ツキヨミ様に怒られちまう……」
アメノーシが言うので、雪太が手を挙げる。
「あの……、俺が連れて来ましょうか?」
「あ……、うん。頼むよ。その代わり、できるだけ早く戻ってきてくれ。では、残りの皆には今から弓と矢を渡す」
アメノーシは、雪太以外の三人に弓矢を配り始めた。雪太は走ってそこを出ると、駆け足で第六線の部屋まで戻ることにした。
部屋に戻るには、また森を抜けなければならない。雪太は走ったが、昨日の疲れがまだ残っているせいか、思うように速く走れない。するとまた、聞き覚えのある声が聞こえた。
「アメノーシの訓練、大変だろ?」
雪太は足を止め、振り返ると一本の樹の上にスノーが立っている。
「……またお前か」
「またって何だよ! お前のこと、心配してやってるんだぞ!」
「余計なお世話だ。それより、姉君の警護はもういいのか?」
「おいらは、遠くの音と近くの音を聞き分けることができる。だから、姉上の部屋に誰かが近付けば、すぐに分かるんだ」
スノーは自慢気に言う。本当にそのようなことがあるのかと、雪太は疑った。それならば試してやろうと思い立ち、スノーにこう質問してみる。
「じゃあ、俺が何故この道を通ったと思う?」
スノーの言ったことが事実なら、先ほどのアメノーシとの会話も聞こえていたはずだ。スノーが何と答えるのか、雪太は楽しみに待った。すると、スノーが言う。
「仲間がまだ部屋で寝てて、今から起こしに行くんだろ?」
……合っている。どうやら本当のようだ。
スノーが雪太の前に降りてくると、まじまじと雪太の顔を見上げてくる。緑色の眼が、太陽の光によって白く輝く。
「……お前、おいらと力比べしない?」
スノーが出したその提案は、何かを企んでいるようにも聞こえた。
主人公は最強ではない(弱いとは言っていない)。