修正の力 改稿
全ての元凶であったアルフレッドの身体が滅びると、マーサは泣き崩れながら、徐々に指先から黒い塵となって行く自分の両手を見つめた。
黒い塵は、やがてアルフレッドを呑み込んだ闇へとスパイナルとなって吸い込まれて行く。そうして徐々に巨大化して行く黒い塵の塊。
マーサは狂った様に、笑い出すとジャンヌ達の方を見て呪いの言葉を放った。
「傀儡師の血は途絶えても、それに関係して来た人間には、傀儡師自ら種を植えるのさ。欲望と言う名の不老の不死の種を。あははははははは」
マーサは渾身の力を振り絞り、自分の身体の中に隠していた緑の魔石を粉々に砕いた。
これで魔王復活を阻止する者はいない。
今、魔王が2人の傀儡師の魂を喰らい、黒い欲望の渦が神殿の中で蜷局を巻くように渦巻いている。
渦の中に、様々な人達の顔が垣間見える。
その中には、あのバトラー伯爵もいた。
そして、ガンマ、シャロンの顔も其処にあった。
多くの人達の魂を食らった黒い欲望の渦は、ゆっくりと人の形に変わって行く。やがてそれは、1人の男性の姿を象った。
それは、サシュルートの歴史書には、欠かせない人物。
冷酷非道で全ての権力を我が物にしようと欲した愚王。
彼の名は、フレデリック王その人だった。
顎のラインで切りそろえられた茶色い髪、ギロリとした緑色の瞳、気難しそうな鷲鼻、口元にはヒゲを蓄えていた。
それは魔王と呼ばれ、恐れられていたフレデリック王、その人であった。
「フレデリック王...」
ガゾロが、一歩ずつ後ずさりをすると、フレデリックと呼ばれたその人物は、口角をやや上げると、ガゾロに向って息を吹いた。
すると、フレデリックの口から出て来たのは、息ではなく幾千本もの長く細い針だった。
全ての針が、ガゾロの身体の至る所に刺さると、ガゾロは、針で刺された目で双児の王子達の身を案じた。
「王子達よ...。お逃げ下され。これはもう、あなた達が敵う相手ではございません。どうか、お逃げ下さい」
ジャンヌは、血だらけになってでも、その場に立ち尽くすガゾロの姿を見て震え出した。
私は、この世界の破滅を止めるために生まれて来たのに....。
どうしたら...いい?
その時、ジャンヌの胸の奥深くに眠っていた大ジージが、ジャンヌに話しかけた。
《ジャンヌ...ジャンヌ.... お前とワシの魂を1つにすれば、緑の魔石が出来る》
どこから声が聞こえて来るのか分からず、ジャンヌは当たりを見渡すが自分達以外誰もいない。
《ワシは、お主の身体の中にいる》
こうなったら、一か八かやってみるしか無い!そう思ったジャンヌは、自分の胸の中に水晶玉として入れられていた大ジージの魂を引き出した。
魂の融合の術は、まだジャンヌも習った事が無い。だが、今それを瀕死の状態で耐えているガゾロから聞き出す事など出来やしない。
なら、以前ディートリッヒが自分に教えてくれた様に、心が思うままにやってみるしかない。
自分とこの水晶玉に閉じ込められている魂との融合を心の中で強く念じた。
大ジージーを閉じ込めていた水晶玉が割れると、その中の緑色の光がジャンヌを包み込む。
すると蒼の光と緑の光が融合した。
光が収まる頃になって、ジャンヌの手の中には二つの大きな緑の魔石が握りしめられていた。
これは、もう1人の自分の魂ーーーーー大ジージの魂とジャンヌの魂の一部が融合した色だった。
魔剣の力を使い、深紅の魔石が吸い寄せられる様に、ジャンヌの周りを回っている。
もう、考えている時間はない。
どんどん黒い塵は、この世界中から集まりつつある。
そして、巨大な闇の力が復活してしまう。
その前に、もう二度とこんな悲劇を起こしてはならないと心に決めたジャンヌは、ガゾロにとどめを刺そうとしていたフレデリックの背後から、自分自身を剣と変化させてフレデリックの身体を真っ二つに引き裂いた。
ジャンヌは、もう何も考えなかった。
双児の王子達の事も、マーサの事も、ただ今は目の前の敵を倒すのみ集中していた。
闇を引き裂くような断末魔が、神殿の壁や天井を揺らすと、亀裂が入って来た。
フレデリック王の身体が散り散りに消えて行くと、辺りは一面真っ白の世界となった。
今まで黒の世界だった物が、透き通るような白い光に浄化され、綺麗な白い光の粒になると天へと上って行った。
ガゾロは、2人の王子達がジャンヌに駆け寄っているのを見ると、地面に膝をついた。全身から血が噴き出して来るが、それを何とか止めようと、蘇生術を施した。
ガゾロの傷が癒えて来た頃、2人の王子達は、狂った様にジャンヌの名を呼び続けた。
アウグストとディートリッヒに抱き締められていた少女の腕が、だらりと腕が力なく落ちると、2人の王子の嗚咽を上げる声が木霊する。
ジャンヌの身体は既に冷たくなっていた。
魔王がもしも復活していなかったら、ジャンヌは生きれたのだが。
魔王は、マーサやアルフレッドの魔力と邪心、復讐心と言う甘い蜜で復活してしまった。
「ガゾロ!お前なら、ジャンヌを生き返らせる事が出来るのでは...」
一部の望みを込めて2人の王子達が、ガゾロを見つめていたが、ガゾロは首を横に振った。
「申し訳ございません。私には蘇生術は出来ても、既に死んでしまった者を生き返らせる程の強大な魔力は持ち合わせては、おりません」
「そ、そんな!ジャンヌは、出来たぞ!」
「それは、ジャンヌ様だからこそです。ジャンヌ様は、魔王を倒すために生まれて来られたお方です。その使命を漸く全うされたのです」
「ダメだ...。俺は諦め切れない!アウグスト!お前はどうなんだ?!」
「俺だってそうだ」
その時、白い一筋の光がジャンヌの身体を照らした。
ジャンヌの魂を持ったシェスラードが目の前に現れたのだった。
「お前達は、ジャンヌに生きて欲しいか?」
「「当たり前だ!」」
「なら、話は早い。本来ならばいる筈の無かった双児の王子のうち、1人は消える。お前達双児の王子は、2人で一人なのだからな。アルフレッドが、1人の魂を二つに分けたそれだけの事だ。王子達よ目を瞑れ」
「そうすれば、ジャンヌは生き返れるのか?」
「ああ。人1人の命の代償は、高いからな」
そう言うとシェスラードが、2人それぞれの頭の上に手を置いた。ディートリッヒとアウグストの両方の身体が、白い霧の中に消えていく。
そして、1つに融合された魂は、完全なる1人の王子として姿を現した。
銀糸の髪に碧眼のアウグストだった。
彼は冷たくなったジャンヌの身体を触ると、ジャンヌの身体から今にも抜け出そうとしていた彼女の魂を掴んで、ジャンヌの身体の中に押し込んだ。
生気を全て使い果たしたのか、呼吸さえも絶え絶えしている。
アウグストは、口移しでジャンヌに生気を送りこむとジャンヌが、ゆっくりと眼を開けた。
月の光のような澄んだ銀の瞳は、何故か昭点があっていない。
ジャンヌの顔の前で、手をゆっくり左右に動かしたアウグストは、ジャンヌに優しく話しかけた。
「ジャンヌ。見えるか?」
ジャンヌの視界がぼやけて、目の前に誰がいるのかさえも分からない。
「だ...れ? マーサ? 見えないの。何も、見えないの...。ディートリッヒは?どうして彼の声だけが聞こえないの?」
ジャンヌの大きな瞳には何も写さなかった。
シェスラードは、溜息をつくと「私に出来るのはここまでだ」そう告げると天へと帰って行った。
「恐らく、精神的な物でございましょう。ご自分が幼い頃から慕っていらした侍女に裏切られたのと、王子達の命と引き換えに自分が生還した事の罪悪感から来ているのでしょう」
「ガゾロ。私は一体どうすれば良いのだ?」
「アウグスト様。今は、ジャンヌ様の心の回復を待つだけしかございません」
「して、それは何時治るのだ?」
「明日かもしれませんし、もしかすると1年後、または5年後かもしれません。それほどジャンヌ様の心の傷は、大きかったのですよ」
レゼンド王と王妃からは、ディートリッヒの事について何も触れて来なかった。
まるで、最初からディートリッヒの存在その者が無かったかの様だった。
ジャンヌは、レゼンド王にアウグストとの結婚の儀をと言われていたが、虚ろな瞳には何も映らなかった。
今まで、城の至る所に掲げられていた王家の肖像画からも、ディートリッヒの姿は消えていた。
《誰も、彼の事を憶えていないなんて....》
そう思う度に、ジャンヌは自分を責めていた。
あの戦いから帰って来てからと言うもの、毎日の様にアウグストが、別邸に訪ねて来る。
「ジャンヌは?」
「お嬢様は、まだお声も出されていません。まるで死んだような表情で一日横になっていらっしゃいます」
「そうか..」
マーサの代わりなのか、マリアと言う少し年配の侍女が、いつも同じ言葉を繰り返している。
一ヶ月後、サシュルートの別邸では、今日もアウグストがドアをノックしていた。
あの日以来、ジャンヌは外にも出なくなり、歌も歌わなくなった。
心配したアウグストが毎日別邸まで来て、ジャンヌの様子をうかがうのが日課となっていった。
それからまた2年の月日が流れた。
ここは、サシュルートの城内に設置されている教会である。
その教会の祭壇には、長い金髪に碧眼の男性が、青の王室伝統の正装服に身を包み、今か今かと花嫁が入場して来るのを待っている。
教会の扉が開かれると、其処には純白のウェディングドレスに身を包んだジャンヌが、父ベンジャミンと一歩一歩バージンロードを踏みしめて、花婿であるアウグストの所へと近づいて行く。
まだ、視界は完璧に戻ったわけではないが、ジャンヌが受けた心の傷をアウグストは、「君の心の傷は、1人で背負う物じゃない。僕と2人で共に夫婦として助け合い、治して行こう」そう言った。
その言葉だけでも、ジャンヌの心は少し救われた。
ガゾロが、神父役を買って出てくれたので、ジャンヌは声を聞くだけで笑顔になった。
誓いのキスの時に唇越しに、伝わるもう1人の王子の想い。
《大丈夫だよ。ジャンヌ....僕は、必ずまた君に会えるから。だから、哀しまないで》
その言葉を聞いた時に、目の中の白い靄が取れた。
ペタペタと白い手袋越しで、アウグストの顔に触れて来るジャンヌにアウグストは、ニッコリ微笑んだ。
「アウグスト......。見えるの....私...あなたの顔が見えるのよ..」
驚いたアウグストは、ジャンヌを抱き締めるとガゾロの方を向いた。
ガゾロは、ゆっくり頷くと「これで、結婚式もそれから半年後のジャンヌ様の魔法学校卒業式も無事に出来ますな」そう言うと笑っていた。
半年後、魔法学校の卒業式には、それぞれの魔法の帽子を空に向って投げた。空に投げられた帽子を虫鯨達が拾い集めると卒業式は終了となる。
ピンクの虫鯨は、あの戦い以来、出現しなくなった。それは、もう魔王が復活する事も、そして魔王を復活させようとするような輩もこの世界には、もう出て来る事はないと言う意味だとガゾロは、2人に説いた。
自分の息子の死も、親友の死も愛弟子達の死も、みんなそれぞれ意味があったのだと、言葉を噛み締めながら言って来るガゾロに、ジャンヌはただ頬を濡らしていた。
それ以来、虫鯨は各家庭に一匹育てられる様になった。
虫鯨は、携帯電話代わりに使われたり、明かりに使われたり、ラジオ代わりに使われたりと国民からも重宝されている。
アウグスト達の寝室にも、虫鯨がランプ代わりにいる。そんな虫鯨達に微笑みながらアウグストは、ジャンヌを抱き寄せると虫鯨に明かりを落とす様に目配せをした。
それから三年後に、2人に銀髪に碧眼の男児が誕生した。
レゼンド王達は、自分の初孫誕生に目を細めた。
初めは、自分が名付け親になると、言い張っていた。
「若い2人にとっても初めての子供ですよ。親としての初めての仕事は、子供に名を付ける事です」
王妃様からビシッと言われて、スゴスゴと2人の部屋から出て行った。
アウグストとジャンヌは、銀髪碧眼の我が息子を見て、「「ディートリッヒ」」と声を揃えて言った。
この年に生まれた男児の名前の殆どが、ディートリッヒと名付けられた。
シェスラードは、サシュルートの中で親子三人で笑っているアウグスト達を見ていた。
『もう、これでワシの役目は終わりなのじゃな?』
大ジージが笑顔でシェスラードに話しかけて来る。
『ええ。もう二度と魔王は復活しないので、あなたは私とこの世界を守る天使の位に就く事になります。あなたが育った地球へは、戻る事は出来ません」
シェスラードは、笑顔で告げると、大ジージはただ微笑んでいた。
今度こそ、幸せにおなりと水晶の中に映る、三人に声をかけた。
サシュルートは、今日も平和である。
完
漸く終わりました。