コーラス・ミサ
ドロシーが駆けつけた時には既に零は息を引き取っていた
伊奈が零の身体を支えていた
鍛えられた腹筋に突き刺さった一本の剣ーーー
その周りには赤い血が流れていた
何の感慨も無かった
そしてその横には零との同調装置である共鳴剣が堕天使の彼の身体を突き破っていた
そっと彼のそばにひざまずいて共鳴剣を抜く
その瞬間零のその時の状況・心の動きが剣を通して伝わってきた
「そう・・・」
ぽつりと呟いて伊奈の膝の上で動かなくなった零に眼を移したーー
「天使、悪いな」
零の最後の言葉だった
零は最後にドロシーに謝ったのだ
死んでしまったことかーー
置いていってしまったことかーー
ここの自分の死のせいで呼んでしまったことかーー
それは天使であるドロシーでもわからなかった
本人だけが知ることだった
それでも彼は謝ったのだ
その真意を聞きたかった
「天使さん」
「ん?」
伊奈の小さな声に反応した
顔を見ると完璧な無表情だった
吹雪が背中に見えたような気がした
今まで零の方に顔を向けていたためわからなかったが、とても怖い表情をしていた
それはいつも飄々としている伊奈には似合わない表情だった
こんな時だが、
(勿体無い・・・)
そんな事を思ってしまった
「何?伊奈ちゃん」
「お願いがあります」
それはお願いするというよりも半分強制のような言い方だった
零の共鳴剣からは次々と情報が伝ってくる
ここでの戦いは伊奈に大きな心労を与えたようだった
(かわいそうに)
「何かしら?」
言おうとしていることはわかっている
それを止めなくてはいけないのもわかっている
しかし先へと促してしまった
(自分の悪い癖だ・・・)
弱い者を見ると助けたくなる
よくもわるくも天使としての正しい血が流れているのだった
「零を助けてください」
零を助けるーーー
「意味をわかって言っているのかしら?」
「はい」
即答される
「ならばわかるはずよね、死は何を意味するものなのかぐらい?」
そう
伊奈ならわかっているはずなのだ
戦場を長年渡り歩いている彼女には
「無から有を生み出す・・・」
(!?)
表情にはださないが小さな衝撃を受ける
「零が言っていました、俺の相棒はそれが出来るのだと。闇ではなく光を生み出しそれで全てを輝かせるのだと」
「・・・」
自分はそんな事を零に言った覚えはない
しかし零はわかっていたらしい
私が異常だとーー
(無から有を生み出す・・・か。いい例えを思いついたわね)
確かに自分は闇ではなく光を生み出す存在だ
古来より魔法は闇を掌握してきた
そして魔法は闇を基盤として作られた
だから闇の魔法だったがーー
何の因果か自分は光の存在らしかった
光を生み出し無から有を生み出すーー
それが出来る天使だったのだ
異端者扱いもされたがそれでも自分には仲間がいたのだ
だからその光はもちろん闇の魔法も使わなかった
しかしここの飛んできたように自分はこの世界にいる魔法使い如きの魔法は優に超えることが出来る
一般の天使が魔法を使えなくなるのは高魔術師の場が張られるからだがその魔術師を超える魔法を使えばそれは関係なくなる
天使の最高位でもドロシーには敵わない
(生み出す存在か・・・)
今まで意識したことのない事だった
開き直ったーー
ここまで飛んできたのも禁忌である魔法を使ったのだ
人の1人や2人ぐらい生き帰らしたとしても状況を左右するほど大きな事が起こるわけではない
先程から仲間が心の中からさかんに呼びかけてくる
「止めろ!ドロシア」
「馬鹿か、人間などに構ってどうなる!」
「姉さん!止めろ。姉さんまで・・・」
最後に懐かしい声を聞いた
最近戦場にとどまっていたせいで会えなかったのだ
その他は・・・訂正するーー仲間ではなくただの同種族だったいうだけだ
『人間などに・・・』
こんな言い方をする奴を仲間とは認めないーー
通信の受信を切ってしまおうとした時ーー
「ドロシア、聞こえるか?」
(・・・)
少し黙ってから反応する
「ええ、聞こえるわ」
「皆がお前を止めろと私に泣きついてきてな、うるさくてたまらん」
相変わらずの率直な物言いに苦笑する
「それはごめんなさい」
「本気か?」
「ええ」
「そうか」
「止めないのね?」
いたずらっぽく尋ねる
「止めても無駄だろう?」
「ご名答、よくおわかりで」
実によくわかっている人だった
(そういえば・・・初めて私の孤独をわかってくれたのはサミさんだけだったな・・・)
ぼんやりとそんなことを思い返す
「秋人は?」
「殺られたらしいわ」
「そうか」
ドロシーも今まで零の状態はわからなかった
仕方ない事だ
「上手くやれよ」
「そうね」
この人にしては珍しく少しふざけたような激励をされる
「ごめんね」
「いや、私の力不足だ」
「そう?みんなそうよ」
「幸運を」
「お互いね」
そう言いお互いに通信を切る
零に向き直った
心の中に嫌な気配が近づいてくる
「何?」
ぶっきらぼうにそこに現れた彼に言い放つ
「お前は禁忌を起こそうとしているのだぞ」
「それで?」
「もしお前がその力を行使したならばお前を野放しにしておけんな」
「勝手にして」
「我々の力を侮るなよ、ドロシア。我々神が力を合わせればお前を封印する事も可能だ」
「さすが神様ね」
皮肉の口調で言う
「今回はお前の勝手も見逃せない、人間かお前だ、どちらを選ぶんだ?」
事実上の警告だった
「私はね、あなたのそういう所が嫌い」
「天使の分際で調子に乗るな!貴様は所詮天使に過ぎん!」
「だから?」
「・・・」
「消えろ、目障りだ」
普段のドロシーを知っているものからすればその光景は異常だった
滅多な事で怒る事のないドロシーが今や絶対零度顔負けの吹雪で自分より上位の神に向かって逆らっている
ドロシーの無茶は日常茶飯事だがこれほどの禁忌を犯すような真似はしなかった
さりげなく触れては不覚に引くといった方式で神の追及を逃れていたのだ
しかし今回はーー
ドロシー史上・・・いや天使史上の最大の禁忌をしようとしている
死者を蘇らせるーー
それは自然の摂理に真っ向から反する赦されていない行為だった
「ドロシア!」
神である自分の主からに怒声が響く
「うるさい、私の勝手だ」
「いい加減にしろ!」
「消えろ」
そう冷たく言い放ち心の中から絶対神である彼を自分の心から追い出した
全神経を一箇所に集中させる
ドロシーの魔法はただで使えるものではなく身体を大きく代償とするものだった
使ったあとは大きく身体を消耗する
その間にドロシーを封じると彼は言ったのだった
普段使うような低俗な魔法では力を消耗しないが、高魔術になればなるほど消耗が激しくなる
その為精神統一が必要になるのだった
外界との接触を完全に打ち切った
これでドロシーの周りは無になった
漆黒の中でひとりぼっちだ
(零ーーー)
零と同調をする
(応えてーー)
返事がないのはわかっているがそう呼びかけてみる
もちろん返事はない
零には悪い事だが零を復活させるために零の記憶と同調するーーー
(!?)
信じられない記憶が見えた
漆黒の闇が大きくねじ曲がる
精神統一が崩れたせいだが、そんな事に構っていられなかった
(何故?どうして言わなかったの!)
頬に一筋の涙が流れ落ちる
止まらなかった
止めようとしなかった
(零・・・)
零の実戦慣れの理由はこれだったのだ
(あなたは・・・何故・・・)
その時闇の中に一筋の小さな光が生まれた
(無から有を生み出す存在か・・・)
確かにその通りだった
あれは希望の光だ
長い時間零と同調し精神をすり減らしたせいか疲労が大きい
これ以上の記憶を辿るのは危険だった
(ここまでか・・・)
徐々に近づいてくる光に手を広げる
やがてそれは光の球となってーー
両手を合わせた上に浮かんだ
神々しい光だった
「ごめんね・・・零」
零と同じーー
最後になるであろう言葉を呟いて眼を閉じた
光の球が砕け散り新しい光が広がった
伊奈は背後の空気が変わったのを敏感に読み取り背後を向くとーー
黙りこくっていたドロシーは涙を流していた
(どういう事ーー?)
すると
「ごめんね、零」
(何故謝る?)
そんな事を無表情で考えていた
その時ーー
膝の上で息を引き取っていた零に何かが宿った
(!?)
光が見えたーー
錯覚ではない
(希望の光ーー)
誰に言われたでもないその言葉を口にしていた
そしてーーー
ドロシーは生きている人間(もともと人間ではないが)ではあり得ない倒れ方で倒れた