(十二)古語の助動詞「つ」と「ぬ」 下ノ一(使い分け・導入)
▼【悲報】定説がない!
本屋さんで古文の参考書を立ち読みして不思議に思ったのは、「つ」と「ぬ」の使い分けについて書いていないものがあることでした。
念のために、さらに書店をはしごして片っ端から立ち読みしたところ、何とほぼ半数以上、書いてないんです!
理由は、図書館にしかないような巨大な古語辞典にありました。
「つ」と「ぬ」の使い分けには、国語学の学会においても意見が分かれていて、定説はないそうです。
道理で、書いてある場合でも、内容が色々食い違っちゃっているわけですね……。【注25】
▼【悲報その2】私論にしかならない
そんなわけで、「つ」と「ぬ」の使い分けについては、「定説がない」すなわち「誰が述べても私論にしかならない」のです。どれほど権威のある大学の先生がおっしゃろうが、どれほど人気のある歌人・俳人の方がおっしゃろうが、全て私論です。
当然、一般人の私が書いているこのエッセイの内容も私論であります。
すなわち、今回の内容は、今まで以上に保証がないことを理解いただいた上で、先へお進みいただきますよう、お願い申し上げます。
書いている本人にすら意義が感じられない誰得エッセイ(笑)ですので、ご遠慮なくブラウザバックしてくださいね。
▼『日本国語大辞典』の場合
さて、「定説がない」とは、具体的にどういう状況なのかご覧いただくため、国語辞典における最大の権威であると思われる『日本国語大辞典』の解説をご紹介します【注26、27】。
やたらと長いので、目が滑って読めない方は無理なさらないでください。
・「つ」の語誌(2)の全文
――(2)「つ」「ぬ」の違いについては、江戸時代以来、論じられてきたところであって、主に以下のような違いが明らかにされている。(イ)(上接する動詞)「ぬ」は非意志的、自然推移的動作を表わす動詞につき、「つ」は意志的、人為的動作を表わす動詞につく。(ロ)(上接する助動詞)「つ」は受身の助動詞「る」「らる」にはつかず、使役の助動詞「す」「さす」につく。一方、「ぬ」は受身の「る」「らる」につくが、使役の「す」「さす」にはつかない。以上のような傾向が認められているが、例外的な現象もあり、厳密な法則とまでは言えない。
・「ぬ」の語誌(1)の全文
――(1)主として、意志を持った行為でない、無作為・自然に発生推移する動作作用を表わす動詞に付き、「つ」と対照される。また、「ぬ」は自動詞に、「つ」は他動詞に付くという傾向のあることが近世以来認められている。
何で長さが違うの?と思われた方。……ええ、本当に不思議ですね~(笑)
説明が色々と食い違ってるんじゃね?と思われた方。……まったくもって、その通りです(笑)
一応、『日国』さんのために弁明しておきますと、私が確認した範囲ではこれが一番良心的な解説なんですよ。
表現が違うだけで、どちらも間違っているわけではありませんので。本当に、そうなんです。
▼共通要素の抽出
このままだと収拾がつけられなくなりますので、まずは「比較的」信頼性が高そうな辞書――「絶対的」に信頼できる辞書なんてものはありません――の解説から、共通する要素を抜き出してみますね。
大変申し訳ないのですが、『日国』さんの解説をスキップなさった方も、こちらにはきちんと目を通しておいてください。
・キーワードは「自然」あるいは「自然的」
・使い分けには一定の「傾向」が認められるが、厳密な法則性がない。
どうやら、定説がないという事態を招いているのは、後者が原因みたいなんですよね。
でも、現代文でも、書き手によって文体が違うのは当然のことです。ですから、厳密な法則なんてなくても、「傾向」があればそれで十分じゃないかなぁと一般人の私としては思ってしまうのです。
ですから、このエッセイでは前者だけを取り上げて、解説していくことにします。
とりあえず、
・「つ」「ぬ」の使い分けにおいては「自然」が重要な要素である。
というぼんやりとした認識を持っていただければ、それで十分です。
▼文法用語を極力取り払ってみる
専門家はいざ知らず、一般人である私たちにとっては、文法的に厳密な定義なんてものは要りません。
文法なんて何も考えずに日本語を使っている方が、大多数でしょう。
そんなわけで、このエッセイのテーマに沿って「書くこと」に焦点を当てつつ、文法用語を極力すっ飛ばしてルールを再構成してみますね。
なお、「完了」だけはさすがに外せなかったので、うろ覚えの方は、恐縮ですが(十)の共通事項の再読をお願いいたします。
*「ぬ」の使い方……完了であり、かつそれが必然であると思うならば、「ぬ」を使いましょう。
*「つ」の使い方……完了であり、かつ別の可能性や他の選択肢があると思うならば、「つ」を使いましょう。
なんちゃってルールなので、『日本国語大辞典』の解説とは全然違うように見えると思います。
でもこれでも、結果的には『日国』の解説と「傾向」が合致した文体になるんですよ。
▼注意事項
さて、このルールで注意していただきたいのは次の二点です。
一、文章全体の内容を考えて判別すること
二、本当にそうであると「思うならば」使ってよい
まず、一についてですが、「つ」「ぬ」の共通事項で取り上げた平家物語の一節をもう一度引用しますね。【注28】
――たけき者もつひにはほろびぬ
「ぬ」は必然性を持つ完了です。この文では宿命と言い換えたほうがいいかもしれません。
ここで確認しておきたいのは、語り手は、「ほろ」ぶことが必然だといっているのではない、という点です。
「たけき者もつひにはほろ」ぶ、という文章全体の内容について、必然的に完了すると述べているのです。
要は、「つ」「ぬ」を使用する際には、直前の語にとらわれることなく、文章全体を考えてからにしなければならない、ということですね。古文が比較的得意な方が陥りがちな罠ですので――そもそも古文が苦手な方は「つ」も「ぬ」も使用なさいません――ご注意ください。
二についてですが、「つ」と「ぬ」には、書き手のそれぞれの主観を反映する、という妙な性質があります。本当にそう「思うならば」、どう使ってもいいんですよね。
ですから、使い方がブレてしまうのは当然といえば当然だと思います。【注29】
同時に、書き手の主観ということは、書き手のセンスが問われることにもつながります。よって、面倒くさいけど辞書さえきちんと引けば何とかなる「り」よりも、難易度は上がります。
なお、実際はもう少し大雑把なので、このルールに従って書くと、本物の古文/擬古文よりも「つ」「ぬ」が少なめになるかもしれません。
ただし、現代日本語では失われてしまった感覚ですので、現代人の書く疑似古文にはあまり出番はないと思います。出番どころか、全く使わなくても問題ないかもしれません。
では、どこに需要があるかわからない「つ」「ぬ」のなんちゃってルールの運用について、具体的な解説に入っていきますね。
ただし、とんでもなく長くなりますので、全体で三分割することにしました。解説は以下次号ということで、どうぞよろしくお願いいたします。
導入の最後として、しつこいですが、念のためにもう一度、なんちゃってルールを貼りつけておきます。
*「ぬ」の使い方……完了であり、かつそれが必然であると思うならば、「ぬ」を使いましょう。
*「つ」の使い方……完了であり、かつ別の可能性や他の選択肢があると思うならば、「つ」を使いましょう。
【注25】
私がチェックした資料の種別と大体の冊数です。
・辞典……数えてません(汗)
・高校古文参考書……十冊くらい
・高校古文副読本……三冊
・俳人や歌人による解説書……四冊
「つ」「ぬ」の使い分けの説明を放棄している率が一番高いのは、高校生用の参考書です。書いてある場合も、私のくじ運が悪かったのか、内容は全部論外でした。受験生の皆様のためにも、良い参考書の書き手の出現を心から望んでおります。
高校国語の副読本では、助動詞の活用表のところに小さな字で掲載されていました。ただし、全部内容が食い違っております(笑)。しかしながら、私の手持ちの三冊(総覧、便覧、要覧)はどれもお下がりで古い本につき、最近の学習指導要領に基づいて作成された副読本については、確認できておりません。
俳人や歌人の方々による解説書は、辞書に比べると説明は親切ですが、信頼性には欠けますので――このエッセイと同じですね(笑)――ご注意ください。絶対に単独で使ってはいけません。
【注26】
『日本国語大辞典 第二版』(小学館)ジャパンナレッジ(http://japanknowledge.com/)
【注27】
『日国』以外では、次の二冊が非常に好対照で興味深かったです。よろしければ、読み比べてみてください。
『岩波古語辞典』大野晋、佐竹昭広、前田金五郎 編(岩波書店)※縮刷版もあり
『古語大辞典 コンパクト版』(小学館)※コンパクト版でないものもあり
前者は、巻末の「基本助動詞解説」第三類の解説がお勧めです。他の辞書と違って、結論だけではなく論拠もしっかり掲載されているので、読みごたえがあります。国語学というのがどういう学問なのか、そのアプローチが垣間見えるのが面白いと思います。
後者は語義で完了を「~てしまった」と訳している点が全くいただけないんですが、「つ」の方の語誌は面白いです。まず定説がないと断った上で、代表的な説を七つ掲載。私が確認した範囲では、一番説が多いのがこれです。
ちなみに小学館の辞書では、手持ちの『全訳古語例解辞典 第三版』でも内容を確認しましたが、『日国』も含めて全部説明が違うんですよ。同じ出版社の辞書なのに……。「つ」と「ぬ」に定説がない、という問題は、ここまで根が深いということですね。
【注28】
出典は【注24】と同じです。
【注29】
「つ」「ぬ」の使い方に癖がある文体で、私がすぐに思い当たるといえば、上田敏の訳詞集『海潮音』と森鴎外の「舞姫」あたりでしょうか。
前者は「ぬ」が妙に多かった印象があります。後者は、「つ」も「ぬ」も多いだけでなく、通常の文体よりも「つ」の割合が明らかに高いですね。
しかしながら、こういったアクロバティックな文体は、日本語の書き言葉が激変した明治という特異な時代の天才だからこそ書けてしまったわけです。普通なら破綻します。
現代に生きる一般人は絶対に無理な荒技ですので、くれぐれも真似をなさいませんように。