金の離宮にて 後編 ジャンヌの影
ジャンヌは、自分の影を見て驚いていた。自分の影なのに、大きくそして逞しい体つきをしている影。もしかして彼がアウグスト様を守っていたシルベスターなんだわ!と理解した。
眠っているアウグストをそのままにして、ジャンヌは姿見の前に立つと自分を映した。鏡の中に映っているのはジャンヌではなく、アウグストよりも大人の男性だった。フワフワの黒髪は猫っ毛のようだ。蒼い双眸は湖の底の様に澄んでいる。意志の強そうな黒くキリリとした眉。鼻筋は高く少しツンと上を見ている。
あの目元は、見覚えがある.....けど、思い出せない....。
「あ…..あなたが、シルベスター様なのですね?ちょっと待って下さい。アウグスト様を起こしますから、あの方がどんなにあなたに会いたがっていたか…。」
ジャンヌがアウグストの方へ駆け寄ろうした時に、鏡の中から手が出て来て、やんわりと止められた。
『いえ。王子でしたら、大丈夫です。私は今あなたにこの世界の終わりを告げに来たのです。全てジャンヌ様、あなたが鍵となっています。』
「私が鍵ですか? しかもこの世界の終わりになるかならないかのですか? 何故です。私は、貧乏男爵の娘です。その私が鍵などと..」
『あなたが、どちらの王子を選ばれるのかで決まるのです。その事を忠告しに来ました。』
ジャンヌは、驚きながらもシルベスターの話を聞いていた。
さっきジャンヌが見ていた夢は、どうやらこの世界が作られた創世記の時代に起こった出来事だったのだ。と言う事は、自分はあのクリシャーナと同じような運命をたどる事になるのだろうか….。
俯いていたジャンヌにシルベスターが、「一刻も早く成人の儀を迎えられる事をお勧め致します。蒼の石の力だけでは、やがて復活してくる魔王を倒せるような魔剣は作れません。それには….」
寝室がピカピカと不思議な光を放っている事に気がついたアウグストは、光がしている方へと歩み寄って行った。
其処には、ジャンヌが巨大な姿見に向って話をしていた。そしてその姿見の中にはシルベスターが映っていた。
「!」
ジャンヌは気付かずにシルベスターと話をしている。
夢の話?創世記の時代……? そういや、確かガゾロ達がジャンヌの瞳を見て騒いでいたな『伝説の少女が現れた!』など言っていたな….。
シルベスターは、アウグストが物陰からこっちを見ているのに気がつくと、あの懐かしい声で王子の名前を呼んだ。
『ア..アウグスト様…』
シルベスターの懐かしむような哀しい声に、ジャンヌは自分自身 後を振り返っても良いのかどうか、悩んでしまった。今の姿見に映っているのは自分ではなくシルベスターで、アウグスト様がどれだけ会いたかったのかよく分かっている。
目の前の彼に目で促すと覚悟を決めた様にコクリと頷いてくれたので、ジャンヌも心無しかほっとしたのだった。
「シルベスター! どうして私に会いに来てくれないんだ!お、オレはお前を失った時、どれだけ悲しかったか…。」
肩を震わせながら、ジャンヌと姿見に映ったシルベスターの方に向って、ヨロヨロと歩いて来た。
『申し訳ございません….。これも全てアウグスト様の御身の為と思い不肖シルベスターは、あなた様が第一王子としてこの国の王となって頂くためにと考えた末の事でございます。』
ダンスではスパルタ教師のアウグスト様も、シルベスターの前では こんな表情もするんだ。いつもの人を寄せ付けないような絶対零度の微笑みは、やはり寂しい幼少時代を過ごされた事から来て居るのだわ…。
「シルベスター様。もしもですが、私がお二人を選ばずにクリシャーナ王女と同じ道を選ぶと言う事は考えた事はありますか?」
ジャンヌの言葉に、驚いたシルベスターは顔を青ざめると目を見張った。彼女なら、あり得るかもしれないが、そのような選択だけは決してして欲しく無いと思っていた。なんせ、あのクリシャーナ王女の生まれ変わりでもあるのだから….。もしジャンヌがクリシャーナ王女と同じ道を選ぶとすれば、2人の王子は自分達を許さないだろう。
『そ、それは…ジャンヌ様の性格からして見ますと、分かりません。随分御気性が荒いようですし…..。それに、クリシャーナ王女と同じ道を選ばれますと、アウグスト様もディートリッヒ様も哀しまれます。』
目を逸らしたシルベスターに、アウグストは詰寄った。恐らく本能で感じたんだろう。一体何について、2人は話し合っているのかと言う事を。
クリシャーナ…その王女の名前が出た時に、アウグストの頭に思い浮かんだのは、『悲劇の王女』だと言う事だった。クリシャーナの父王がやってしまった大天使シェスラードへの怒りを鎮める為に、自分の命を差し出した王女だと伝えられている。
途端に愁眉な眉を顰めると振り返って隣にいるジャンヌを見た。その時の自分の顔は怖い顔をしていたのだろうか? 一瞬ジャンヌが哀しそうに微笑んでいたのをアウグストは見逃さなかった。
「オイオイ。ちょっと其処まで言わなくても良いでしょ! 私の気性が荒い事まで知ってるなんて…。大丈夫よ、同じ鉄は踏まないわ。例えそれが一番楽な方法であっても、私は逃げないから大丈夫よ。」
その場を茶化す様に明るく振る舞うジャンヌは、もし自分がこの2人の王子の内、一人を選べと言われているのに、選べなかったらクリシャーナと同じ選択をする事も少し考えていたのだ。そんな事をすれば2人共哀しむのは分かる。分かっているけど….どうすれば良いのか….。
「あーもう!とにかく成人の儀を無事にとっとと終わらせたら、直ぐに魔石探しをすれば良いんでしょ? 」
溜息をつきながらジャンヌは、2人を見ていた。
「シルベスター…..」
語尾を言いたくてもアウグスト様は言えなかった。シルベスターの慧眼な眼差しが、王子の言葉を止めさせたからだった。ジャンヌを見ても表向きは明るくしているが、あの銀の双眸が一瞬哀しく潤んでいるのをアウグストは、見逃さなかった。
アウグストは、俯いていたジャンヌを抱き締めた。
「苦しくても絶対に死などと言う道は選ばないでくれ…。ジャンヌ。」
「そうですね。クリシャーナ王女はどちらも傷つけたく無くて、死を選んだけれど、結局彼女はどちらとも傷つけてしまったもの..。私はそんな哀しい事はしないわよ。と言うよりも、アウグスト様とディートリッヒ様がお止めになるでしょ。シルベスター様も、アウグスト様ともっとお話をなさりたいのでしょ? でしたら、私の体を使えば宜しいのですわ。」
そう言うとジャンヌは祈る様に両手を合わせると「大天使シェスラードの名に置いて…」と唱え始めた。そんなジャンヌを止めたのは、アウグストであった。
「ジャンヌ!君の魔力はまだ完全に戻っては居ないのだぞ! それに、シルベスターはいつも私を見てくれている。それは私自身良く知っている。だから、君はもう寝るんだ。分かったね。」
アウグストは、ジャンヌに休息の魔法をかけると、ふらついたジャンヌの体を支えた。
それを見ていたシルベスターは、微笑んでいた。
「アウグスト様も人に諭される様になられたのですね。素晴らしい事です。本当に素晴らしい王子になられました。シルベスターはあなた様の事を誇りに思います。」
姿見の中のシルベスターが銀の砂の様に消えて行った。アウグストは自分の腕の中で眠るジャンヌを抱き締めるとジャンヌの赤く濡れた唇にそっと自分の唇を重ねた。
その場面だけを見ていた侍女達は、顔を真っ赤にして「太陽の君は、とうとうジャンヌ様の唇を奪われたのよ〜」とはしゃいでいた。
だが、これは、口付けと言うよりも、魔力のチャージであった。アウグストは、軽々とジャンヌを抱き抱えると自分の寝室へ戻った。広いキングサイズのベッドにジャンヌを寝かせるとそのまま自分も横で眠っていた。