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第88話:統計の乖離



ギルドの地下倉庫は、冷えた空気が溜まっている。


アルノーはそこで、下水路から戻ったばかりの清掃班とすれ違った。


班長の男が、ふと足を止める。


「坊ちゃん、あの陣だがな」


アルノーは顔を上げた。

「何かありましたか」


「いや。ねずみが、来ねぇんだ」


班長は不思議そうに首を振る。


「結界が弾いてるわけじゃねぇ。ただ、鼠の方が勝手に避けていく」


アルノーは小さく頷いた。


「位相をずらしましたから」


「位相?」


「彼らにとって、あの場所は『揃いすぎている』のです」


魔物は歪みを好む。


均整の取れた場所は、彼らにとって居心地の悪い空白に等しい。


受付では、副長がペンを走らせていた。


卓上には、この数週間の任務報告書が積み上がっている。


その数値は、静かに、しかし決定的に「標準」から外れていた。


「薬草の納品数、前月比四割増」


「下水区の負傷者数、ゼロ」


副長の指が、帳面の端をなぞる。


アルノーが持ち込んだ『簡易プレート』と、各地に刻んだ『均整陣』。


それらは魔力で世界をねじ伏せるのではなく、ただ世界の「形」を整えた。


その結果、ギルドが長年維持してきた統計の均衡が崩れ始めていた。


管理された混沌の中に、突如として生まれた「透き通った空白」。


それは組織にとって、無視できない異常値ノイズとなりつつあった。


「……報告書を上げる必要があるな」


副長はペンを置く。


視線の先には、窓から差し込む夕暮れの光。


均一ではない。


だが、その光は王立魔術監視院の窓をも、等しく照らそうとしていた。

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