『スノーの指南』
あれから数日が経ち、基本的な演習が終わった。後は皆、それぞれ自主練習に励んだ。雪太もまた、適当な場所を見つけて弓を引いていた。
数メートル先の木を的代わりにし、狙いを定め、そして矢を放つ。雪太の放った矢は、正確に幹の中央に刺さった。雪太は「ふぅ」と息を吐き、その矢を抜きにいった。その時、ふと誰かの視線を感じた。
「おい、そこで何してんだ?」
雪太は、矢が刺さっている木の裏に向かって話しかける。
「え? なんで分かったんだ?」
そこから姿を現したのはスノーだった。
「ちょっと気配を感じただけだよ。何してたんだ?」
「ここも、おいらの縄張りだからな!」
「広いんだな」
「ここタカマの三分の一の面積は、おいらに与えられてるんだぞ?」
スノーの言葉を軽く聞き流していた雪太は、矢を抜き取るとその場を離れて射矢練習を再開しようする。
「おい、人の話を聞け! おいらは、お前の主なんだからな!」
「いつ、お前は俺の主になった」
「あの勝負、おいらが勝ったじゃん。だから、今日からお前はおいらの家来だ」
「あれは別に、勝ったことにはなってないだろ。勝負として成り立ってなかったしな」
もう一度、雪太は弓を引こうとした。すると、スノーが走ってきて後ろから雪太の背中に飛び乗ってきた。
「おいらの中では勝ったんだ! 大人しく、言うことをきけ!」
これでは練習にならない。
雪太は仕方なく、地面に弓矢を置いた。
スノーが肩に乗ってくるので、雪太はそのまま肩車し、歩き始めた。スノーは雪太に、幼馴染の屋敷に連れていけと言う。スノーが口で案内し、雪太はそれに従って足を進める。
数分が経過し、雪太の額は汗まみれになっていた。相手が子供とはいえ、長時間の肩車はやはり厳しい。目に汗が入り、次第に視界が霞んでいく。足元を見ると、足がガクガクと震えているのが分かった。
更に進むと、前方から声がかかった。
「雪ちゃん……?」
その声に反応し、雪太は顔を上げる。前には、明日香が立っていた。状況がよく掴めずに、雪太とスノーを交互に見つめている。
「おぉ~。お前、こんなとこで何してんの?」
「うん、スノーちゃん。暇だったから、探検しようと思って」
スノーが明日香にきくと、明日香も嬉しそうに答えた。そして、その後も二人は会話を続ける。それに疑問を覚えた雪太は、明日香に尋ねてみた。
「お前ら、いつ知り合ったんだよ」
「あ、ごめんね、雪ちゃん。この間、眠れないから夜に一人で森の中を探検してたんだ。それで私、迷子になっちゃって。そしたら、スノーちゃんが来て助けてくれたの」
それがきっかけで、二人は仲良くなったのだそうだ。明日香に対し、自分の時とはまるで態度が違うスノーを見て、雪太は少し歯痒くなった。
その後、スノーの幼馴染の屋敷に行くのをやめ、三人はそのままスノーの屋敷に向かうことにした。それでも、地面を歩いているのは二人だけなのだが。
屋敷に着くと、ウヅメが茶を差し出した。
「よくおいでくださいましたね。ゆっくりしていってくださいね」
ウヅメはそう言ってニッコリと微笑むと、立ち上がって部屋を出ていった。
次に、明日香が雪太に話しかける。
「雪ちゃんは今日、何してたの?」
「あぁ、自主練しようと思って」
「そうなんだ……。私は、あんまりそんなことはしないかな。まだ、自信持てなくて……。第一線なのにって思うかもしれないけど、私にそんな素質なんてあるのかなって、時々不安になるの」
明日香は、遣る瀬無いような顔をしている。それを見ていると、雪太も心苦しくなるのだった。
自分も、今よりもっと強くならなければならない。そのために、練習を続けているのだから。雪太はツキヨミから「神力」の話を聞かされて以来、毎日欠かさず自主練を続けている。しかし、成果は今のところ出ていない。
「雪ちゃん。私、やっぱり練習する。他のみんなにも、迷惑はかけられないから。じゃ、もう行くね」
明日香は、雪太にそう告げると立ち上がり、そこから去っていった。雪太の話を聞き、自分もと思ったのだろう。明日香の様子を見ていたスノーが、
「あいつも大変なんだなー」
と、他人事のように呟いている。
雪太も、そろそろ練習に戻ろうと立ち上がった。するとスノーが雪太の腕を引っ張り、再び座らせた。
「お前は、おいらの家来なんだからな。帰ることは許さないぞ」
「だから家来じゃねえよ。それよりも、お前って呼ぶな」
「あ、そっか。そう言えば、名前知らないや。お前、何ていう名前なんだ?」
「郡山、雪太」
「ふ~ん、コオリヤマっていうんだ。変な名前だな。じゃ、今日からお前のことはアイスって呼ぶな!」
「いや、そっちのコオリじゃなくて……」
雪太が説明しようとするが、スノーは話も聞かずに立ち上がった。
「じゃあ、アイス! 訓練、始めるぞ!」
その言葉を聞き、雪太はきょとんとスノーを見上げる。訓練とは一体何のことか、雪太には分からなかった。その様子を見て、スノーは言った。
「何だよ、聞いてなかったのか。しょうがないなぁ~」
スノーが言うには、姉のツキヨミから、雪太を指南するようにと頼まれたのだという。その目的は、雪太が動物の血を見ても、平気でいられるようにするためだ。説明を終えると、スノーは雪太に命じた。
「じゃあ、アイス! この屋敷を出て西側に、小山があっただろ。そこに、双子杉という木が生えてるんだ。その側で木刀を作ってる職人がいるから、そいつから要らなくなった木を幾つかもらってきてくれ!」
「あの、指導してくれるんじゃ……」
「いいから、早く行ってこい!」
雪太は言いかけたが、スノーによって圧制された。仕方なく、雪太はスノーの言う通りに動くことにした。
屋敷を出ると、向こうに小さな山が見える。あれが、スノーの言っていた小山だろうと雪太は理解する。
これで大体理解した。スノーには、雪太が欠点を克服できるように、指南するつもりはないらしい。奴隷のように、雪太を自分の家来として扱っているに過ぎない。これでは、体力がもたない。雪太は、場を見計らって逃げようと思った。
とりあえず、山の中に入ると双子杉を探した。木が多すぎて、どの木が双子杉か分からない。スノーから聞いた話によると、根元が二つに割れているからこの国では双子杉と呼ばれているらしい。
しばらく歩くと、周りが薄暗くなる。遠くからは鳥の鳴き声。段々と、近くの茂みから獣でも出てきそうな雰囲気が醸し出される。
しかし、動物など一匹も見かけない。不気味な山だ。本当にこのような場所に木刀職人がいるのだろうか。それでも、雪太は足を進めた。
やがて、他の木とは一線を画す、巨大な大木が見えてきた。きっとあれが双子杉だろう。根元に目をやると、やはり二つに割れている。間違いない。
雪太は、その木の近くに行き、職人を探した。しかし、そのような人物はどこにも見当たらない。雪太は、木の周りをぐるっと一周したが、見つからなかった。
諦めて帰ろうとした時、後ろから誰かが肩を叩いてきた。雪太が振り返ると、そこには籠を背負った老爺が立っている。
「あの……どちら様ですかな?」
男は優しげな眉を動かしながら、雪太に尋ねてきた。
「あの、この辺に木刀作りをしている職人がいるって聞いたんですけど……」
「あぁ、お客さんか。私が、木刀職人だが」
男は微笑んだ。この男が木刀職人で、四十年以上に渡って双子杉の近くで、木刀を作り続けているらしい。たまに、刀や槍を作ってほしいと依頼を受けることもあるのだという。
雪太は、スノーに言われた通り、不要になった木がないかと尋ねた。それを聞いて男は気前よく、雪太に失敗してしまい、要らなくなった木材をくれた。
雪太はその男に礼を言い、木材を持って山を下りようとした。その時、背後から男に話しかけられた。
「もしや、スノー様に言われたのではないですかな?」
振り向くと、男は優しい表情で雪太を見つめている。
「スノー様は、昔は優しいお方でした。しかし、姉君のアマテル様が部屋に閉じ籠もってしまわれて以降、すっかりお変わり遊ばされたのです」
男は、懐かしそうに話した。雪太から見たスノーのイメージは、我儘で、かつ乱暴者だ。とても優しいとは思えない。それでも昔はそうだったというのだから、今より少しはましだったのかもしれない。
雪太は山を下り、スノーの屋敷に戻った。しかし部屋に行っても、スノーの姿はどこにも見えない。しばらくすれば、帰ってくるだろうと雪太は縁側に腰を下ろし、庭を眺めた。
「あの……」
そこに、ある女性の声がかかる。雪太が顔を上げると、目の前にはウヅメが立っていた。
「わたくし、スノー様を探しているのですが、見ていませんか?」
「いや、俺も今探してるところで……」
雪太が答えると、ウヅメはがっくりと肩を落とす。それにしても、スノーは一体どこに行ってしまったのだろう。
ウヅメが気の毒に思えた雪太は、またスノーを探しに行くことにした。
森の中など、心当たりがある場所から、手当たり次第に探したが、一向に見つかる気配がない。と、そこに何かを蹴るような音が聞こえてきた。茂みの向こうからだ。
スノーかもしれないと思った雪太は、そこに向けて足を進めた。
しかし、そこにいたのはスノーではなく、一条だった。鞠をボール代わりにして、リフティングのようなことをしている。相手も雪太の存在に気付き、足を止めた。
「やぁ、こんなところで何をしてるんだい?」
先に、一条から雪太に話しかけてくる。しかし、雪太は何も答えなかった。大和帝國を治めている、イーザの娘から直々に試練を与えてもらっているなど、他人に言えることではない。それも、雪太より上の部隊にいる、第二線のメンバーならば尚更だ。
「ちょっとな……散歩だよ」
「やっぱりね~。僕も、ちょっと暇潰ししてたんだ。それに、何でもできちゃうからね。日々、退屈なんだよ」
一条が笑うと、白い歯がきらりと光る。一条はそこそこ頭がよく、顔もいいが、自惚れ気質なのは否めない。学校においても、女子からは絶大な支持を集めているが、男子からはあまり好感を持たれていないのが何よりの証拠だった。しかし、一条はそれを自覚していないらしい。
「よかったら、俺と勝負してみる?」
「やめとく」
雪太はまた、一条からの誘いを断った。今は、スノーを見つけるのが先だ。雪太は一条と別れ、足を進めた。早くスノーを見つけ、ウヅメを安心させたかったのだ。
森の中をしばらく歩いたが、どうにも見つかる気配がない。雪太が双子杉を探しに行っている間に、どこへ行ってしまったのだろう。雪太は近くにあった岩に腰かけ、一息ついた。
その時だった。
――――ガサッ。
雪太のすぐ後ろを、何か生き物が通ったような音がした。それも、キツネや野ウサギではなく、巨大な生物のような音だ。雪太はすぐに立ち上がり、後ろを警戒する。そして、視界が妙に薄暗くなった。
見上げると、三メートルはあるであろう巨大なトカゲがいた。その生物は、雪太を睨むように見下ろしている。
雪太は後退した。弓矢は屋敷に置いてきていて、所持していなかった。武器がなければ、とても勝ち目はない。
逃げるが勝ちとはいっても、すぐに追いつかれてしまうのだろう。ここは、相手の気を逸らしつつ、逃げるしかない。雪太は、必死に逃げる方法を考えた。そうしている間にも、巨大トカゲは更に雪太との距離を詰めてくる。
その時――。
小さな影が、雪太の真上を通り越した。雪太は上を見ると、そこにはスノーの姿があった。小さな刀を両手に持ち、トカゲ目がけて振り上げる。いくらスノーでも、巨大トカゲを相手にするなど、無茶に他ならない。
「やめろ! スノー!」
雪太は叫んだが、もう遅かった。スノーとトカゲの距離は、急速に縮まっていく。トカゲは、大きく口を開いた。このままでは、スノーが食べられてしまう。どうにかしようと雪太が動いた瞬間、スノーは二本の刀を操り、トカゲの頭部を無数に斬りつける。そして、よろけたトカゲの頭に飛び乗ると、とどめを刺した。
――――グサッ!
という音が、スッと雪太の両耳に入った。次の瞬間、トカゲは光を放出し、跡形もなく消えてしまった。一瞬、雪太は何が起こったのか分からなかった。
スノーは、雪太の目の前に着地した。
「ふぅ。ここらは化物の棲み処だから、無防備な格好でうろついてると、獲物の標的にされちゃうぞ?」
呆然と立っている雪太に、スノーが近付いてきてじっと見つめてくる。
「おいらの強さ、これで分かっただろ?」
スノーは得意気にきいた。それには、雪太も頷くしかない。あんなに巨大な怪物を相手に、余裕で勝利したのだ。身長は雪太の世界で小学生低学年並みなのだが、自在に二つの刀を操り、そして華麗に化物を退治してみせた。これは、嫌でも認めなければならない。
そして雪太は、スノーに告げた。
「俺に……剣術、教えてくれないか」
「なんで? 最弱組にいるのが嫌になったか?」
「あぁ。俺は、お前に剣術を習いたいんだ。お前じゃないと駄目な気がする。これからは家来じゃなくて、門下生として見てほしい」
雪太の願い、それは誰よりも強くなること。弱さを克服し、そして誰かを守れるようになる。これから先、どんな過酷な試練が待ち受けていてもいい。強くなりたい、今はそれだけを考えていた。雪太はプライドを捨て、スノーに頭を下げる。そして、こう頼んだ。
「俺を……強くしてくれ」
その言葉は、何よりも雪太の本心であった。




