『覚悟の理由』
場内の観衆達は皆、鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。
大宇陀の意想外の猛攻を跳ね返し、初戦を突破した恵美に徐々に称賛の声が上がる。言わば「格の違いを見せつけた」勝負だった。
一方、彼女達と入れ違いに闘技場に立つのは、一条と十津川だ。四戦目と同じく、第二線と第五線の戦いとなる。
十津川は緊張しているのか、幾度も瞼を開閉させているが、一条は余裕綽々の笑みで周りの観衆達を見回したり手を振ったりしている。格下の相手を一方的に打ちのめして、自分の強さを見せつけようという魂胆がはっきりと見て取れる。
開始の合図が鳴ると、十津川は両手で剣を構え、一条を睨み据えた。一つ前の試合で敗けた大宇陀の分の雪辱を少しでも果たしたいという一心だろう。そうして一条めがけて一歩、足を踏み出した、その瞬間。
高速で飛んできた何かが、十津川の顔面を直撃する。十津川は鼻血を四方八方に撒き散らしながら倒れ、彼の顔面を強打した「それ」は、ブーメランのように一条のもとへ帰っていく。
一条の武器は、鉄の蹴鞠だった。大きさはサッカーボールと同じくらいだが、質量は鉄球の何倍もある。
この試合は一瞬で一条に軍配が上がり、試合を見終えた生徒達は早々に各々の部屋へと引き上げていった。
闘技場の中には、まだ倒れた十津川と、第五線の面々が残っている。十津川は鼻を骨折したらしく、失神していた。多動治癒の仏力を開放している紗矢香と大宇陀が彼を介抱していた。それを横目に、雪太達も第六線の部屋に戻ることにした。
「大丈夫かな……?」
由佳が不安げに口を開く。
「強烈だったよね」
麻依も十津川に少しばかり同情したように、言葉を返す。
「いやぁ。一条君は何を仕出かすか予測できなかったけど、あれは予想以上だったね。誰も鉄の球を武器に選ぶなんて、思ってなかっただろうからね」
と、続いて春也。
そんな会話を聞き流しつつ、雪太も彼らの少し後ろを歩いていると、不意に誰かの気配を感じて視線を上げた。周りは鬱蒼とした木々に囲まれ、どこからか誰かがこちらを見つめているような不穏な気配。
ふと、カグナのことを思い出した。
初めてカグナと対面した時も、姿は見えないが張り付くような強い視線を感じた。雪太は、前を歩く四人に伝えた。
「俺、ちょっとスノーの様子を見てくるから、お前らは先に戻っててくれ」
咄嗟にスノーを引き合いに出したものの、それが裏目に出て、春也が怪訝そうに問い返してきた。
「きっとまだ引きこもってると思うし、やめといたら? 彼女、心に深い傷を負ってるみたいだったし、まだ癒えてないだろうからね」
一理ある、と雪太も内心同意した。さすがにこの嘘は見え透いていたかもしれない。しかし雪太は、ここで一人になる必要があった。
「それでもいい。会えなかったら会えなかったで、すぐ戻るから」
「それなら、いいけど」
春也は皆を促し、まっすぐ歩いていった。
雪太はほっと一安心し、耳を澄ませた。木の葉が風にそよぐ音の中に、人のような呼吸音が聞こえた気がした。
「……いるんだろ?」
雪太が周囲の風景に問いかけるように口を開くと、彼の目の前に炎が顕現し、それは瞬く間に人間の姿に変わった。
「へえ、よく見抜いた」
「何しに来た?」
「そう凄むなよ。俺はただ、お前らの試合を観戦してただけだ」
カグナは口の片端を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべた。
「お前、一回戦で同じ部隊のやつに負けてただろ。せっかくスノーを守るチャンスだったのになぁ。お前、ほんとつまんねえやつだな」
嘲笑したように笑うカグナに、雪太は初めて殺意を覚える。あんなに落ち込むスノーを雪太は、彼女と出会ってから見たことがない。一敗地に塗れ、スノーの中で何かが決壊したようだった。その原因を作ったのが、目の前の少年――カグナだ。
齢は人間の世界を基準とすれば十歳ほどで、端麗な顔立ち、力のこもった眼が、彼に一抹の寂しさを添えているような趣がある。
「べつに、俺はお前と勝負する気はないぜ。スノーさえ手懐けられないお前とじゃ、力の差がありすぎるからな。まぁ、誰が警護役になろうが、俺には関係ないけど」
カグナは身を翻し、炎に包まれたと思うと、その揺らめきとともに跡形もなく消え去った。雪太はその場に立ち尽くしたまま、それを見ていることしかできなかった。
自分には何もできない――その悔しさが、彼に葛藤を抱かせていた。
雪太は建物に戻る途中、数人の生徒が扉付近に屯しているのを見かけた。近づいてよく見ると、吹部三人衆だった。
「っていうか、迷惑すぎじゃない? ホント、何考えてんだか」
「一条君の気を引きたかっただけっしょ」
雪太は外壁の柱に隠れ、彼女達の会話に聞き耳を立てた。
「リーダーでもないくせに偉そうにするやつっているよね」
「そうそう、そういうやつがわりと引っ掻き回してる気がする!」
北と高田は、おそらく恵美の悪口を言っているのだと聞いている雪太にもわかった。結束力を高めるための行動がかえって決別に拍車をかけようとは、皮肉なものである。
「あたしらも勝たないと、第二線のイメージダウンがますます悪化するんじゃない?」
「そうそう。あ、でも、私は男子とはいえ第六線のやつが相手だから、ちょっとは気楽かな!」
「でもさぁ、第六線ごときに負けたやつもいるけどね」
北はそう言いつつ、すぐそばで木枝を使って地面にイラストを描いている高円を見やった。二人の視線を感じ取ったのか、高円はぴくっと肩を震わせる。反論できないのか、手が止まり、しゃがみ込んだ姿勢のまま固まっている。
北と高田は無言で立ち上がり、高円を虐げるような冷たい視線で見下ろすと、一緒に建物の中に入っていった。高円はその場に一人取り残され、絵を書き続けている。その絵を、誰かが覗き込んだ。急に人影が目の前に現れ、驚いたように高円は振り返る。
そこには雪太が中腰で立ち、興味津々に彼女の絵を見つめている。円が描かれ、その丸の中にまだら模様がある。
「何を、描いてたんだ?」
「ち……地球……」
高円は声を震わせながら、おどおどと答える。
「帰りたいのか?」
さり気なく雪太が尋ねると、高円は彼の目を見ずに無言で頷いた。
雪太には、少々引っかかっていることがあった。由佳が出場した、二試合目のことだ。
「あの試合、わざと受け身だったのか?」
しばらく沈黙が流れた。答えにくい質問をしてしまったかという悔いはあったものの、雪太は彼女からの返事を待った。それが奏功したのか、高円は自ら話し始める。
「相手を勝たせたかったわけじゃない。そこだけは、間違えないでほしい。私は、この勝負が無意味だと感じただけ」
「じゃあ……なんで出場したんだ? 無意味だと思うなら、出ないという選択肢もあったはずだ。強制参加という決まりもない。なのに、なんで出た?」
高円は口を閉ざし、強く引き結んでいる。雪太は、畳み掛けるように質問を投げてしまったことを、またもや後悔した。純粋に気になるだけだった。けれども、高円は冷静な声音でしっかりと言葉を吐く。
「出ないと……私の居場所がなくなる気がして……」
高円はゆっくりと立ち上がり、スカートについた土を両手で払った。
「みんなが出るから、私一人が辞退すると、逃げたと思われる。そんなのは嫌。私も生き残るために必死に努力しているから。だけど、この戦いに関しては、無意味に思えてならない」
雪太は高円の話を聞き、心から彼女に同意した。皆の気持ちを、彼女が代弁してくれているような気がしたからだ。
何故、ほとんどの者が参加している? 己の力を見せつけたいからか? 優劣をはっきりとさせて、格下の部隊を見下したいからか?
雪太から見れば、そんな理由で参加を決めた者に参加資格を与えてよいのか、という結論に至ってしまう。同じ第六線の者は例外としても、とりわけ第一線の不良三人組や、第二線の吹部三人衆あたりはどうもその傾向があるように思う。高円も、「出たい」ではなく、「出ないといけない」という、あってはならない使命感に囚われていたのかもしれない。
「わかるよ。たしかに、他のやつらは自分のために参加してるやつがほとんどだと思う。でも俺は違う。もう敗けてるから過去形になっちゃうけど、正当な理由があったんだ。心から守りたいやつがいる、っていう理由がな」
高円は振り向き、雪太をまじまじと見つめてくる。雪太も彼女を見つめ返しながら、言葉を継いだ。
「だから、高円も明確な理由を見つけてもいいんじゃないかな。この世界で生きていく、真っ当な理由を」
驚いたように瞳孔を震わせている高円に対し、雪太は笑いかけながら、「きっと見つかるよ」と最後に添えた。そして、建物に向かって歩き出した。彼女の視線を背中に感じながら、雪太はこう思っていた。
――憎まれてもいい。今は、すべての仲間を応援したい。




