第2話 未来の旦那、M&Aで資産20%を溶かす
恋をすると、人は未来を語りたくなるらしいです。
僕も例外ではありませんでした。
彼女ができた翌週、
僕はなぜか会社を拡大しようとしていました。
そして――
いきなり資産の20%を失います。
今回は、未来の旦那が最初にやらかした話です。
人は恋をすると未来を語り出す。
僕も例外ではなかった。
「支え合える人」と出会った僕は、
なぜかいきなり“支える側の経営者”としてレベルアップしようとした。
僕は塾の個人オーナーだ。
一年前に法人化したばかり。
名刺に「代表取締役」と書けるようになり、調子に乗りやすい状態だった。
彼女との未来を考えた。
結婚。安定。拡大。
ならば教室も増やすべきでは?
悩んだ僕は思考を巡らせた。そして出した結論が、『M&A』だ。
これなら、ランニングコストを最も低く抑えられる。
後継者不足で、損益分岐前後のお手軽な案件を狙えばいい。
僕なら、きっとそこからV字回復させることができる。
今までの実績がその裏付けだ。
なぜ普段慎重な僕がここまで自分を過大評価していたのか?
今ならわかる。
数年ぶりの「彼女ができた」というテンションが僕の気を大きくしていた。
そして、そんな足元がふわふわしている時に限って理想の案件が飛び込んでくる。
見つかれば話は驚くほどスムーズに進んだ。
立地よし。生徒数そこそこ…なんと初月から利益も見込める。
テナントオーナーも「あなたのような後継者が見つかってよかった」とさわやかだった。
僕は電卓を叩き、未来を描き、
「これで彼女に胸を張れる」と思った。
真面目な男は、だいたい“順調なときに確認を怠る”。
事件は一人の保護者の一言から始まる。
「先生、この教室、窓がありませんよね? 消防法って大丈夫なんですか?」
……。
一瞬、世界がミュートになった。
僕は調べた。
行政にも確認した。
結果。
完全にアウト。
笑えないレベルでアウト。
避難経路、採光、構造基準。
どこを切っても違反の金太郎飴。
僕はテナントオーナーに連絡した。
「窓くらいなら、すぐ設置できるよう動くし、作れますよ」
でも、運命の女神は僕を裏切る。
テナントオーナーからの翌日の返答はこうだった。
「やっぱり店舗は貸せません」
昨日の“作れますよ”は何だったのか。
僕の脳内で、契約書が風に舞った。
名義変更に向けて動き出した支払い済みの初期費用
M&Aアドバイザーへの中間金
その他諸経費。
資産の約20%が、静かに消えた。
恋をして付き合って1週間。いきなりの試練…。
僕は未来の旦那候補から、
“資産を溶かす男”へと進化した。
しかも閉店処理まで僕がやった。
机を運び出し、掲示物を剥がし、
ホワイトボードの「がんばろう!」を消す。
善意で始めた拡大は、
見事に空回った。
僕は反省した。
法令確認は最優先。
口約束は信じない。
契約前に第三者チェック。
完璧な学習だ。
ただし、この時点で20%は戻らない。
問題は、彼女だった。
付き合って間もない。
将来を考えている。
なのに僕は、いきなり経営判断をミスり、資産を削っている。
正直に言えば、黙っていようかと思った。
だが僕は“誠実な男”を目指している。
人生の例題は体で覚えるタイプだ。
デート帰りのカフェで、僕は口を滑らせた。
「実はさ……ちょっと失敗して」
詳細を話した。
窓。消防法。違約金。20%。
言いながら、胃が縮む。
(これは、引かれる)
将来を考える相手としては不安材料しかない。
合理的に考えれば、損切り案件だ。
彼女はしばらく黙っていた。
僕は覚悟した。
「やっぱり、少し考えたい」と言われるかもしれない。
その時、彼女が言ったのは。
「その教室の子どもたちが一番かわいそうだよね…大丈夫かな?」
僕は一瞬、意味が分からなかった。
「え?」
「急に閉まるってなったら、不安になるよね。次の教室、ちゃんと見つかるといいけど」
そこ?
僕の資産の20%より、子ども?
僕はその瞬間、理解した。
この人は、損得で人を見ない。
おしぼりの山の時もそうだった。
コロナで沈黙した時もそうだった。
彼女は一度も、僕の“出来”を査定していない。
「大丈夫。引き継ぎ先は確保した。最後まで僕が対応する」
そう答えながら、胸の奥が熱くなった。
失敗はした。
判断は甘かった。
資産は減った。
だが。
この人となら、何度でも立て直せる気がした。
僕はこの時、二つのことを決めた。
一つ。
次からは法令を最優先で確認する。
もう一つ。
この人と結婚する。
真面目な男は、だいたい順番を間違える。
でも今回は、たぶん合っている。
帰り道、彼女は言った。
「失敗したことより、ちゃんと向き合ってることのほうが大事だと思うよ」
僕はその言葉を、心の議事録に刻んだ。
今度こそ人生のどんな応用問題も解ける気がした。
たぶん。
きっと。
そして僕らはまだ知らない。
僕は手料理をふるまうことで彼女の良さを改めて認識するなんて
惚れ込んだじゃない…惚れ埋まった状態になるなんて…
未来の旦那は、
まだ学習途中である。
読んでいただきありがとうございます。
法令確認は本当に大事です。
「大丈夫だろう」は、だいたい大丈夫じゃありません。
ただ、この出来事で僕は一つ確信しました。
――この人は、損得で人を見ない。
次回。
僕は手料理をふるまいます。
そして気づきます。
「あれ、この人…手放したら一生後悔するやつだ」と。
未来の旦那、まだ学習途中です。
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今話も本当にありがとうございました。




