故郷ラグーニ
「ラグーニを滅亡させた様にね」
楽しい玩具を貰った子供のような瞳で、篭の中で蠢いている朱色の虫鯨を見て笑っている2人。
ラグーニと言う単語を聞いて、俯いていたガゾロは怒りをあらわにした。
「お、お前達がラグーニーを滅亡させたのか! 私の友を!仲間達を殺したのか!」
嗄れた声が古い神殿の中に響き渡った。
そんなガゾロの事などお構い無しに、マーサは虫鯨の足を一本一本引き千切って行く。
その度に、虫鯨はギィギィと威嚇する音を立てると、羽を擦り始めた。
(な、仲間を呼ぼうとしている。このままではこのサシュルートも第二のラグーニとなってしまう)
ガゾロは、自分の師匠であるトロルの長から貰った杖を使うと、檻を溶かし始めた。
流石に一気に溶ける物ではないので、少しずつしか溶解出来ないが、今はこれしか時間がない。
溶けていった檻は、地に触れると消えて行った。
アウグストは、まだ項垂れているディートリッヒの身体を揺らすと、彼は未だに信頼していた騎士の裏切りから、立ち慣れないでいた。
「ディートリッヒ!アルフレッドは、人間じゃないんだ!人間なら何千年も生きれるわけがないだろ!しっかりしろ!ガゾロと一緒に檻の外へ出るぞ!一気にジャンヌの元へ向うしかないんだ!」
「アルフレッド.....」
「もしかしたら、彼奴はお前に停めて欲しかったんじゃないのか? 例え根絶やしにされた一族の恨みとはいえ、16年もの間ずっとお前の側に居たんだぞ」
ディートリッヒが、心に決めた様に強く頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
三人を閉じ込めていた檻が、完全に消えた頃、ジャンヌの身体からは黒い煙が出て来ていた。
その煙は、手の形となるとジャンヌを捕まえた。
そんな様子を恍惚とした表情で見ていたマーサとアルフレッド。
だが、古い神殿に皹が入り始めると地上の光が一筋の矢の如くジャンヌに注ぎ込まれた。
その日の光に怯んだ黒い巨大な手は、萎んで行くと側に居たアルフレッドの身体の中に入っていく。
『グエッ!』
ひき蛙を足で踏みつぶしたような音を出すと、アルフレッドが床に這いつくばる。
彼の身体の節々から黒い煙がシュウシュウと音を出して、漏れて行く。
その異様な光景にマーサは、両手で口を覆うと跪いた。
アルフレッドの身体の皮膚が溶け始め、ずるりと骨の上に張っていた皮膚のような物が床に落ちた。
「に、人形....」
ガゾロの言葉に、ビクリと肩を震わせるディートリッヒは、カタカタと小刻みに動き出している傀儡となったアルフレッドを見ていた。
アルフレッドの身体の中から、音を立てて緑の魔石が落ちるとそれはディートリッヒの足下近くに転がって来た。
「アルフレッド....」
人形が、関節をゴキゴキ鳴らしながらマーサに近づくとマーサは、彼を抱き締めた。
「一子相伝の術は、己の肉体を人形として変化させ、初代の傀儡師が編み出した術を一族で一番魔力が高い者に受け継がれて来たのよ。私は、彼を....アルフレッドを人間として見て来たわ。例え、ジャンヌを生け贄にして、彼の肉体を取り戻せれば、私はそれだけで幸せだったのよ!」
マーサの告白は、彼女の心の叫びだった。
ラグーニは、マーサの生まれ故郷だった。マーサの家は、代々商家を営む豊かな家だったが、ラグーニを治めていた貴族からの度重なる嫌がらせで、ついにマーサの家は法外な借金を抱えたまま夜逃げする事になった。彼女の両親は、その後 貴族の屋敷の地下牢で死んでいるのを発見された。
マーサは、身売り同然でルチアーノ侯爵の家に連れて行かれ、夜な夜なそこの主人に抱かれた。侯爵は、小児愛用者だった。彼女はその時まだ8才の少女だった。それから6年もの間、地に這いつくばって生きて来た。
彼女に転機が訪れたのは、たまたまラグーニを訪れたサシュルートと言う国のトスポール男爵が、自分の娘の教育係と言うか遊び相手を捜していると言う事で、ルチアーノに誰か良い子を紹介してくれないかと相談して来たのだった。
ルチアーノは、少女としては幾分成長し過ぎたマーサに飽き飽きしていた。
それから、マーサは、トスポール男爵家に仕える様になった。
だが、彼女はルチアーノ侯爵への復讐に燃えていた。侯爵には、4歳になるやんちゃな息子がいた。その子を使って復讐をする事にした。
周りの者の空気を読むのに聡い彼女は、バトラー伯爵がジャンヌを嫁に欲しがっているのを知ると、彼に甘い言葉で自分の言う事を聞けば、ジャンヌを祭壇まで連れて行き、あなたの妻にさせることなど、簡単ですよと唆した。
彼は、マーサの甘い誘惑に誘われ、マーサを自分の養女とした。
マーサは、生前自分の父親が持っていた朱色の虫鯨の化石を蘇らせるために、バトラー伯爵を生け贄にした。
彼の魂は、魔王の中へと取り込まれると朱色の虫鯨が篭の中で息を吹き返した。
ニヤリと笑ったマーサは、それを持って故郷のラグーニへと馬を走らせた。
ルチアーノ侯爵は、不在だったが子供のリュシュカは居た。
そこで、リュシュカに世にも珍しい虫が手に入りましたと言って、篭を見せると彼は喜んでいた。
マーサは、このリュシュカの性格を把握していた。虫も殺さないような綺麗な顔をしてはいるが、父親同様、冷酷な子供だった。
マーサは、自分の屋敷だった場所から少し離れた岩屋に先祖代々隠してある傀儡を見つけた。
一体だけ、とても大きな傀儡は、綺麗な顔をしている。
背中には、呪文を唱える様に書いてあるが、それには多くの生け贄が必要と書いてあった。ならば、今が丁度良い。傀儡を持ち出して、ラグーニから出たマーサは、空を見てニヤリと笑った。
虫鯨が、群れをなして空を飛んでいたのだ。彼らが向う先は、あのリュシュカがいるラグーニ。
初めは、あの屋敷に巣を作り、食べ物が無くなれば、次は街を襲うだろう。
あの強欲な侯爵が蓄えている物などを食べようと思っても後5年はかかるだろう。
そうすれば、私がここに来た事など、この民は憶えている筈も無い。
マーサは、古い本棚の中から一際古い革表紙の本を開くと其処には、ラグーニでも歴史として聞かされたギャマン=ルート一族の家系図があった。
一番最初のページには、ギャマン=ルートの最初の人物である男の名前が書かれていた。
ーーーーーアルフレッド ギャマン=ルート
傀儡師としては、最強を誇る魔術師だったと記されている。
マーサは、本の中に描かれているアルフレッドに一目で恋に落ちた。
彼を蘇らせたい。
ラグーニに侵攻して来たフレデリック王(魔王)とその後を治めたアーサー王に寄って処刑されると書かれていた。
彼を殺したラグーニの民を生け贄に、アルフレッドを完璧なまでに蘇らせる。そう決意したマーサは、呪文を読み出すと、傀儡がやがて人間と同じ皮膚を持った男性となった。全裸ではあったが、それを恥ずかしいとは思わず、むしろマーサを見て目を細めたのだ。
「お前が私の祖先か」
「はい」
「今のサシュルートは誰が治めているんだ?」
「レゼンド王です」
「そうか..。マーサ。私は暫く時を遡る。レゼンド王に双児の王子が産まれた時、私の力はあの城の中でも、揺るぎない物になるだろう。お前が仕えている主人の娘が15になる時、必ずお前達はサシュルート城へ来ることになる。それまでは、普通に侍女としてあの娘の側にいろ」
いきなりそんな事を言われ、戸惑ってはいたマーサだったが、抱き締められ唇を貪る様に口付けられると息も絶え絶えになった。
「仕事をする前にマーサ。お前に褒美をやろう」
アルフレッドの言葉にうっとりとした瞳で見つめていると、抱き寄せられドレスが衣擦れの音を出しながら、足下に落ちた。
マーサは、これほどまでに甘美なまでの快感を感じ、アルフレッドが時空の歪みを作って其処から消えるまでの間ずっと、彼の凛々しい後ろ姿を見ていた。
自分と同じ赤銅色の髪と緋色の瞳。
忘れ去られた一族の証。
今は、この髪の色と瞳の色を魔法で茶色に染めるとサシュルートのトスポール男爵家へと向って行った。
後、三年すれば、あの方に会える....。
それだけを胸にマーサは、一途に思って来た。