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魔導師がユメみたセカイ。  作者: 津森太壱。
【魔導師がユメみたセカイ。】
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02 : この目に映る世界は。





 怪我が癒えてからの日々は、イーヴェとの、対面での一般教養から始まった。文字を覚え、書く練習から、文章の構築、言葉の遣い回し、数字を使っての計算、容積の量り方、動植物の成長法則など、学校という貴族が通う場所で教えられるものすべてを、イーヴェに叩き込まれた。憶えられなくてつらいこともあったが、憶えると見ているものすべてが理解できるようになって、楽しくてならなかった。嬉しくてならなかった。だから、カヤはイーヴェとの対面の勉強が、嫌いではなかった。むしろ、のめり込んでいった。

 そして、魔導師の力を引き出す訓練もまた、同時進行だった。とはいえ、それまで無意識的に使っていたこともあったようで、当たり前のようにやってみせると感心されることがたまにあった。


「もっと学びなさい。たくさん、吸収しなさい。その分だけ理解が広がれば、ほかにも理解できることが増えてくる」


 イーヴェは厳しかった。けれども優しかった。容赦なく魔導師の力を揮うことともあれば、温かくて美味しい食事を与え、ときには面白おかしい昔話を聞かせてくれた。


 親というものを知らないカヤにとって、イーヴェは、時間が経つにつれ、親のような存在になっていった。


「イーヴェ」

「術式の構築中に無駄話とは大した度胸だ。なんだい、カヤ」

「これくらいどうということはない。あんたに訊きたいことがある」

「面白いくらい力のある子だね……なにを訊きたいのかな」


 その日、カヤはイーヴェに教えられた、錬成陣を使っての力の発現を試みていたが、あっさりと錬成陣を使いこなしてしまうと、それを消してイーヴェを振り向いた。


「あんた、ずっとおれの面倒を看ているが、仕事はしてないのか?」


 カヤはずっと、イーヴェの住まいだというところで、世話になっている。ふたりきりでの生活は、慎ましく静かで、穏やかだ。だが、カヤがイーヴェに拾われるまでそうであったように、人は働かなければ生きるためのものを得ることができないようになっている。カヤは働くよりもまずイーヴェによって教育を施されているが、それならイーヴェは働きに出るのがふつうだ。しかし、イーヴェはずっと、仮住まいだというこの家から出て行こうとしない。つまり、働きに出ていないのである。


「わたしは魔導師だよ。魔導師であることが、わたしの仕事だ」


 魔導師とは、ひとたび天災が起これば問答無用で借り出され、また、その被害を最小限に留めるべく研究を重ね、日々調査のために各地へ派遣されると聞いた。

 イーヴェはここでなにをしているのだろう。調査のようなことをしているふうでもなければ、ただカヤに教育を施しているだけだ。


「ああカヤ、ちょうどいい。雨が降ってきたようだよ」


 ふと目を窓の向こうに向けたイーヴェに、このところ雨が降るたびそうされるように、暗黙の命令を受ける。

 カヤは、なぜか雨の日は、イーヴェによって容赦なく外に放り出されている。雨が降り出しそうな日も、イーヴェは無言でカヤの襟首を掴み、外に放り投げる。そして、扉という扉の鍵を閉め、窓を閉め、カヤを絶対に家に入れない。けれども、不思議と、そうやってカヤが外に放り出されても、雨に濡れても、長くて数十分、短ければ数分で、閉ざされた家の中に戻れた。

 今日もまた、襟首を掴まれ引き摺られる。


「おい、放せ。自分の足で行く」

「もはや恒例行事だ」

「やめろ。首が苦しい。服が伸びる」

「ほら、お行きなさい」


 イーヴェよりもまだまだ小さい身体は、呆気なく外に放り出され、降り出した雨を浴びた。汚れるよりもなによりも、軽々と持ち上げられ放り投げられることのほうに、カヤはひどく不快感を思う。

 泥に汚れた手のひらを見つめて、ため息をついた。

 自分の手のひらは、イーヴェに比べると随分小さい。それでも、こんな小さな手でも、働けと言われたらどんなことでもした。小さくても、働くことに不自由しない程度には、役に立った。


「……おれはまだ子どものままか」


 イーヴェに、歳を訊かれたことがある。九つだと答えたら、嘘だろうと言われた。嘘なわけがない。産まれたときから数えている、九つの歳を超えたと言ってやったら、珍しくイーヴェは驚いていた。どうやら、産まれたその瞬間からの記憶を持つというのは、一般的にあり得ることではないらしい。赤ん坊の頃の記憶は、ほとんどが、忘れられてしまうものだという。だから憶えているなんてことは滅多にないのだそうだ。

 そろそろ十歳となるが、産まれたときからは大きくなっても、まだまだイーヴェには届かない手のひらに、カヤは息をつく。

 頬に落ちてくる雨に不愉快を感じて、無造作に腕で拭った。泥で顔が汚れたが、洗えば汚れは落ちる。イーヴェは汚れるのが嫌いだから、二日に一回は必ず沐浴する。逆にカヤは、汚れているのが当たり前だったから、イーヴェに無理やり引っ張られない限りは沐浴しなかった。それでも、そんな毎日に慣れてきている自分がいる。


「今日はなにを思案しているのかね……?」


 もはや聞き慣れた声音に、カヤは顔を上げる。

 いつのまにか雨は止み、晴れ空が広がろうとしていた。天気が悪いとき、カヤが外に出ると、必ず雨は止む。今日も、その現象は十数分で起きたようだ。


「おれはまだ小さい……」

「当たり前だろう。まさか、自分がおとなだと思っているのかい?」

「いいや……ただ、この手のひらが、小さいままなのはいやだと、思った」

「そのうち大きくなる。おまえ、ここに来てどれくらいが経ったと思っているのだい?」

「半年くらい」

「その間に、おまえは確かに、成長している。子どものうちは子どもでいなさい。早くおとなになろうとする必要はないよ」


 玄関の扉を開けたイーヴェが、おいで、と手招きする。服についた汚れを落としながら立ち上がると、カヤはイーヴェの手に招かれるまま、家に戻った。


「沐浴しておいで」


 たまに思う。イーヴェは、自分を沐浴させるために、雨の日は必ず外に放り出すのではないかと。


「……イーヴェ」

「なんだい」

「おれは、このままここにいて、いいのか」

「なにを今さら。わたしは言ったはずだよ。おまえにわたしの名を継がせるとね」


 この生活がいつまで続くかなんてわからない。イーヴェの気紛れかなにかで拾われたカヤは、カヤと名づけられても、この生活に慣れても、いつかまた人間としての生き方を失う可能性がある。考えたくもないと思っている自分に、随分と贅沢になったものだと思ったが、それならこの生活を護ればいいのだと、漠然とした願望が湧き上がる。

 雨の日に必ず外に放り出されようとも、それは出て行けと言われているわけでも、二度と顔を見せるなと言われているわけでもない。必ずイーヴェは雨上がりにカヤを迎えにくるし、その後は沐浴させるために浴室に放り投げ、そうして温かい食事を与えてくれる。

 これほど穏やかで静かな生活を、今まで経験したことがあっただろうか。それを得て、手放せるほど、カヤは人間というものを捨てたわけではない。

 業が深くてなんだ、と思った。

 生きたいのだ。

 産まれた限り、生きることをやめたくはない。


「なんであんたは、おれに名を継がせたいんだ?」

「今は知らなくともよい。そのときがくれば、自ずと理解しよう。だから、おまえは利用しなさい」

「利用?」

「わたしはおまえが愚かであるとは、一度も思ったことがないからね」


 カヤの心に潜んだものを読みとったかのように、イーヴェはその無表情にうっすらと感情を乗せる。


「わたしを存分に利用し、得たいと思ったものを得るがいいよ。そして……」


 はっきりとした笑みを浮かべたイーヴェが、黒っぽい双眸の奥に、仄暗い光りを宿らせた。


「わたしを殺すがいい」


 望んでいるのだと、主張している双眸だった。


「……死にたい、のか」


 思わず問うと、イーヴェは笑みを深めた。


「いいや」

「なら、なぜそんなことを言う」


 微笑みながら言うことではないのに、さらに笑みを深め、問いに対し否定する意味が理解できなかった。


 けれども。


「あの日……」


 と、イーヴェは廊下の窓から晴れ上がった空を見上げた。


「レヒテンが、わたしを置いて逝った日……わたしの世界は白と黒に覆われた」


 ぼんやりと呟かれた言葉に、軽く目を見開いた。


「世界の美しさを、わたしはもう二度と、目にすることはないだろう。この目は、レヒテンのいない世界を、拒絶したのだから」


 それは、イーヴェの黒っぽい双眸が、色を失っているのだということを肯定する言葉だった。


「おまえもいずれ……そうなるのだろうね」


 視線をカヤに戻したイーヴェは、色彩を手放してしまった双眸を細め、カヤの頭に手のひらを置く。


「まだ見えるのかい、カヤ」


 そう、訊かれて。

 まさか気づかれていたとは、思わなくて。


「なぜ……」

「見えているうちに、世界の美しさを、知っておくといい」


 このところ目に覚えている違和感の正体が、崖から転落したときに負った怪我による後遺症なのだということを、イーヴェに教えられた。


 そして。


「まあ、世界の美しさを真に知ることができたとき、おまえは絶望するかもしれないがね」


 見ろと言っているのか、見るなと言っているのか、わけがわからないイーヴェに、そっと頭を撫でられた。


「だからいつか、わたしを殺しておくれ、カヤ」

「……なぜだ。なぜ、そんなことを」

「この目に映る世界は、美しくない。それが、悲しいからだよ」


 死を望みながら、死を拒絶し、だが世界への悲しみを知った双眸は、瞳の奥にずっと、仄暗い光りを宿し続けた。

 それが、出逢ったときに感じた畏怖の正体、だった。







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