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孤独の都~空に陽はあり月はなく~  作者: 紫鱗
第一章 不可視
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第五話

 「ただいま」

 帰宅の挨拶は、誰の姿も見えないリビングにこだました。

 右手でポケットから2枚の銅貨を取り出して食卓の上に置く。そして左手でつかんでいたふたつの革袋は台所のまな板のそばに置いた。

 それから、自分の部屋に戻ろうとしたところで食卓の上に付箋があることに気づく。僕はまたお使いを頼まれるのかな、と付箋を手に取って読んでみる。

 ――二軒のお店で探してきてくれたのね、ご苦労様。これでお父さんの誕生日の準備ができるわ。ありがとう、私の息子。お釣りの銅貨は持っていきなさい。


 付箋に書かれていたのはお使いに対しての労いの言葉だった。ところが、付箋の下の方、労いの言葉から一番遠い位置にもう一言、小さく一文が添えられていた。


 ――ところでチョコレートはおいしかった?


 優しい文章だが、それは僕の心に鋭い刃物を突き立てられたかのような感覚を与えた。

 つまみ食いをしたところを見られていたのか、それとも母さんは売り出されているチョコレートの量を知っていて、減っているのに気づいたのか。いずれにせよ、この短い文章は僕の心を揺さぶるには十分過ぎた。さっき口にしたチョコレートの甘さの余韻などすっかり消え失せてしまった。


 「ごめんなさい」


 そう一言呟いて僕は2枚の銅貨をつかみ取り、その場から逃げるようにして足早に自分の部屋へと向かった。


 部屋に入り、扉のある面の壁に打ち込まれた右側のフックに掛けられた青白い外套を手に取り、左の壁に沿って据えられたベッドに腰掛ける。お腹は空いているけど、今の僕にはリビングに出るほどの勇気はない。

 僕はベッドに仰向けになって横たわり、枕に頭を乗せて先ほど手に取った外套を体に掛けて天井を見上げる。外套は肌着ほどの薄さにもかかわらず、まるでこれ自体が温かさを持っているかのようで心地よい。頭上には両開きの窓が少し内側に開けられていて、外の光が室内を照らしている。

 右手に握りしめていた銅貨2枚のうち1枚は枕の横に置いて、残りの1枚を天井にかざし、川辺で銀貨を空にかざしたときのことを思い浮かべた。

 空には一番明るいところがあって、それがある限り昼は明るいのだろうか。僕は右手を下ろし、明るさについて考えを巡らせてみた。

 窓から入ってくる柔らかな明かり、空に見えるとても力強い明かり、聖堂のランプの灯の弱々しい明かり、そして聖堂の門を内側から見て左上に揺らめいていた白くゆらめいていた明かり。


 そうだ、あの明かりは何だったのだろう。


 僕は聖堂で今まで見たことのない白い明かりのことを思い出した。

 近づいたところで壁に溶け込むように消えてしまった白い明かり、あれは……何。


 気が付くと辺りは真っ暗になっていた、どうやら眠ってしまっていたらしい。

僕の体を覆っていた外套がうっすらと明かりを放っていたので、外套を手に取って歩き、ベッドから反対側の壁沿いにある机に置かれたカンテラまでたどり着くことができた。


 カンテラの右下側面には、ばね付きのレバーが付いている。これをぐいと下に押し込むと、レバーとつながっていて、カンテラ内に通された太い針金がカンテラのガラス面の方へとぐっと動く。針金の先端には針金よりも頑丈そうな平べったい銀色の金属が取り付けられている。

 レバーを離してやるとこの銀色の金属がカンテラ中央そばにある黒い石にこするようにしてぶつかり、火花を散らす。この火花がカンテラ中央に飛び込むと火が灯るという仕組みだ。

 一度では火が灯らないこともあるので、そういう時は何度か引き金を引いてやればよい。


 火を灯し、机の右上にあるフックにカンテラを吊るし、手に持っていた外套は椅子の背もたれに掛けた。


 このとき、僕は父さんの誕生日祝いのことを思い出した。つまみ食いの後ろめたさはしばらく寝ていたおかげでどこかへ行ってしまったようだ。


 僕は質素な木の扉を押し開け、リビングへ向かう。

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