『新たな誓い』
「カンパ~イ!」
男女の明るい声が、高らかに天井に響き渡った。
第六線の部屋で、五人が車座になり、容器いっぱいに満たした茶を啜っていた。
「それでは、改めて、磯城野さんの第一戦突破と平城君の第二戦突破を祝って、もう一度!」
春也が陽気に湯呑を高く掲げると、麻依とそれにつられた由佳も同じようにして、「乾杯!」とまた声を上げた。雪太はそのノリについていくのに骨を折った。光河に至っては、その場で丸くなって寝息まで立てている。
「もう、せっかくの祝賀会で応援されてんだから、起きなさいよ!」
麻依は寝ている光河を揺り起こすと、彼はむくりと起き上がるなり、大きな欠伸をした。
「でもなぁ、二戦目に関しては相手が女子だったから、全く手応えなくて拍子抜けだったな」
寝起きの合間に発せられる譫言のような調子で、光河が言った。それを聞いた麻依も、今日の対戦内容を思い出したように眉を歪める。
「そうね〜。女の子とはいっても、上の部隊だったでしょ? たしかに、呆気なかったよね。正直言って、思ったよりも弱く見えた感じ」
「私も、あまり第二線の子と戦ってるような気がしなかった」
由佳もそう振り返った。
ただ単に相手のやる気がなかったからという事情も考えられるものの、やはりそれだけではないと皆も薄々感じているのだろうか。雪太は一人ひとりの顔色を盗み見るように、全員の顔を見渡した。
「でもまあ、勝ったんだし、それ以上は何も考えないことにしようよ」
春也が皆を宥めるように発言すると、それまできな臭そうな顔をしていた女子達も、表情を和らげた。そんな雰囲気を、雪太も安堵しながら見守っていた。光河はいつの間にかまた身体を丸めて眠っていた。
全部隊合同トーナメント
四日目(二回戦)組合せ
(一試合目)橿原藍 対 磯城野由佳
(二試合目)北みさと 対 桜井明日香
(三試合目)生駒恵美 対 高取国才
(四試合目)一条学 対 王寺ひかり
四日目――第二回戦の二日目は、第四線の橿原藍と第五線の高取国才、第二線の北みさと、そして第三線の王寺ひかりが初登場してくる。
由佳をはじめ、明日香、恵美、一条は一回戦を戦ってかつ突破してきているため、コンディションで言えば、二回戦から登場する四人と比べて若干分が悪い。ただ、「場馴れしている」という点では、相手よりも優位を取れるだろう。
由佳は早速、敷居の縄をくぐってコートの中に入った。向かってくるのは、第四線の藍だ。彼女達は現実世界でもわりと仲が良く、それがかえって戦いづらくさせているのは誰から見ても自明の理だった。
「こうして話すのって、けっこう久しぶりだったりする?」
試合開始前から、藍は気さくに由佳に声をかけてくる。
「う……うん」
由佳も戸惑いがちに答えると、藍はにっこりしてさらに声をかけた。
「じゃあ、今日はお手合わせ、よろしくね」
とてもこれから生身の切り合いが始まるとは思えないやり取りに、闘技場を取り巻く観衆達からは失笑の声が漏れる。
試合開始を告げる銅鑼が鳴ると、藍は特に表情を変えず、
「じゃあ、始めましょうか」
という言葉を、にこやかに発した。由佳も竹刀を構えると、突如、藍が指さして叫んだ。
「あー! 由佳ちゃん、スカートに毛虫が!」
「えっ!?」
由佳は咄嗟に両手で頬を押さえ、下を向いた。その時、無意識に竹刀が手から離れ、足元に転がった。銅鑼が鳴らされると同時に、藍が飛び跳ねて喜んだ。
「ごめんね、由佳ちゃん。うそうそ、毛虫なんてついてないよ。私、親友と戦いたくないから昨日は寝ないで、戦わずして勝つ方法を考えてたんだよ〜!」
藍は歓喜を帯びた視線を由佳に送りつつ、話した。一方、由佳はまだ状況についていけず、ポカンと口を開けたままだ。
試合の様子を見ていた第六線の麻依が指さし、
「あれ、ありなの?」
と周りの生徒に問うと、春也がそれに応じた。
「ルール上、どちらかが立てなくなる、降参する、あるいは自分の武器を手放す、ということが起きれば勝敗は決するから、違反ではないはずだよ。戦い方は人それぞれで面白いね」
周りの生徒も、さすがにこの試合展開は予測していなかったようで、
「何でもありかよ、このトーナメント!」
「ネット配信のゲームよりガバガバじゃねーか」
と、口々に難癖をつけていた。
雪太も放心したままの由佳に後ろから呼びかけ、彼女に戻ってくるように指示を出した。
我に返った由佳は、「私、これでよかったのかも……」と、呟くように感想を述べた。なまじ一回戦で勝ててしまったものだから、本音は怖くて仕方なかったのだ。相手を傷つけたくはない、とはいえ自分が傷つきたくもない。そんな葛藤が、彼女を不安にさせていたのだ。結果、相手も自分も何一つ傷つくことなくこの戦いを終えた。これは、彼女自身が心で密かに願っていた結末だったのだ。
二回戦は、明日香と北との試合だった。始めは明日香のペースだったが、それによって相手に焦りを生んだのか、途中から北が明日香に対して罵詈雑言を吐いて精神攻撃を仕掛けてきたので、それを見かねたツキヨミが北を失格とし、明日香が準々決勝に駒を進めた。
午前の試合が終わり、雪太が部屋に帰ろうとすると、明日香が声をかけてきた。
「雪ちゃん」
勝利を掴んだ直後だからか、彼女の顔はやや紅潮して見えた。
「おめでとう、準々決勝だな」
雪太は振り返り、明日香に労いの言葉をかける。隣にいた春也などは、空気を読んだつもりか、わざとらしく微笑を浮かべながら二人から離れていった。そんなことは意に介さず、明日香は雪太をまっすぐ見つめ、こんな提案を出した。
「これから、スノーちゃんのところへ行かない?」
雪太は首をかしげる。「何故、このタイミングで?」という疑問は、当然のごとく湧き出た。
「どうしても、報告したくて。この試合に勝ったら、あの子に会いに行こうって決めてたの。私が順調に勝ち進んでるって聞いたら、喜ぶと思うから。ほんとは優勝してから行くべきだと思うけど、どこにもそんな保証はないし。はやく、安心させたくて」
明日香のこの優しさは、いつも彼女の根底にあり、自身の基盤を成すものなのだろう。他の者は、他人よりも己を優先したがり、私利私欲のためだけに奔走するような者ばかりだ。ただ、彼女は違う。誰かのために、自分を擲ってでも強くいられる価値ある人物だ。雪太は、改めてそう感じた。
「雪ちゃんは、イヤって言うかもしれないけど……私一人じゃ、不安で……」
この控えめな態度も、昔から変わらない、明日香の性質そのものだ。
「わかった。付き合う」
「ほんと?」
明日香はさらに顔を上気させて、微笑んだ。
部屋に戻っても特にやることもなく、春也から次の試合では誰が勝つだの、あの仏力を使いこなせる人物は限られているだのという、薀蓄を聞かされるだけだ。そういう惰性的な習慣に飽き飽きしていたこともあり、彼女からの提案はむしろ雪太にとっては有り難かった。光河に抱きつかれることもない。
二人は中庭から、建物の縁を取り囲む堀沿いの道へ出て、門に向かって歩いた。すれ違う人はなく、静かで物寂しくすらあった。
ウルフット家の門をくぐると、広い庭は森閑としており、誰の姿も認められなかった。
明日香は外から、
「スノーちゃ〜ん!」
と襖越しに呼びかけるが、当然ながら返事はない。灯りは消え、部屋は薄暗く、中に誰かがいるような気配はあまり感じられない。
スノーは、ここにいるだろうか? 雪太はそればかりを考えながら、視線を彷徨わせて辺りの様子を窺った。やはり、彼女が出てくる気配は感じない。
「もう、帰ろう。あいつ、やっぱり俺達に会うのが怖いんだ」
雪太は優しく明日香の背中に手を置いて、彼女を促した。
スノーのことを思うと、一刻も早くここから離れたかったのだ。あの見るも耐えない、世の果てを見たような顔は、今でも目に焼き付いて離れることはない。ただ、このまま無残な思い出で終わらせるわけにはいかない。再び、太陽のように明るい思い出として、塗り替えてやらなければならない。そのために、彼女が、明日香が必要だった。
明日香は理解したように、足の向きを変えると、寂しげに呟いた。
「……そうだね」
そうして門に向けて再び歩き出す明日香を、雪太も追った。
このままではいけない。自分もきっと、別の方法で己の強さを示さなければならない。雪太も歩を進めながら、そう思うのだった。




