『深まる疑念』
トーナメント二日目。前半二試合の後、休憩を挟み、残りの三試合は午後から行われる。皆はぞろぞろと各々の部屋に戻るために建物の中に入っていき、雪太達第六線の面々もその例に漏れなかった。
この日の第一試合目と第二試合目では、第五線の法隆寺と第六線の由佳が、それぞれ勝利を収めていた。どちらも下位部隊が上位部隊を下している。それは瞬く間に全部隊の生徒達の口の端に上がるだろう。
雪太は部屋に帰る途中、前を歩いている女子に目を留めた。先程の二試合目で由佳に敗れた第二線の高円だ。平常なら吹部三人衆――北と高田と一緒にいることが多いが、この時は一人だった。その理由は少しばかり理解できた。
負けて、同じ部隊の他のメンバーに顔向けできないのだろう。雪太でさえ、優勝を目指して意気込んでいた手前、敗北した直後は肩身が狭く、なかなかあの部屋に帰りづらかったから、彼女の心中もなんとなく推量できる気がした。一番下の部隊に負けたのだから、尚更だ。
帰れば、一条や恵美ならともかく、吹部の他の二人にどんなに揶揄されるかと思うと、少しだけ同情した。
雪太が高円の後ろ姿を目で追っていると、背後から不意に声がかけられた。
「郡山く〜ん」
振り返れば、ニコニコしながら生駒恵美がついてきていた。恵美も第二線で、高円達と同じ部隊のメンバーだ。しかも雪太にとって不可解なことに、全部隊対抗トーナメントの第一戦目以降、妙に雪太に話しかけてくることが多くなった。
恵美は少し前を歩いている高円を目で示し、
「あの子、今、かなり落ち込んでるみたいだから、あんまり話しかけない方がいいよ」
と、アドバイスをくれた。
雪太も頷き、高円の背中から視線を外す。
「私、午後に試合だから、そろそろ士気高めていかないとね」
恵美は、堂々たる口振りで意気込みを語った。
「初戦の相手は第五線の子だけど、やっぱり今日の試合を見てて何が起こるかわからないし、油断は禁物だなって思ったの。だから、相手が誰でも精一杯やって、自分の今出せるすべてを出し切ろうと思うんだ」
このような考え方は、全生徒の中でも珍しい、と雪太は思った。何故、こんなにも参加者が多いのかも不明だが、皆は何を思ってこのトーナメントに臨んでいるのか。ツキヨミの話ではスノーの目付役兼護衛役を担う者を、各々の強さを図る意味も兼ねて決めることだったはずだ。
中には、スノーのことさえよく知らない生徒もいるかもしれない。否、それが大半だろう。由佳は「自分の力がどこまでついているのかを知りたい」ということを話していたが、雪太には、他の者達がこの試合に望むメリットが少なすぎると感じていた。試合が進むごとに、それが顕著になってきていることを加味すると、最後に残ったからといって本当にスノーの目付役を引き受けてくれるのかも正直、かなり怪しい。
ここは何としてでも、明日香に――と思いかけた時、「どうしたの?」と恵美が不思議そうに顔を覗かせてくる。
「いや、何でもない。試合、頑張れよ」
雪太は自然体を装って答え、体裁を繕ってみせた。
「郡山君。私の試合、観に来るでしょ?」
突然、そんなことをきかれ、雪太はやや戸惑った。春也のように、全試合を見る勇気も気力も、今の雪太には欠けている。
「この間の試合で思いのほか心身疲労しちゃったからさ、昼からちょっと休もうと思ってたんだよな……。午前は、同じ部隊のやつが試合に出るから観に来ただけで……」
自分からその話を蒸し返すのはどうかとも思えたが、言い訳がましく雪太は空気を震わす。
「……そっか。じゃあ、しょうがないね。でも、本気だすからね。気が向いたら、来て」
恵美は受け入れたように言い、雪太を追い抜いて向こうへ駆け去ってしまった。
雪太は足の速度を若干落とし、考えた。
次は、明日香の試合だ。
さすがに第一線同士の試合だけあって、闘技場の周囲にはほぼ全生徒が集まってきていた。第六線の面々もその例に漏れず、観戦に赴いた。
「雪太、いよいよ明日香の登場だね」
春也は、期待を膨らませるような仕草で雪太に目配せし、何故だか得意そうに笑っている。雪太も、まじまじと闘技場の中に視線を注いでいた。
なるべくなら、今後、トーナメントの試合は見たくない。しかし、明日香は雪太が託した者なのだ。
このトーナメントの会場に足を運ぶ度、心臓が抉られたように胸が痛む。何故、ここに自分はいないのだろうか。そればかりが、重量のある鉛のごとく、彼の心の核に重圧を加え続けている。しかし、明日香であれば、敵と向き合う勇姿を認められる気がするのだ。
銅鑼が高らかに鳴らされた。
それを合図に、明日香は武器として手にしていた長剣を両手に構える。一方、向かい合った大淀もおそるおそる彼女の方へ剣を向ける。
「準備はいい?」
明日香が何気なく問うと、ビクッと大淀は肩を震わせつつ、一歩後ろへ下がった。逃げ腰になる大淀に、明日香は真剣な視線を向ける。目に力が入り、眉間に深い谷が刻まれる。それを見てさらに怖気づいたのか、大淀は武器を捨てて闘技場の外へ飛び出し、同じ部隊の二階堂瑛に縋りついた。
「おいッ、バカッ! 失格になっちまうだろうが!!」
瑛から叱責されても、大淀は彼の裾を掴んだまま、泣き叫ぶように言った。
「だって! 本物の武器を使って戦うなんて怖すぎるよ!」
「なにビビってんだよ! そのくらい、これからの戦いに比べたら大したことねえだろ!」
広陵も情け容赦ない発言を浴びせ、大淀の服を引っ張って瑛から引き離そうとする。
「俺、やっぱり戦いなんて向いてないから! 二人が参加するって言うから参加しただけだし! 俺、そういうの、ほんとムリだからぁ〜!!」
結果、大淀は棄権と見なされ、明日香の不戦勝となった。第一線同士の戦いを楽しみにしていた生徒からはやや不満の声が上がったが、明日香は涼しい顔で闘技場から去っていった。
その後すぐに、明日香は雪太に近づいてくるや、
「私、絶対に優勝するからね。雪ちゃんと、スノーちゃんのために」
と、笑った。その目には、先ほどのような力はなく、いつもの明日香だった。雪太もなんとなく、彼女もこの世界に来てから変わったと感じた。昨日、自分の夢を彼女に託したその瞬間から。
午後の試合、二戦目は、第二線の生駒恵美と第五線の大宇陀祐子が、それぞれ戦いの舞台に上がった。恵美から見て、相手は三つも下の部隊だ。けれども、恵美は表情を崩さず、相手と向き合った。
そして互いに視線を交わす。
「えーと……、この世界に来てからは初めましてだよね。私、第二線の生駒恵美といいます。よろしくね」
わかっているはずではあるが、恵美が軽く挨拶すると、相手も小さな声で「よろしく……」という辿々しい挨拶を返した。
開始の銅鑼が鳴り響くと、残響が鳴り止まないうちに真っ先に飛び出したのは、大宇陀の方だった。武器の長剣を振りかざし、真っ直ぐに恵美に向かって突っ込んでくる。その時、恵美は度肝を抜かれたように目を細めた。
大宇陀は女子の中でもとりわけ小柄な体躯だが、その凄まじい剣幕は恵美を驚かせたのだ。きっと相手も、思うところがあってこの戦いに臨んでいるに違いない。
攻撃こそ素早いものの、恵美の想定通り、力はそれほど感じない。恵美は相手の連撃を受け流しつつ、ここぞという場面で押し返すしかないと次々に繰り出される剣撃を払い続けた。
思えば、互いに会話した経験はあまりなく、知らないことも多い。ここはあえて攻撃に振り切らず、探りを入れてみようと、恵美は即席の判断を下した。
相手の攻撃がやや収まった時機を見計らい、恵美は自然を装いつつ、大宇陀に声をかけた。
「ねえ、もしかしたら、あなたも知ってるかもしれないけど……うちの部隊って、結束力ないんだよね。いつも喧嘩ばかりして、他の部隊に比べてまとまりがまるでないの。私もなんとかしないとって思ってるんだけど、みんな言うこと聞いてくれなくて……」
無論、「みんな」という言葉に一条は含まれていない。それはつまり、そのまま吹部三人衆を表していた。
「よく仲間同士で口論になるし、何を言っても歪んだ方にしか受け取らないし、それで関係性もますます悪くなるの。だけど、もしも私がこのトーナメント戦で好成績を残せたら、きっとあの子達も見直してくれるんじゃないかって。だから、参加を決めたの」
相手は力のこもった眼差しで敵を見据えつつ、恵美に突きを入れる。恵美も自分の短剣で、素早くそれを払う。そうして、さらに恵美は相手の隙を伺うかのような行動に出る。
「それでね、これは提案なんだけど……」
と、言葉を続ける。
大宇陀も警戒するように、相手に剣先を向けたまま、恵美に視線を送り続けている。
「この試合、負けてくれない?」
恵美のその言葉が耳に入った瞬間、大宇陀は目を剥いた。それでも、恵美は意に介するふうもなく、語を継ぐ。
「もちろん、代償はあるよ。あなたのしてほしいことがあったら、何でも言って。できるだけ叶えてあげるから」
大宇陀はさらにカッと目を見開き、激情に身を任せたように叫びを上げた。
「ふざっけるな!!」
中庭に大宇陀の金切り声が轟き、それによって闘技場を囲んでいる生徒達は動揺したようにざわつき始め、周りは一瞬にして不穏な空気に包まれた。無論、雪太にも何が起こっているのか想像もつかない。
恵美の話した内容は、おそらく大宇陀以外、誰も聞き取っていないだろう。しかし大宇陀の表情から、恵美が不用意な発言をしたのだろうと雪太も推察した。
大宇陀はなお、怒り心頭に顔を真赤に染め上げ、恵美から距離を取りつつ喚き続けた。
「馬鹿にするのも大概にしろ! 私だって、決死の覚悟で挑んでるんだ! 何が負けてくれだ! そう言って、自分より格下の部隊を見下してるだけなんだろ!」
大宇陀は地面を勢いよく蹴って駆け出し、これまでよりもハードモードな剣撃を次々に繰り出した。そのいくつかは恵美のガードをすり抜け、彼女の体に的確に傷をつけていく。
恵美は大宇陀の猛攻撃に押され、次第に自身を守りきれなくなる。そして大きな一撃が彼女の脛に命中し、恵美は飛び上がって受け身をとろうとするが、相手の力によって倒され、そのまま地面を滑っていった。
なんとか上体を起こすが、傷創が傷んでうまく立ち上がることができない。両脚のいたるところから赤い血が流れ、身体を支えるのがやっとという体裁だ。
恵美が前に目を向けると、息を荒げた大宇陀が佇んでいる。
「私も……必死で抗おうとしてるんだよ。第五線だって、勝ち上がれることを証明したい。私は、勝ちたい!」
大宇陀がとどめを刺さんばかりに、剣を振りかぶる。その眼には鋭い光が爛々と宿り、そこに生を凝縮したように輝いて見える。
それに啓発されたように、傷だらけの恵美は片手で膝を支えながら腰を浮かせ、どうにか自力で体勢を立て直してみせた。そうして前を向き、感動したように大宇陀に笑いかける。
「みんな、必死なんだね。私が間違ってたみたい。私もこの試合に勝って、みんなのやる気を引き出すことばかり考えてた。でも、今のでわかったよ。私は、私自身のために、勝ちたい」
その瞬間、恵美の目がキリッと改まるのが雪太にははっきりと見えた。
「いくよ」
恵美は微笑しながらそう声を出すと、駆け出した。反撃を察した大宇陀が剣を胸の前で盾にしようとすると、それを恵美は見逃さず、加速させた右足を思い切り前へ蹴り出した。それが大宇陀の脇腹に当たり、尻餅をついた瞬間を見定め、恵美は剣を振り上げる。
大宇陀は素早くまた剣をかざして受け止めようとするが、恵美が力いっぱい振り落とした刃によってそれは呆気なく真っ二つに折れ、裁断された剣身が地面に転がった。
一瞬、何がなんだかわからない状態だったが、男によって再び銅鑼が鳴らされ、それが試合終了の合図だと誰もが悟った。
大宇陀は、今しがた起こったことが飲み込めないのか、ポカンと口を開けて放心している。先日の麻依と同様の反応である。おそるおそる顔を上げると、目線のすぐ先に何食わぬ表情で剣を鞘に収めている恵美の姿があった。
恵美の背後から、彼女に近づいてくる者が若干一名いた。
「やあ、お疲れさま。君のおかげで、僕も次の試合に対する士気が高まったよ」
一条は恵美の肩に手を置き、彼女を称賛した。
恵美は笑いながら、
「これで、あの子達もやる気になってくれるかな?」
と、一条の目を見ながら言った。
「まあ、大丈夫だろう。一人、一回戦で負けてるけど、あとの二人も『自分達も』って頑張るんじゃない?」
一条もそう返すと、恵美はまた嬉しそうに頬にえくぼを作った。
「そうなるといいんだけど……」
恵美が闘技場の敷居をまたぐと、代わりに一条がコートの中に残った。
一方、敗北した大宇陀は他の第五線メンバーとともに退場し、その代わりに同じく第五線の十津川昴が闘技場に足を踏み入れた。
何が起こるか予測できない。そのことを象徴するような試合の直後にもかかわらず、一条の目は笑っていた。それは観衆の中にいる雪太にも、はっきりと映った。




