猫〜アウグストの幼少
その夜、アウグストは夢を見ていた。懐かしいあの猫に見守られていたあの頃の。
北の塔に入れられる前日、アウグストは侍女達の立ち話を偶然聞いてしまったのだ。
「全く、第一王子の侍女になれば、王子様が成人された時に、優位になると思っていたのに、飛んだ見込み違いだったわ。もう、嫌になっちゃう。あんなに体が弱ければ、すぐにコロって死んでしまうわ。折角の私の計画も台無しよ〜」
「本当本当!私の妹は、ディートリッヒ様の所に行儀見習いで侍女として入っているけど、あの方の素晴らしさと言ったら、本当に神二物を与えないって言われるけど、二物どころか何個も与えまくっているじゃない〜。私もディートリッヒ様にして置けば良かったわ〜」
そんな心ない侍女達の立ち話は、今に始まった事ではない。
アウグストが気温の変化で直ぐに熱を出してしまい、何日も床に伏している時など、これ見よがしに、そんな事を話している。
やはり、自分は第一王子と言う名ばかりの王子なのだ。
誰からも必要とされる事も無い、臣下でさえも最初は影でコソコソと自分達の主人であるアウグストの事を「将来が見えない王子」だと言い出した。
いつも、そんなアウグストの周りの心ない者達を叱りつけるのは、乳母のローリアと幼いアウグストに着けられた護衛のシルベスターだった。
あの悪夢の様な夜の事は、今になっても忘れる事など出来やしない。
幾ら第一王子が住む離宮でも、アウグストの周りは全て敵ばかりだった。昨晩まで熱を出していたアウグストは、側にいた乳母に水を頂戴と言った。ローリアは、王子の寝台の近くに置いてある水差しをコップに入れるとアウグストに手渡した。
「いけません!アウグスト様。それをお飲みになってはなりませぬ!」
コップをアウグストの手から取り上げたシルベスターは、怖い目をしてアウグストを見ていた。
「シルベスター殿…それでは、王子の熱も下がりませぬ」
ローリアは、シルベスターの行動に驚いていた。ローリアが言う様に、アウグストの喉はカラカラで声も出ない。水を求めるアウグストにシルベスターは、自分の腰に着けていた羊の革袋の水を王子に飲ませた。
漸く喉が潤った王子は、どうしてシルベスターが自分にその水差しの水を飲ませないのかと聞いて来た。暗殺などと言う恐ろしい言葉の意味も知らない、この王子は人を疑う事など知りもしなかった。だから、心なき臣下達、侍女達の陰口に恐れ傷ついていたのだ。
すっかり萎縮していた王子に、シルベスターが近づくと彼の大きな手が幼いアウグストの頬を撫でている。
「アウグスト様。私はこの命にかえても、あなた様をお守り致します。ですから、私の事を信じて下さい。この離宮でアウグスト様の事をお慕いしているのは、私とここに居る乳母のローリアだけでございます。明日、アウグスト様は北の塔に入れられる事になりました。私の力が及ばず申し訳ございません。私も一緒に北の塔へと志願致しましたが、騎士団に戻る様に命を受けました…..。残念でございます」
シルベスターの言葉に、側にいたローリアも涙を見せていた。
アウグストの小さな手は、震えながらも絹のシーツをキツく握りしめていた。手の上にポタポタと溢れる雫。シルベスターは水差しの水を一気に飲み干すと王子に向って言った。
「アウグスト様。もし私を信じて下さるなら、私をお側に置いて下さい。人間としてではなく…」
シルベスターが言葉を言い終わる前に、白い光がシルベスターを包むと洋服だけが一瞬 宙に舞った。 パサリと音を立てて落ちる洋服には、その服に袖を通す主人を無くしていた。シルベスターはアウグストの前から忽然と姿を消してしまった。
ローリアは、両手で口を押さえると嗚咽しはじめた。
「あの水差しの水は、やはり毒だったのですわ….。シルベスター殿….無念です…」
「シ..シルベスター!何処なの? 何処に居るの? 返事をしてよ!どんな姿でも良いから、僕の側に居てよ…シルベスター!」
この日は、満月だった。
優しく王子の部屋を照らす月明かりは、やがて一つの綺麗な水晶玉へと形を変えた。
アウグストの部屋にいきなり現れた水晶玉を持っているのは、大天使シェスラードだった。大きな翼には輝くばかりの金の光が満ちあふれている。金色の巻き毛をしているシェスラードは、床でシルベスターの服を握りしめて泣いているアウグストを見ると優しく微笑んだ。
「お前がアウグストか」
「は、はい!」
「その服の持ち主であるシルベスターから、頼まれてな…。 彼奴はどのような姿でも良いからアウグスト、お前の側に居たいと言っていたのでな。毒入りの水差しを自分で煽って私を召還しようとするとはな….」
ど、毒入り?!
その言葉を聞いてアウグストの顔色は真っ青になった。
此処に居れば確実は自分は殺されてしまう…シルベスターを失った今、自分を守ってくれる者は、乳母のローリアしかいない。しかし、ローリアは乳母だ。しかも初老である。そんな乳母に自分を守れと言う訳には行かない。
「大天使シェスラード様。私には自分を守る術も、そしてローリアを守る事も出来ません」
「そうか…。やはりシルベスターが必要なのだな。だが、人間の姿でお前の近くに居させる訳には行かない。それでも良いのだな」
「はい。彼がどのような醜い姿になろうとも、シルベスターは私を守ってくれます。そう信じています」
揺るがないアウグストの碧眼を見たシェスラードは、微笑むと自分が持っていた水晶玉をアウグストに手渡した。水晶玉は、アウグストの掌で形を変えると黒い銀の虎縞の猫となった。
その猫の瞳は、シルベスターの蒼い双眸とは異なる銀の双眸を持っていた。
「シルベスター…」
「にゃぉ〜ん」(はい。そうですアウグスト様)
文字通り彼は死ぬまでアウグストに使えていた。その事を知るのは、乳母と自分しか居ない…..なのに、あのジャンヌは知っているのだ。揺れるような銀の双眸でアウグストの心をかき乱して来る。
何とも懐かしく昼間の様に、何もかもを忘れてジャンヌの腕の中で眠っていたい...。シルベスターが生きていたあの頃のように..。
アウグストが、健康体となり無事に第一王子として、この離宮に戻った時には、猫はかなり歳を取り過ぎて衰弱していた。それでも、アウグストは、一日でも早くシルベスターに自分の王子としての姿や務めを見せる為に、勉学、ダンス、乗馬 マナーに魔術と言った物を物凄い早さで習得して行った。
猫の姿となったシルベスターは、いつ死んでしまうか分からない。早く自分の地位をこの離宮にいる者達に知らしめる為にも....。
いつの間にか、周りはアウグストを次期国王へと押して行く声が強まっていた。
まさにどん底から這い上がって来たアウグストである。
臣下達や侍女達の軟化した態度を見て眉を顰めたアウグストは、父王を通して彼らを一掃した。つまりクビである。
生前、シルベスターが極秘で調べていた報告書が見つかり、その報告書には、幼きアウグストを亡き者にしようと少量ずつ毒を盛っていた事が書き記されていた。そしてその実行犯までも書いてあり、それに関わった貴族達は家を爵位を剥奪となった。
その後、アウグストには、新しい臣下達が付いた。彼らはシルベスターから「もし自分の身に何かあれば、アウグスト様を守る様に」と言われていたのだった。
猫が、この世を去る時、大天使シェスラードがシルベスターを迎えに来た。アウグストの腕の中で抱かれていた猫は、大きく息をすると、ニッコリ微笑んだまま旅立って行った。
アウグストの腕の中には、猫の姿が銀の砂粒の様に消えて行く。そしてシェスラードの隣には、微笑んでいるシルベスターの姿があった。
「王子。私は、これで安心して天国へと旅立って行けます。王子なら立派な姫を見つけられますよ」
そう一言残すと2人の姿は跡形も無く消えて行った。王子の周りにいた臣下達や侍女、そして乳母はシルベスターの名を呼びながら目頭を押さえて泣いていた。
明日から、あの娘に会う事になっている…。早く寝ないとな…。
成人の儀まで後6ヶ月
猫との接点と言う事で、今までは乳母を何となく出していましたが、乳母だけで王子を守る事は出来ないので、騎士を付けました。
シルベスターです。年齢はこの時25才くらいと言う事にして置きます。
猫の歳って、一年に4〜6才くらい歳を取るので、最長に生きても22年くらいですかね。それって人間の歳にすると132才!? 凄いです。
それにしても猫って可愛いですよね。
犬も可愛いです。
アウグストは、猫派と言う事にしました。