『最弱部隊の信念』
全部隊合同トーナメント
二日目組合せ
(一試合目)御所実 対 法隆寺大志
(二試合目)磯城野由佳 対 高円遥香
(三試合目)大淀海 対 桜井明日香
(四試合目)生駒恵美 対 大宇陀祐子
(五試合目)一条学 対 十津川昴
トーナメント二日目。この日、試合に出場する十人の生徒からは、ただならぬオーラが顕現していた。緊張して下を向いている者や、試合開始まで素振りに励む者、目を閉じて精神統一をしている者まで、千差万別である。
その中でもとりわけ緊張しているのか、組合せが白い細字で刻印されている石碑の前で立ち止まったまま、胸を押さえ、息を荒くしている女子生徒の姿が見られた。
二試合目の対戦カードに目を向けると、第六線に所属する生徒の名前。由佳である。
由佳の背中に、そっと手が添えられた。
「大丈夫?」
麻依の顔がぬっと眼前に現れたので、ぎょっとしたように由佳は慌てふためく動きを取る。
「だ……大丈夫……じゃないっぽい」
由佳はまだ動悸が収まらないのか、胸に両手を当ててただ固まっている。足も心持ち震えているようだ。
「私、なんで参加表明なんてしちゃったんだろ……」
「大丈夫だって。さ、中に入ろ」
弱音を吐く由佳の背をそっと押しながら、麻依は言う。由佳も麻依に励まされ、ゆっくりと彼女の手の力に従って歩いた。
再びボードを見ると、由佳の第一回戦の相手は、高円だ。同じ女子とはいえ、第二線に所属し、第六線の由佳から見ると、四つも格上の相手ということになる。
由佳は参加を表明したことを後悔している。自分の力を試したい、これはこのチャンスなのだ。その一心で、トーナメントに臨んだはずなのに、その勇気が不可解なほど、今となっては勝てる見込がないのになぜ危険な戦いに踏み込んでしまったのかがわからない。
部屋に戻ってくると、雪太と光河がいた。それを見た麻依が、不思議な顔で尋ねる。
「あれ? 吉野君は?」
「吉野なら、全試合見るとか言って、さっき出ていったぞ。すれ違わなかったか?」
雪太の膝を枕にして寝ていた光河が、少し頭を起こしてきき返した。由佳と麻依は一瞬顔を見合わせた後、ぶんぶんと首を横に振った。
「吉野君も、物好きよね〜。あんな試合を見たいってさ」
麻依は呆れ返ったように呟きながら、自分のベッドに腰掛ける。由佳もまだ緊張が解けきっていないのか、部屋をキョロキョロと落ち着かなげに見渡していると、不意に雪太と目が合って視線が止まった。
「今日、試合だったよな?」
雪太が先に切り出したので、由佳は数瞬遅れて首肯した。そうすると、雪太の口許にわずかな笑みが浮かんだように見えた。
「応援する。観にいってもいいか?」
「えっ……」
由佳は言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。同じ部隊の仲間といえども、やはり自分の試合を見られるのは恥ずかしい。それを言おうとすると、由佳が口を開くより先に、雪太がこう言い出した。
「俺、自分が敗けてから他のやつの試合を見るのが億劫になってたんだ。だけど、このまま目をそらし続けるのものどうかと思って。せっかく第六線の仲間の試合だし、観にいってみてもいいのかなって考えてたんだけど、嫌か?」
真摯に見つめられ、そんな話をされるとさすがに嫌とは言いづらい。
「私は……べつにいいけど……」
口を滑るように言葉が出て、由佳ははっと我に返った。
(――な、なんで言っちゃったのー! 私のバカ、バカ!)
ただ、訂正するのもそれ相応の勇気がいることだ。たしかに、雪太は同じ部隊のリーダーであり、仲間だ。恥ずかしいが、応援してもらうことに関しては純粋に嬉しくもある。
「郡山君の期待通りにはならないかもしれないけど、私、精一杯やってみる!」
意気込みを語る由佳に対し、雪太はさらに口許を緩め、「頑張れよ」と言ってくれた。それが嬉しく、その笑顔を見て緊張が解けていく実感が、由佳の中にあった。
時間を見計らい、四人は闘技場に足を運んでみると、ちょうど一試合目の決着がついたところだった。リングから第三線の御所が出てくるなり、「クソが!」と誰にともなく吐き捨てた。試合を見ていない者でも、それを聞けば誰しもがこちらが敗北者であるとわかるだろう。
続いて、第五線の法隆寺が縄で仕切られた闘技場の敷居を越え、雪太達の前に現れた。
「やあ。君たちも僕らの試合をオブサーヴしてたのかい?」
いつものようにやや気障ったらしい物言いだが、額に大量の汗が滲み、息切れしている様子から、相当の大激戦だったことが読み取れる。
雪太達が首を振ると、法隆寺はあからさまなしかめっ面を見せた後、「はははっ」とわざとらしく声に出して笑い、
「格上の部隊が相手だからね、警戒してたんだけど、アンエクスペクテッドだったね。判定戦に持ち込んで、勝利をもぎ取ったってだけだよ」
鼻を高くするように意気揚々と語る法隆寺。
そして、
「まあ、君とはもう当たることはないから、僕の力を遺憾なく発揮させてもらうよ。しっかりとアテンションしててよ」
と、明らかに雪太に向けて放ったと思われる言葉を残し、手を振りながら、仲間の待つ方に向かって歩いていった。
「何なの、イヤな感じ!」
由佳は不服そうに、そう小さくこぼす。一方で、当事者である雪太はというと、意に介する素振りを見せず、由佳の方を振り向いた。
「磯城野、今やれることを精一杯やってこい」
由佳は無意識のうちにはっきりと頷いた。
誰に何と揶揄されても、それをものともしない雪太の豪胆っぷりに由佳は励まされ、胸の内で意気込んだ。大丈夫だ、何度もそう言い聞かせるうち、先程までの緊張はなくなっていた。どんな結果でもいい。自分の今の実力を発揮できれば、それでいいのだから。
由佳は息を呑み、数回深呼吸すると後ろにいる麻依を振り返って声をかけた。
「麻依ちゃんの分、頑張ってくるね」
それを聞いて、麻依も闇をも貫くような視線とともに、力強く頷いてくれた。
由佳はリングをくぐり、闘技場の中に入った。その直前に由佳が係の男から受け取ったのは、部隊対抗トーナメント時に使用した竹刀だ。同じ部隊の麻依と一緒に倉庫へ試合で使う武器を取りに行った際、「私、この感触がとっても気に入ってるんだ」と話し、即決した。武器としては一番弱いのだが、そうわかっていても麻依は由佳の気持ちを優先し、止めなかった。
そうして、試合が始まる。向かいに立っているのは、第二線の高円。相手が手に持っているのは、竹刀よりは少しばかり耐久性が備わっているとはいえ、金属の刃がなく、刀身がすべて木材で造られた、いわゆる「木刀」と呼ばれるものであった。
両者が向かい合い、試合開始の合図が鳴る。しかし、銅鑼が音高く鳴らされても、両者とも動こうとしない。相手の動きの予兆を探っているのか、間合いも詰めず、ただただ時間が経過するばかりだ。
次第に、観戦している者達からは苛立ちの声が上がり始める。
「おい、いい加減動けよ!」
「いつまで睨み合ってんだ!」
由佳は焦りの気持ちを必死に押さえつけた。相手の出方をうかがっているといえば、嘘ではない。しかし、根本的な理由はそこにはなかったのだ。
コートに立った瞬間から、再びあの全身を駆け巡るような緊張が襲ってきて、思考がうまく回らず、動こうにも動けないのだ。
相手も相手で、木刀を握りしめたまま固まっている。表情は硬いままだが、高円は普段からあまり他人に表情を見せない。由佳も同じクラスとはいえ、彼女とはこれまでに一度もプライベートで話をしたことがなく、笑顔なども見たことがない。吹部の二人くらいしか、話す相手がいないのだろうかとすら思う。
「第六線相手になにビビってんの?」
「私達の顔に泥を塗るつもり?」
高円に向けても、後ろから北と高田が野次を飛ばす。同じ第二線として敗けてほしくないのだろう、と由佳は思う。
由佳は思い切って、一歩、相手との間合いを詰めた。が、高円は一歩下がるばかりで、一向に攻撃を仕掛けてこない。周りから見れば、ひどく地味な展開に見えることだろう。
相手が何もしてこないのであれば、勝てる可能性も十分にあるだろう。とはいえ、ここからどうやって勝つのかが問題である。
まず、試合の主導権を獲得しなければ。由佳はその一心で竹刀を振り上げ、そして振り下ろした。高円は木刀を頭上で横に倒し、難なくそれを受ける。由佳はまた、角度を変えて竹刀を振り落とす。高円も単調作業をこなすかのように、それを造作もなく受け止めていく。
こんなことを続けていても、勝利は近づいてこない。由佳の中で、再び焦る感情がオーバーヒートしそうになる。
その時、脳裏にちらついたのが、試合直前の雪太の言葉だった。「頑張れ」というごく普通の短い言葉だったが、由佳にとって、いや、第六線の皆にとって重く響いたのは間違いない。誰よりもこのトーナメントに想いを込め、努力を積み重ねてきたにもかかわらず、初戦で敗れた雪太にとって、それ以降の試合を見るのは苦痛だということは、四人全員が知っている。それでも、この試合を見に来てくれたのだ。
何が何でも、他の部隊に一矢報いたい。第六線の自分が格上の部隊に一勝でもすれば、何かが変わるかもしれない。
由佳は素早く腕を引くと、それにつられて高円が前のめりになった。そこを突いて思い切り下段から竹刀を斜めに振り上げる。そうすると、高円が「あっ」と声を漏らした次の瞬間には、彼女が手にしていた木刀が宙へ舞い上がった。そうして数秒間、空中を浮遊した後、二人から少し離れた場所に落下した。
試合終了の銅鑼が鳴る。
本人達を含め、その場に居合わせた生徒全員がしばらく状況を読めずにただ放心していた。その次の瞬間、真っ先に闘技場に飛び込んできたのは麻依だった。
「由佳ちゃん! やったよ、他の部隊に勝ったんだよ!!」
麻依はそう言って、竹刀を持ったまま呆然と佇んでいた由佳の体を揺すぶった。
「ウソ……? 私、勝てちゃったの……?」
由佳はまだ現実が受け入れられないのか、目を見開いたまま、石像のごとくフリーズ状態だ。
次に春也もコート内に侵入してきて、
「いやあ、素晴らしかったよ。たしかに終始、盛り上がりに欠ける試合だったけど、正当たる勝利だよ。自信を持っていいと思うな」
と、由佳を褒め称えた。
そこでようやく実感が湧いてきたのか、由佳は破顔したと思うと、麻依に抱きついた。
「ありがとう! 私、勝ったんだ!」
由佳の涙が、麻依の肩を濡らす。
「よしよし、あとで聞いてあげるね」
麻依もまた、優しくそう声をかける。
どんな勝ち方でもいい。相手を傷つけることなく勝利できたのは、由佳の信条にも沿っている。まさに「思い描いた通りの勝ち方」だったのだ。
今まで努力してきた日々は無駄ではなかった。それを証明できた気がする。たとえこれ以上先に進めなかったとしても、悔いることはないだろう。




