盗まれた影4
その時、ジャンヌは自分の事ばかりで、周りの異変に気付かなかった。
頭はふらふらで、気を張って立っていなければ、目眩を起こして倒れそうだ。ジャンヌは、ふらつく頭を手で押さえながら、時折来る吐き気に、眉を顰めた。
これまで、幾度となく移動魔術を使って来たが、こんなに具合が悪くなるのは、初めてだ。ジャンヌは膝を着いて咳き込んだ。その時に見た、異様な物。いや、なくてはならない物が自分の足元に無かった事を知った。今迄は、みんなよりは薄くとも影はあった。だが、今はもう影のかの字も無い。
影が無い。それは、魔物と一緒だと言う意味。
魔物に取り憑かれた者達には、自らの力を吸い取られない為に、あえて影を作らないのだ。魔物の中には、影使いと言う奴がいて、其奴に影を取られたら最後、影と自分が入れ替わってしまう。そして、影使いに操られている影は、影使いの僕となる。
その数が増えるたびに、影使いの魔力と位が上がり、魔王に近い存在となるのだ。
竜の谷へ着いたジャンヌ達は、谷全体が赤銅色に光っている事に気がついた。
谷を割って流れている川のせせらぎも、足の側に落ちている石ころさえも、全て同じ赤銅色だ。
普段なら、ジャンヌの具合が悪くなくても、2人の王子達は争う様に自分の周りにいるのだ。 が、今日に限って誰も、何もジャンヌに声をかけて来ない。 やはり、これはもう少しで、この旅も終わるからなのか、それとも自分達の内、どちらか一人が国王に選ばれもう一人は、宰相となるからか?
そんな考えをしていると、異様に鼻をつく様な臭いがして来た。
「気分が悪くなる。一体何なんだ? この臭いは?」
ジャンヌは銀眼を顰めながら、ガゾロ達を見る。城を出た後から、彼らは一言も発していない。其れよりも、全身に感じるビリビリとした張り詰めた空気が、ジャンヌをもっと不安にさせる。
谷を抜けると、火山を背に、王宮が見えてきた。
其れを見たジャンヌは、足を止めた。
「!?」
自分達の目の前に広がる光景は、サシュルート王国の王都があった。
「そんなバカな!? 何故、サシュルートの城が此処に?!」
驚いているのは、どうやらジャンヌだけのようだった。その時は、自分の魔力が吸い取られて来ているから、こんな簡単な幻術に惑わされてしまうのだろうと、思っていた。
幾ら、ジャンヌが話かけても誰も相槌さえも打ってこない。まるで、人形としゃべっているようだ。
「アウグスト様! ディートリッヒ様!どうして、何も仰って下さらないの?」
ジャンヌの周りには、変な音が聞こえて来た。ぜんまいが回るギリギリと言う不気味な音だ。怖くなったジャンヌは、アウグストの手を取ると、アウグストの左腕が肩から外れた。ジャンヌは、ガクガクと震えながら後退りをすると、アウグストの外れた腕が、地を這ってジャンヌの方へと向かって来る。
思わず、ジャンヌはガゾロの方を見た。ギコギコと機械的な音がする。
「魔物! 私の連れをどうしたのだ!」
ジャンヌの周りに居るガゾロ達の足元には、黒く映る筈の影が無かった。
グニャリと歪む空間に、足を取られたジャンヌは、ふらつきながらも此処から逃げ出すことを模索していた。ジャンヌは、今自分が何処に居るのかも分からず、とにかく今は助けを呼ぶ為に前へと歩き出した。
ジャンヌは、広い回廊の中を右に左にとよろめきながらも、何とかしてこの危機から逃げ回ろうとして足掻く。靴は、シンデレラの様に片方だけ脱げてしまっていた。片方の足だけ、擦り傷だらけとなって居る。
回廊を抜け、何とか明るい部屋に辿り着いた時に、ジャンヌは見知った人の後ろ姿を見つけた。
「バトラー伯爵!」
黒髪に、ギラつく茶色の双眸をしたバトラーが、立っていた。
見知った者と言う事もあって、ホッとしたジャンヌは、バトラー伯爵の後をついて行く事にした。
しかし、先程からもかなりの間、この建物内を彷徨い歩いて居るのだが、一向に出口に辿り着く事ができない。
「此処は、何処ですか?!」
目の前に居るバトラーに驚きながらも、ジャンヌは促される様に バトラーに別の部屋に連れて行かれた。
其処は、教会だった。
「バトラー伯爵?」
バトラーから逃げようと、後退りするジャンヌの腕をバトラーは、離さなかった。彼の鷲鼻から荒い息遣いが、自分の顔にかかる。グッとジャンヌの体を引き寄せると、鮟鱇の様な唇が、横に広がるとニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「私は、漸く 銀の双眸を持つ娘を 手に入れる事が出来た。それが例え器 だけであったとしても」
そう叫ぶと、バトラーの姿は、黒い煙に霞んで消えた。恐怖に慄いたジャンヌは、銀の双眸を見開いた。今、彼女の目の前に居るのは、大きな烏だった。烏は、大きな翼でジャンヌの体を引き寄せた。
黒く大きな嘴をジャンヌの首に当てると、残り少ないジャンヌの魔力が、銀の砂になって烏の嘴に吸い取られて行く。
もう、目を開ける力も残らない程、弱くなった自分の力をジャンヌは呪いながらも、アウグストの名前を呼んでいた。
「ア……ウグスト…もう一度……会いた……かった」
崩れ落ちる白く華奢なジャンヌの体が、床に落ちた。
刹那、金色に光る矢が烏の胸に当たった。
「ギャアギャアアアア!!」
肩で息を切らせ滴り落ちる真珠の様な汗を拭ったアウグストが、サシュルートに伝わる黄金の弓で魔物を成敗した。倒れているジャンヌに駆け寄ったアウグストは、ガゾロから預かっていた赤い魔石をジャンヌの手に持たせると、唇を重ねた。少しづつゆっくりと生気がジャンヌの体に送られて来る。しかし、どれだけアウグストが生気を送っても、なかなか目を覚まさないジャンヌ。弱々しく目を覚ましたジャンヌは、自分の目の前にアウグストがいるのを知って、涙を流した。
「怖かった…です。あなた(アウグスト) に会えずに死んでしまうのかと思う程、怖かった…」
アウグストは、優しく微笑むとジャンヌを抱き寄せた。
「ジャンヌ。君が無事で良かった」
そう言うと、アウグストは、ジャンヌを抱き上げると移動魔術で、本物の竜の谷へと向かった。
アウグストに抱きかかえられたまま空間に突如として現れた、ジャンヌにガゾロ達は2人に駆け寄ると、安堵の表情を浮かべた。
数刻前の事だった。ガゾロ達は、ジャンヌの影を奪った影使いの烏を倒した。影使いは、自分と同じ波長の者の中に取り憑き、其の者の影を使うことで、本体を竜の谷と言う比較的に自分にとって安全な所から、高みの見物が出来るのだ。
だが、先にガゾロに本体を殺られ、ジャンヌの影をも奪い返された影使いは、一部の望みをかけて、ジャンヌの所へ思考を飛ばし彼女にトドメを刺す、だが、それさえも、ジャンヌの影を取り戻したガゾロ達に寄って、憚られた。ガゾロは、赤い魔石にジャンヌの影を練り込むように入れると、行方が分からなくなってしまったジャンヌの痕跡を探していた。
ガゾロは、2人の王子に「ジャンヌ様が呼ばれた方だけが、あの方を救いに行けます」そう言っていたのだ。ジャンヌの魔力の灯火が消え去ろうとした時にジャンヌの口から出た言葉は、アウグストの名前だった。
ガゾロは、アウグストに赤い魔石を渡すと、彼女の無事を祈った。
ディートリッヒは、自分の名前が呼ばれなかった事に、不満はあったが、今はジャンヌが無事に自分達の目の前にいる事の方が大事だった。
目を覚ましたジャンヌは、改めて自分に紹介される蒼い魔石の化身アクアを見て、ジャンヌは「クリシャーナ」と一言つぶやいた。
すると、ディートリッヒとアウグストが、驚愕した。
「クリシャーナだって!?」
クリシャーナと呼ばれたアクアは、両手で自分の髪を撫でた。漆黒の髪は見事な金髪へと変わり、瞳も銀の双眸へと変化した。
「アクア殿?」
ガゾロが驚愕していた。
クリシャーナは、微笑みながら皆を見ると、古文書書いてある言葉を言い出した。
「二つが一つに成りし時、我目覚めん。これは私達の事です。ジャンヌは、例え魔力が人より秀でていても、魔王を復活させようと企んでいる傀儡使いを探せる程、力は持ち合わせていない」
クリシャーナは、ジャンヌの手を取ると、愁眉を顰めた。
「あなたの器だけが此処にいるのよ。ジャンヌの魂は、他の所に彷徨って居るわ」
もう少しで終わりとなります。




