金の離宮にて 前編
いきなりの離宮からの手紙に驚いた父ベンジャミンは、魂が抜かれたかの様に食堂の椅子に座って伸びていた。母ジャックリーンは、夫ベンジャミンが握りしめている手紙をゆっくりと手から剥がす様に取ると、手紙の内容を見て目を丸くした。
「まあ〜!なんて素晴らしい事なのかしら!」
ジャックリーンは恋する乙女の様に胸の前で手を組むと、頬を染めていた。ジャックリーン曰く、ジャンヌは幼い頃から野山を駆け回って、熊でも狼でも自分の家来にしてしまう男勝りだった。そんなジャンヌにはもう嫁の行き手は無いだろうと諦めていた所に、成人の儀の話が舞い込んで来て、その上幸運な事にジャンヌが助けた人が、この世界の王子様!
これって、それ行け玉の輿の王道ですわね!
一人で息巻いているジャックリーンは、鼻歌も出ている程、ご機嫌だ。
ところで、ジャックリーンと言えば魔術を使えた筈なのですが、ご本人曰く「私って、そんなに魔力が無いのよ。それに移動の術も得意ではないの」だそうだ。
王立魔法学校では、魔術よりも薬師として優秀な成績を収めていたらしい。
ジャンヌに薬師として術を教えたのも、彼女である。
しかし、魔法で移動が出来たのは、ジャンヌを身ごもっていた時に使ったあの1回っきりなのだ。
恐らくあの移動魔法が成功したのは、ジャンヌのお陰なのだろう。
そして、一方此処は 金の離宮にあるアウグストの寝室では、金の巻き毛をした少女がベッドの上で青白い顔で横たわっていた。その少女の顔色を見るだけでは、一見死んだのか?と思ってしまうが、規則正しく聞こえる寝息を耳にすれば、生きているのである。
ただ、今の所は辛うじてと言った方が良いかも知れない。
ジャンヌは知らなかったのだが、魔術は体力勝負である。使い過ぎると命さえも削ってしまうのだ。魔法を使い初めの時、必ずその事は授業で習うのだが、ガゾロ自身これだけ高等魔術を使いこなせるのだから、そのくらいの基本は知って居なさるだろうと思っていた為にジャンヌに忠告するのを忘れていたのだった。ジャンヌが倒れた後で、ガゾロはアウグストから呼び出しを受けた。ガゾロは、そこで初めてジャンヌが、魔力の使い過ぎで倒れたと言う事を知ったのだった。
「ガゾロ...。今日のジャンヌの魔力測定で召還魔法を使ったと聞いたのだが、ジャンヌは一体誰を召還したんだ?」
「そ、それは....」
「私にも言えないような事か?」
「いえ...そのような事は....」
「では、話してくれガゾロ。ジャンヌはいずれ私の妃として迎えるのだから、私には知る権利がある。さあ、話してくれ。ジャンヌは誰を召還したんだ?」
ガゾロは、根負けした様に溜息まじりで言った。
「大天使シェスラード様です」
「な!何だと?!」
召還魔法とは、自分の魔力を使って呼び出すのだが、呼び出す相手に寄って自分の魔力がどれだけなのかを指し示す目安となっているのだ。ちなみに召還魔法で呼び出せる最大級のモノは、大天使シェスラードなのだ。
大天使を呼び出すのには、その召還した者の魔力の高さが基準となるのだが、下手をすれば命を落としかねない事になるのだ。
アウグストは、一度だけ召還魔法を使って大天使シェスラードを召還した人物を知っている。
彼は、自分の命と引き換えに大天使シェスラードを召還し、猫の姿に自分を変化させて欲しいと懇願したのだ。
シルベスター自身も、魔力は高い方であった。 その彼でも、命を引き換えにしないと大天使は召還出来なかったのである。
そして、ガゾロにとっても大天使を召還した人物は、彼が長い事生きている中でも、ジャンヌしか居ないのだ。
普通、魔力測定の召還魔法では、自分の両親を呼び出したりする者が多い。自分の血族を召還魔法で呼べる者は、高い魔力の持ち主と診断される。魔力が普通の者が召還魔法で召還出来るのは、動物を呼ぶのだ。魔力が低い者達が召還魔法で呼べるは、動かないもの即ち野菜とか果実である。それらの事を踏まえてでも、ジャンヌの魔力は特別高いと言う事が言えるのだ。
其処で、アウグストはガゾロにジャンヌの魔術の授業に付いて意見を述べて来た。
「ジャンヌに基礎である魔術と魔力の使い方を叩き込んで欲しいのだ。そうしないとあのお転婆娘は、最大級奥義である体力回復 ”充電” をそれとなしにやってしまうからな。頼んだぞ。ガゾロ」
ジャンヌは知らなかったが、体力回復の魔術は普段の生活では使用しない予備の体力を引き出す魔術だ。その為に、一時的に体力を回復させるために使うのだが、その予備の体力を使ってしまえば、動く事すら困難になってしまう。いわば諸刃の剣である。 この魔術は上級者用の魔法で自分の身が危ないと言う事で、起死回生のために、使う魔術である。
魔法学校の生徒達でも、その位の事は知って居るのだが、魔法学校に通った事のないジャンヌが、そんな事など知る由もない。恐らく、便利な魔術だとしか思って居なかったのだろうな。
「は。畏まりました。来週からのジャンヌ様の魔術のカリキュラムを入門編に変えさせて頂きます。ですが、実施は中級にしませんと彼女の場合、何を起こすか分かりませんからね」
「うむ...。そうだな、それはガゾロに任せる」
「は。では、失礼致します。」
ガゾロはそう言うと杖で足下をコツンと叩いた。すると金色に光る魔法陣が出て来て、彼の姿はかき消す様に消えて行った。
ひんやりとする感覚が腫れた足に優しく触れる。
魔法を使い過ぎたのとダンスのレッスンや魔法学校の建物から、徒競走並みに走って来た事も重なり、体を酷使し過ぎたのだろう。
自分が覚えているのは、離宮のホールルームでアウグスト王子に説教されている所までしか覚えていない….。
此処は、何処だろう….?
目覚めた時に自分の手を握ってくれている人が居た。
誰だろう? 流れるような金の髪をそっと撫でていると、どうやら彼を起こしてしまったようだ。
「ん….。あ、どうやら看病していたら寝てしまったらしいな…。」
優しい表情は、ジャンヌの胸にほのかなトキメキと言う波紋を投げ掛けた。
ベッドの側のライトスタンドには、炎の魔石がランプ代わりに置かれていた。
魔石の近くに手桶とタオルが置いてある。この人は、こんなに優しい人なんだ…。そう感じたジャンヌは自分からそっとアウグストの手を握った。
指先から感じる自分の鼓動の早さ。彼の思考がジャンヌに入って来る。
(シルベスター…私は、お前に恥じないくらいの王子になれただろうか…?)
「シルベスター?ってもしかして、あの綺麗な瞳をした猫騎士の事ですか?」
ピクンと動く王子の指。
やはりそうなんだ…あの綺麗な瞳をした猫は、元は人間だったんだ….。
「ご、ごめんなさい。詮索するつもりは無かったの。ただ…アウグスト様の思考が入って来たもので….ごめんなさい」
ジャンヌが必死に謝っているとアウグスト王子が自分を引き寄せると、キツく抱き締めた。
震えているのだろうか。小刻みに肩が震えている。
まさか、笑いを堪えている訳ではないよね…。
もしそうなら、例え王子であろうとも遠慮せずに横っ面を思いっきり叩かせてもらうわ! そんな事を考えていたジャンヌだったが、アウグストは「良かった。ジャンヌが目覚めてくれて…..。良かった」と何度も言っていた。
アウグストの目の前で、ジャンヌがホールルームで倒れた時は、シルベスターの最後を思い出させる程ショックだった。途端にアウグストの顔色が真っ青になり、ジャンヌを抱き上げて医師を呼べ!と連呼するほどの慌て様だった。
「これは、一日でこの方の魔力を一気に使い過ぎたのとそれを知らず、過激な運動のし過ぎによる過労です。足は、腓返りをした時に、酷く足首を捻挫されています。週末の二日間は、とにかく魔法を使わせない様に休息をさせてください」
医師からの診断を不安な表情で聞いていたアウグストは、ホッと胸を撫で下ろした。銀の双眸と言う事もあり、アウグストは、知らず知らずジャンヌをシルベスターと重ねて見ていたのである。
彼が毒の入った水差しを煽るように飲み干し、そして床に倒れたあの夜の事が目に焼き付いて離れないのだ。その場面をジャンヌもアウグストの思考から流れて来る事で、彼が愛されて育った訳ではないと言う事を知った。
「王子。泣かないで下さい。私は大丈夫ですから。でも、今日は本当に疲れました。魔法って体力を消耗させるのですね。今回の事で身にしみて分かりましたわ。王子も寝て下さい…ね。」
思考を読むと言う微量にしか使わない魔法でさえも、今のジャンヌにとっては気力との勝負と言える程、体力を使ってしまった。吸い込まれるように、眠りの世界へと落ちて行くジャンヌは、アウグストの腕の中で、すうすうと可愛らしい寝息を立てて眠っていた。