レッスン二週間目 後編
こ、腰が痛い..。腰だけじゃない、全身の筋肉が悲鳴をあげている。この一週間ずっと水晶玉を作る魔術をやっているが、中々出来ない。出来たと思っても、直ぐに割れたり、楕円になったり挙げ句の果てはスイスチーズの様に、穴ポコだらけの物が出来る時もある。 それを見たディートリッヒは、「そう言う物を作る方が、本当はもっと難しいのだがな...」と苦笑している。
イライラが募って来たジャンヌは、泣き崩れた。どんなに頑張っても無理な物は無理だと子供の様に声を上げて泣いていた。
家の為に成人の儀を受けないといけない..その思いだけで突き進んでいたが、もうプツンと糸が切れてしまった。
ディートリッヒから言われた言葉に酷く傷ついてしまった。
「ジャンヌ。じゃあ、水晶玉の方は君の調子次第でと言う事で、今日からは、浮力の魔術をしよう。さあ、立ってごらん。こんな風に」
ディートリッヒに促される様に、その場に立ったジャンヌは、自分の足下が濡れている事に気がついた。
ーいつの間に..ディートリッヒが魔術で魔法指導教室の床全体を泉にしてしまったのだ。指導教室の中にある棚や机などは、ディートリッヒの魔術で浮力しているし、水も弾き飛ばしている。
立てと言われて、階段を一段上る様に、右足で水面を踏む。少しだけ浮いている。
今度は、左足も....と思い、左足に集中し過ぎて、今度はひっくり返ってしまった。
バッシャ〜ン!!
ドレスも髪も水に濡れている。何度も何度もやってみるが、両足揃えて浮力するのが難しかった。
どうして出来ないのだろう..? 落ち込むジャンヌにディートリッヒが真剣な顔をして言って来る。
「ジャンヌ。お前さ〜魔力は有り余ってんだから、それを上手く使いこなさないと。これくらいの魔術なら、魔法学校に通っている8才の子でも出来るんだぜ。そいつらに出来てなんでジャンヌに出来ないかな?」
「8才の子供に出来るのか?」
「ああ。これは、浮力魔術の基本だからだ」
「基本....」
泉の上に立つ浮力の魔術....。
何度も何度も、転んでしまった。仕舞には、ドレスも水浸しになってしまうほど。
どうして、魔力が有り余っているのなら、簡単に出来ないのだろう?
8才の子供に出来るような基礎魔術が、どうして私には出来ないんだ?
哀しくて、悔しくて水に落ちた時に泣いてしまった。
「...たい..」
「え?ジャンヌ何て言ったの?」
「...もう、止めたいの! 魔法も成人の儀も、何もかも!私を自由にさせてよ!」
其処まで怒ってディートリッヒに言ってしまった。
八つ当たりだと分かっている。だけど、自分の能力の限界もあるんだから...。泣きながら、ジャンヌは「転移」と一言呟くと掻き消す様に魔法指導教室から消えて行った。
ジャンヌが消えてしまった後、ディートリッヒは頭を掻きながら、指導教室の床にかけた魔術を解いた。床一面にあった泉は、消えて元の冷たい石畳に変わった。
「ジャンヌは、自分の魔力をコントロール出来てないから、出来る物と出来ないものが在るんだよな...。それを調べている最中なのにさ...あのお転婆娘め。また倒れでもしたら、アウグストに俺が怒られるじゃないか!」
溜息をつきながらも、床に散らばった魔術の教科書を拾い集めていた。ジャンヌだって一生懸命にやっているのは知っている。だが、彼女に早く浮力の術を覚えてもらわないと困るのだ。
あの夢ージャンヌの夢の中で見たもう一つの蒼い魔石は、幻と呼ばれる泉にある。 其処に行くには丸二日間もの間ずっと浮力魔術を使って、泉の中心までいかなければ成らない。ただ、この泉には曰くがある。泉の主と呼ばれるダンテに認められなければ、泉の底に沈められてしまうのだ。
焦ってしまう自分の気持ちが、ジャンヌにも伝わってしまったのだろう....。再び、ディートリッヒは頭を掻いていた。
早くあの術を完成させなければ...。
その頃ジャンヌは、魔術を使って転移した。 此処は王宮内でも一番落ち着ける場所である。
木々が生い茂る中庭に、空間が歪む。芝生に降り立ったジャンヌは、自分のドレスや髪が未だ濡れているのに気がついた。
人差し指を立てると「乾燥」その一言で、髪はふんわりとした巻き毛に、ドレスも皺一つもなく綺麗になっている。
(こんな、魔法が出来ても....浮力の術さえ出来ないなんて....)
銀の双眸からボロボロと流れ落ちる涙は、虹色に光っていた。
本当は、これから魔術の授業だけど、もう受ける気がしない。それにやる気も起きない。
ジャンヌは、王宮の中庭で魔法を使うと隠れてしまった。
魔術は禁止と言われていたが、もう限界だった。
苦手なダンスのレッスン、そして今は魔術自体も苦手となってしまった。
膝を抱えて泣き出しているジャンヌを見つけたアウグストは、結界の中に入ろうとするが、やめてしまった。今 中に自分が入ってしまえば、簡単だ。だが、それではジャンヌの為にはならない。
今は、ただジャンヌに時間を与えるしかないのかも知れない。
アウグストは、芝生の上に座るとゴロリと寝転がった。
風が、アウグストの金髪を撫でているようだ。
ジャンヌは、三角座りをして膝を抱えて考えていた。今までの事、そしてこれからの事。私の意志ではなくこの世界の掟で受けなければならない成人の儀。
初めは、両親も私の事を心配してくれていたけど、レゼンド王自ら私の後見人となってくれることになったから、父様も母様も反対する事が出来なくなった。
だけど、私は知っている.....。
父様が、本当は喜んでいる事を。本当は私の成人の儀を楽しみにしていたって事を私は知っている。だけど、長老様の予言が予言だけに、父様は成人の儀の事を言わなくなって行った。
その長老様から私だけに言って来た言葉は、予言ではなかった。
『眼に見える物だけが真実じゃない。感じなさい。心を配りなさい。人を愛しなさい。自分を愛し、自分の力を認めてあげなさい』
長老様にその言葉を言われた時、私は真っ赤な顔をしてただ下を向いていた。
「出来ません...。こんなバケモノみたいな力なんて、欲しく無かった....。ただの娘で居たかった」
泣き出した私を抱き締めて慰めてくれたのは、いつも長老様だった。
それだけ蒼の魔石の力は強く、幼い自分でも屋敷の者達から、腫れ物を触るような感じで扱われている事を知っていた。
6才の頃ー私が、死にかけていた子鹿を助けたのを見ていた父様が青い顔をしていた。
私は、その時何も知らなかった。 蘇生魔術は魔術の中でも上級者しか使う事が出来ない。それをたった6才のジャンヌは子鹿を助けたいと願っただけで、簡単に出来てしまったのだ。
父様が、ジャンヌに近づくと褒めてもらえると思っていたのに、父ベンジャミンが言ったのは、あの言葉だった。
『ま、まさか.....どうして神様はそんな惨い事を私の娘にされたんだ...』
その言葉を聞いた時に、ジャンヌは自分の力は父様や母様を哀しませる力なのだと言う事に気付いてしまった。
その夜、父様が母様と話している声を聞いた時は、哀しかった。
『どうして、あの子だけがあんな途轍もない魔力をもってしまったのだ...。やはり長老様の予言はあたってしまった。銀の双眸と言うだけで、もうあの子への縁談の話が、来ている....しかも、相手は伯爵家だ...』
『あ、あなた....伯爵家って、もしかしてバトラー伯爵なの?』
『ああ。成人の儀が終わり次第、結婚したいと言って来たよ』
『そんな...』
『だから、もう決めたんだ。ジャンヌは、成人の儀を受けさせない...。それしかあの子を守る事は出来ないと...』
父様が泣いていた。母様も泣いていた。
私の魔力が2人を苦しめているんだと知った時、本当に哀しかった。
父様は、自分の得意なダンスをジャンヌに教える事など無かったし、ジャンヌも父様の決心を知っていたから、何も聞かなかった。
全ては、自分の希有な銀の双眸の所為だ。
その時、風の声が聞こえた。
「泣かないで...。怖がらないで....」
風だけじゃない。中庭にある樹木達からも聞こえる声。
「ジャンヌ...昔みたいに楽しく魔法で遊ぼう。キラキラ玉を作った時の事を思い出して」
芝生からも声が聞こえる。
「またいつもみたいに、魔法で楽しく遊ぼう」
いつからだろう...あんなに楽しかった魔法や魔術が嫌いになって行ったのは。
多分、あの夢を見る様になってからだ。
零れ落ちる涙を拭くと、ジャンヌは結界を解除させた。
「アウグスト様....大丈夫ですから、もう。行って下さい」
アウグストの大きな手が、ジャンヌの頭を撫でて来る。
何か言われるのかと思ってしまった。
「僕は、君の瞳は綺麗だし、好きだよ。僕の孤独を分かってくれたのは、ジャンヌだけだったからね。 僕としては、ずっと側に居て欲しいな..だめ?」
優しいアウグストの大きな手がジャンヌの頬を撫でる。
気持ち良い...。ずっと一人で背負って来た希有な瞳に蒼い魔石の力で、ジャンヌは自信を無くしていた。
子供でも出来る魔術が自分には出来なくて、蘇生魔術は簡単に出来てしまった。これって矛盾している。
そんな考えをずっと頭の中で巡らせていると、ジャンヌはいつの間にか百面相をしていたらしい。
アウグストから、抱き締められた。
「どうしたの? さっきから、難しい顔をしたり、泣いたり、思い出した様に微笑んだりって、ジャンヌ..君って本当に、素直だし可愛いね。君の魔力が不安定なのは、ジャンヌ自身がその魔法を必要だと思っていないからなんじゃないのかい?」
「私自身が必要だと思っていないって...」
「君の思考は、タダ漏れの様に僕の中に入って来るからね...6才の頃に蘇生魔術をやったって言っているけど、その時はその子鹿を助けたかったんだろ?」
コクリと頷くジャンヌにアウグストは、言葉を続けた。
「それは、君が心から助けたいと願ったからだよ。浮力魔術は、海の上や幻の泉の上を渡る時に使うのさ。水面すれすれから見える海は、気持ち良いんだよ。僕としては、一緒に海に連れて行きたいけど、何なら今から行くかい?今日のダンスの練習は浜辺でやればいいし。どう?」
「海?それって、何? 私何も知らないの。だって、私は自分の領地から出た事なんて一度も無いから.....あ、でも一度だけあったわ。ディートリッヒ様を助けた時だけ。でも、行ってみたい。海を見てみたい。海って何色なの?お水なの?」
アウグストは、ジャンヌの手を取ると、移動魔術で海へと出た。七色の虹の色の砂、そして海の色はエメラルドグリーンだ。大きく深呼吸をしたジャンヌは、ケホケホと咳をした。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。ちょっとビックリしただけよ。海の香りって初めてだったから、ビックリしたの。ねぇ、アウグスト様は浮力魔術とか出来るの?」
「ああ。一緒にやってみるかい? だけど、海に落ちたらもっとビックリするだろうな。」
「どうして?」
「海水の味に驚くからさ。」
「どんな味なのかしら? ウフ...落ちてみたい...」
ニッコリ笑ったジャンヌにアウグストが手を差し出すと、行くよと一言呟くとそっと波打ち際へ向った。階段を上る様に一段一段そっと上り詰める。少し不安な表情をしていたジャンヌにアウグストは、そっとジャンヌの頬に口付けをした。
「頭で考えてはいけないんだ。体で感じてごらん。ジャンヌ、君は海を見たかったんだろう?」
コクリと頷くと「なら、答えは簡単さ」茶目っ気たっぷりのアウグストの笑顔に、ジャンヌも肩の力を抜いた。
浮力魔術を習う様になってから、全然上手く水面の上で浮く事が出来なかったのに、今日....と言うか今は出来ている。溢れるような笑顔でジャンヌが水面の上を踊っている。途中ふらついていたが、海に落ちる事は無かった。
念願の海の水を両手ですくって口にするジャンヌは、あまりのしょっぱさに顔を顰めた。
「しょっぱい!どうして、海の水ってこんなに塩辛いの?」
アウグストはただ笑っていた。この海の味は君の涙の味だと、いつか分かるのだろうか...?フレデレリック王の時代では、海はなかった。ただ何処までも果てしなく続く大陸があっただけ。だが、伝説のクリシャーナ王女が流した悲しみの涙が陸を覆いやがて海になったと言えば、ジャンヌは悲しみだろう....。自分と同じ希有な瞳を持つ者として...。
「さあね? どうしてだろう?」
「ねえ....アウグスト様...誘って頂いて嬉しかった」
「そう。良かった。君の場合は習うより慣れろの方だな」
「え?」
「だってさ、子供の時の事も、僕とあった時に使っていた魔術も全て上級者でも、一握りの人間しか使えない魔術なんだよ。ジャンヌはそれを心で思い描く事で出来るのさ。例えば、今日みたいにディートリッヒの授業で上手く浮力の魔術が出来なかったんだろ?」
「ええ。出来ませんでした。哀しくて、イライラしちゃって...もう、魔術も成人の儀も止めてやるって言っちゃいました」
「そうだったね、だけどさっきは出来ただろう? それは君が心から海を見たい。海の上を歩きたいと願ったからだよ。水晶玉も君が願えばすぐに出来るさ。それに水晶玉は、真実を写すと言われているんだから、知りたい事悩んでいる事を知る為に人は、自分専用の水晶玉を作るんだよ。作れない人は、他の人のを使っちゃうけどね」
「真実...?」
知りたい..どうして自分があの胸が苦しくなるような荒れ果てた大地に、居なきゃいけないのか。その理由を知りたい...。
「そう。真実だよ。 君なら出来るさ。何て言ったって、僕の本当の笑顔を引き出してくれた人なんだから」
踊ろう...そう言われて、ステップを思い出しながら、2人で踊っていた。
虹色の砂浜には、同じ様にある男女の足跡。
もう少しだけ頑張ってみよう..。少しだけ前向きになってきたジャンヌだった。