12 : 描いたミライ。3
「ヒュー!」
大雨が、ヒューの仕業であろうことは、わかった。いつまでも止まず、轟く雷鳴は、ひどく悲しげな泣き声だ。
「ヒュー、どこにいる!」
行方不明となったヒューは、魔導師団棟のどこかに、いるはずだ。
カヤは泣きながらヒューを、兄を探した。ヒューの師である楽土の魔導師アノイも、魔導師団長ですらも、消えたヒューを探して走り回っている。
止まない雨がヒューの仕業で、それはヒューの異能が暴走したことを意味していたから、危険な状態にあるのは間違いない。
だから必死に探した。
泣きながら、兄を求めた。
イーヴェの、師であり父であるひとの死を、そばで一緒に悲しまなければならなかった。
でなければ描いた未来を恨みそうになる。
「ヒューっ!」
大きな声で叫んで、そうして、少しして。
「きこえている」
不思議な聞こえ方がした。けれどもそれは、確かに探しているひとの声だった。
「ヒュー、どこにいる!」
周りを見渡す。ヒューの姿はない。けれども声が聞こえた。雨の音に混じって、確かに聞こえた。
「ヒュー……っ」
「あめ、ひどいな」
「ヒュー! どこにいるんだ」
「すま……ない」
声が、雨を通しているとわかったのは、声がぶれたような音を奏でたからだ。
やはりこの雨はヒューが降らせている。
教えろ、と天を睨んだ。
ヒューがどこにいるか教えろ。
怒りをぶつけるがごとく天を睨み、そうして雨脚が弱まったとき。
「ヒュー……?」
雨が、水の粒が、ヒューの居場所を教えてくれた。それは呼ぶように、誘うように、カヤに知らせてくる。
魔導師団棟の前を横切り、雑然とした林を抜けた先に、その姿はあった。
「ヒュー……っ」
全身を雨で濡らしながら、それでもヒューは凛と立っていた。カヤの声に気づき、ちらりと振り向く。
「おかえり、カヤ」
それはいつもと変わらない、ヒューのらしい淡い微笑みだった。
カヤはふらふらと歩み寄り、その腕を掴む。カヤよりももっと長い時間、外にいたのだろう。そうして雨に打たれていたのだろう。ヒューはひどく冷たくなっていた。頬には赤味もない。それなのに、なにごともなかったかのようにカヤに微笑む。
「ヒュー……」
「あのひとが死んだな」
ぎくりとする。カヤに、ヒューに対する不安を感じさせたのは、自身も世界の崩壊を感じたイーヴェの死だ。
「救えなかった……」
ヒューは視線をカヤから、そこから見える城下へと移した。
「もう少し早くに気づいていれば、救えたかもしれないのに……救えなかった」
「ヒュー……」
「死なせてしまった……すまない、カヤ」
「謝るな。謝ることではない」
「ああ、うん……悪かった」
「違う……っ」
城下を見渡すヒューの双眸は変わらない。目許も、口許も、いつもと変わらない。それが逆に不気味で、いやこれを不気味に思わないほうがおかしくて、カヤは臍を噛む。
「カヤ、だいじょうぶだ。わたしは、だいじょうぶだから」
「そんなわけあるか」
「いや、ほんとうに。言っただろう、わたしは諦めている身だ。なにも悲しいことなんてない。もう、ずっと前に、終わっている」
「おれが悲しいのに、ヒューが悲しくないわけがない。嘘をつくな。虚勢を張るな。おれの前で、そんな……」
大雨を降らせるくらい、動揺し、悲しみ、戸惑っているくせに、そんなことはないと嘯くヒューがいやだった。
「カヤ」
振り向いたヒューは、悲しげながらも、微笑み続ける。
「あのひとのために、ありがとう」
ぽんぽん、と頭を撫でられた。
そのあまりの優しさに、気遣いに、もう涙を抑えていられなかった。
「…っ…イーヴェが死んだ」
「ああ」
「おれが、殺すはずだった」
「ああ」
「殺さない未来があった」
「ああ」
「描いた未来が、夢が…っ…あったんだ」
嗚咽に唇を噛む。ヒューの腕にすがって、声に出さないようにするだけで精いっぱいだった。
「ありがとう、カヤ。きみがいてくれたから、あのひとは、最期は幸せそうだった。きみのおかげだ」
「だが……っ」
「カヤ、あのひとは呪術師になっていたよ」
「な……っ?」
「だが、だから、最期は笑っていた。許してやってくれ」
見上げた蒼い双眸は、姿勢がそうであるように、凛としていた。
「あのひとの死を、許してくれ」
懇願する双眸に、否やなんて言えない。それがヒューの覚悟ならなおさら、カヤにそれ以上のことを言葉にするなんてできない。
「ありがとう、カヤ。きみが泣いてくれて、ほんとうに、よかった」
ヒューを心配していたのはカヤだったのに、それ以上の心配をヒューはカヤに持っていたのだろう。
頭を抱いて引き寄せられ、未だその背に届かず胸に、カヤは顔を押しつけられる。ヒューの冷たい身体から、確かな鼓動が聞こえた。それは随分とゆっくりで、温かだった。
「ヒュー……っ」
「だいじょうぶだ。あのひとは、確かに幸せな時間を、きみと過ごしたのだから」
軟らかな声に促されて。
温かな鼓動に誘われて。
その日、カヤは初めて声を出して泣いた。
「イーヴェえ……っ」
「ん。悲しいな、寂しいな、カヤ」
初めて自分を無条件で愛してくれたひとを失って。
そうして漸く、本当の意味で、イーヴェの悲しみの深さを知った。
七日七晩、降り続いた雨は。
全土に潤いをもたらし、水害を引き起こすことはなかった。
大魔導師最期の恵みと言われた大雨は、けれどもその実、大魔導師の息子の力によるものであったなど、誰も知らない。
遺児は、これまでがそうであったように弟子だけとされ、実子の存在は掻き消された。それは本人の願いだったという。
白い髪と森色の双眸の魔導師は、各地で目撃されるようになった。ふらりと現われ、ふらりと消える、表情のないその魔導師が大魔導師の遺児、堅氷の魔導師であることは、目撃される回数が増えたことによって広まった。巷では万緑の神カヤディナインの化身だと噂され、それに違わぬ強大な力を、恐れられることに怯みもせず人々に見せたという。
そして王城下で灰色の魔導師が目撃されるようになった。犯罪者の前に現われ、裁きをくだす断罪の魔導師として、ときには問答無用で流血沙汰にし、罪人を葬った。静かな蒼い双眸を持っていた灰色の魔導師にはそれ以外の特徴がなく、しかし常に喪に服した黒衣を着用していると判明してからは、黒の死神と呼ばれるようになったという。