孤独の離宮〜氷の君
残酷な描写があります。
抜けるような青空を見ているような、そんな気分にさせてくれるこの青の離宮。
ここは、ディートリッヒにとって自分の家であり牢獄でもあった。幼い頃、ディートリッヒは、心ない臣下達の声を聞いた。それは、言葉に出しているのではなく、心の声だった。
「双児の王子は、不吉と言われているのに。どうして、王妃様は双児の内のお一人を始末しなかったのかしら? あの予言がまだ生きていると言うのに」
「第二王子は、呪われた王子だ。忌み嫌われる王子だ」
「彼が生きているから、彼が双児として産まれたから、この世界は終わりに近づいているのだ。どうする?王妃様が出来ないのなら、我々から手を下すか?」
日中でも夜でも、ひっきりなしに聞こえて来る人々の心の声は、幼いディートリッヒを怖がらせていた。毎晩夜泣きするディートリッヒを宥めていたのは、乳母のアリエットだった。彼女からは、ディートリッヒを思いやる心しか出て来ない。
不安な夜には、いつもアリエットが幼いディートリッヒを膝に乗せ、抱き締めてくれていた。
そんな穏やかな安らぎが、ある日突然奪われてしまう事になるとは思いもしなかった。
眠れない夜にアリエットを探して、青の離宮の中を彷徨っていた。聞き慣れたアリエットの声が聞こえて来て、ディートリッヒが声を掛けようとした時に、彼は聞いてはならぬ事を聞いてしまった。
「どうして、殺さないのだ。アリエット」
「あの方は、無害です。どうかあの方に生きる希望を与えて下さい」
「どうしても出来ぬのか? お前にディートリッヒ様を殺害する任務を与えてやったのに。お前の乳飲み子はあの方の所為で、殺されたのだぞ!お前を乳母にする為に枷になるからと言う理由だけで! それを忘れたのか?!」
「そ…それは分かっています。私だって、あの子の事を一度たりとも忘れた事などありません」
お..俺が産まれたから、俺がアリエットの子供を殺してしまったのか….?
じゃあ、今までアリエットが俺に優しく接してくれていたのは、俺の為じゃなくて死んでしまった自分の子供の為だった….。小さな乳飲み子が母親を失えば、死んでしまうのは5才の自分にも分かる。
「ですが! オーウェン! どうかあの方を信じて下さい! あの方は無害です。とても純粋な方です。どうか、どうかあの方を殺めるのだけは、お止め下さい。 例え….私達の子供があの方の誕生で殺されたのだとしても….」
ディートリッヒはその時、初めて知ったのだった。この国では双児は忌み嫌われる存在であり、魔王の予言通りに世界が二つに分かれると言われていたからだ。その為に時の魔術師達は王子達と同時刻に産まれた男児を生け贄として殺害していたのだった。それは、国を安泰にする為であり、2人の王子が今後争う事無く過ごす為だったのだ。
それを聞いたディートリッヒは、数歩ほんの少し後ずさりをした時に、運悪く回廊に飾ってあった銀の壷に体が当たってしまった。壷は、ぐらりと揺れると音を立てて広い回廊の冷たい床に落ちるとディートリッヒの方へと転がって来た。
「誰だ!?」
「ディートリッヒ様!」
真っ青になったアリエットは、両手で口を押さえると自分の隣に立っていた夫であるオーウェンの方を振り返った。オーウェンは、攻撃態勢でディートリッヒを見ると、榛色の双眸を涙で潤ませながら己の怒りをまだ幼いディートリッヒにぶつけて来た。
「お、お前さえ居なければ..! 俺達の子供は今頃スクスクと育っていたんだ!俺達の息子を返せ!」
怒り狂ったオーウェンは、王子の姿を見るなり剣を抜いて、王子に向って行った。それを見たアリエットは、移動魔術を使いディートリッヒの前に来ると王子を抱き締めた。 その時、ディートリッヒが見たのは、アリエットの哀しそうな赤い瞳だった。声にならない心の声で聞こえるアリエットの心。
『王子…。私の子供の命を奪った憎い人…。でも、あなたは生きて償うのです。あなたに課せられた呪いとも言える魔王の予言を。可愛い私の王子。誰も信じてはいけません。周りは敵ばかりです。あなたのお味方になるのは、アルフレッドと彼の家族だけです。あなたは、死ぬまでご自分の罪からは逃れられません。いえ、例え死んでも...』
優しく微笑むアリエットは、王子の白銀の髪を撫でると「可愛い私の…………あか…ちゃん」と一言だけ残して、倒れてしまった。
目の前に飛び散る赤い血飛沫は、青の離宮の廊下を赤く染めた。
幼いディートリッヒの顔にも、血飛沫がかかった。血まみれのアリエットに抱き締められた王子を発見したのは、王子の護衛であるアルフレッドだった。 オーウェンは、血が滴る剣を握ったまま立ち尽くしていた。カランと剣を手から落とすとアリエットの方へ駆け寄った。
すでにアリエットは、虫の息状態であった。青の離宮で、王子に対して刃を向ける事は、即死罪となる。アルフレッドは、王子を自分の後に隠すとアルフレッドの心の声が、ディートリッヒに聞こえて来た。
「王子。目を瞑って下さい」
そして次の瞬間「確保」と言う声と共に、オーウェンの身柄が拘束されると、オーウェンは大声で叫びながら王子を罵倒した。
「アイツの所為で、アイツさえ居なかったら、俺達は幸せに生きていたんだ!」
そのオーウェンの言葉は、深くディートリッヒの心に消えない傷として、今もまだ残っている。後日、オーウェンは、王族に対して謀反を行ったと言う事で、処刑となった。 この事件以来、ディートリッヒは、心を閉ざす様になって行った。それは、やがてディートリッヒから子供らしい笑顔を奪ってしまった。
アルフレッドは、何とかして王子の事を青の離宮に仕える臣下達や侍女達に認めさせる為に、王子の教育係として自ら率先して動く事にした。
王子が挫けそうな時には、「アリエットはあなたの事を信じていたのですから、王子として皆に認められる様に努力しましょう」と励ました。
「なあ、アルフレッド....。アリエットは、私と一緒に居て、幸せだったのだろうか?」
「さあ。それは私にも分かりかねません。ですが、王子の命を救ったのは、アリエットですよ。それに、彼女は王子を自分の子供の様に叱る時は叱って褒める時は褒めていたでしょう。在りもしない予言や伝説に人は翻弄させられます。それを打ち砕く為にも、王子が真の王子であると言う事を知らしめる為に、日々努力する事です」
「そうだな。」
アルフレッドの熱心な教育のお陰と、ディートリッヒ本人の努力もあって、剣術では5回に二回くらいは、アルフレッドに勝てる様になって来た。歴史学、地学、魔術、帝王学、経済学、語学とディートリッヒは、まるでスポンジの様に知識と言う泉を吸い込んで行った。
そうした彼の努力が青の離宮でも少しずつ認められる様になると、こぞって臣下達は今までの態度を180度変えて、ディートリッヒに近づいて来るようになった。侍女達もそうだった。
病で北の塔に入れられたアウグストの代わりに、王の隣で執務をこなす様になったディートリッヒは、自分を消そうとしていた貴族達の闇の商売を次々と暴き出した。彼らは、他にも孤児達を攫い彼らを生け贄として魔王復活の儀式をしていた事も発覚したのだった。
全ては、魔王の魅力にあやかりたいが為の事だった。
彼らの処分として、まずディートリッヒは見せしめの為に、時の侯爵から手を付けた。 侯爵は、ディートリッヒを殺害するために、あの手この手で間者をこの青の離宮へと送り込んでいた。その事もあり、爵位剥奪となった。 当然、この侯爵と一緒に釣るんで居た他の貴族達も、厳罰のたいしょうとなり、降格させられた貴族達は、ディートリッヒを恐れる様になった。
東の果ての国で戦争があった時に、属国を守る為、戦地に自ら赴いたディートリッヒは、無表情でバッサバッサと敵を切り倒して行った。その姿を見た味方の兵士達は、ディートリッヒの力に恐れおののいた。
決して感情を表に出さないディートリッヒ王子の事をいつしか、人々は「氷の君」または「冷酷の君」と呼ぶ様になった。
ジャンヌ..
目の前に控えているジャンヌを目にしたディートリッヒは、今朝の事を思い出した。
あの時の娘...。
今朝、アウグストが別邸にいつものように、朝の昼寝?をしに行ったら、別邸には見かけない少女が窓から王都を眺めていた。
雨が降りそうな嫌な天気だったが、少女の歌声で、風が吹き雨雲を飛ばすと太陽が出て来た。天気を操る魔術が出来るのは、この世界でも一人か2人くらいしか知らない。
(ガゾロだけだろう。後もう1人は、ガンマかな...)
もっとあの少女の顔を見ようと思って、若木によじ登った時に、不安定な状態になって、地面に落ちてしまった。少女はそれを見て、薬なのだろう、それが入った小さな袋を持って、慌てて俺の所までは知って来た。
黙って、俺の頭を持ち上げ、自分の膝の上に乗せてくれた。ああ、この感触って、子供の頃にアリエットにやってもらったきりだな。懐かしい...。ついついウトウトと眠ってしまった。
あの後で、あの少女がジャンヌだと分かって俺は、嬉しくてつい言ってしまったのだ。
そして、ジャンヌがどうして俺の心を見透かす事が出来るのかを知りたかった。
ディートリッヒの幼少を書いてみました。少々暗いですが、其処はご勘弁を。
最後の方に、朝の事を書きました。
ジャンヌの膝枕に寝ていたのは、アウグストではなくディートリッヒでしたね。すみません〜。
ご指摘ありがとうございます!