第77話:標なき杖
灰棟の中央に、一本の杖が置かれていた。
黒木に銀の紋様。
王立式の標準型。
「持ってみろ。」
双子の片方が言う。
「逃げるなよ。」
アルノーはしばらく見つめる。
自分は杖を持たない。
入学以来、持ったことがない。
だが。
理論を深めるなら、避ける理由も検証しなければならない。
ゆっくりと手に取る。
冷たい。
軽い。
魔力を流す。
増幅陣が反応する。
周囲の魔素が吸い寄せられ、式が一段広がる。
厚みが出る。
持続も伸びる。
ガルドが踏み込む。
受ける。
均す。
止まる。
四瞬。
明らかに長い。
双子が声を上げる。
「おお。」
だが、その瞬間。
足裏の感覚が跳ねる。
踏み込みと式の刻みがずれる。
自分自身の感覚が乱れる。
衝撃が予想外の方向に抜ける。
崩れる。
膝をつく。
静寂。
アルノーはゆっくり杖を見る。
「……量は増えています。」
ルディスが問う。
「だが?」
「位相が跳ねます。」
ガルドが眉を寄せる。
「跳ねる?」
アルノーは言葉を選ぶ。
「外部増幅は魔力を“押し広げます”。」
「ですが、発動の刻みを均一にしません。」
「私の式は、踏み込みと同時に立ち上がるよう設計されています。」
「増幅すると、立ち上がりが先行します。」
ルクスが静かに言う。
「外が速ぇのか。」
アルノーは頷く。
「身体より、式が速い。」
「だから内部標がずれます。」
双子が杖を覗き込む。
「便利なのに、不安定だな。」
ルディスが腕を組む。
「王立式は厚みでずれを潰す。」
「亜人式は流して逃がす。」
「だが、お前の式は潰さず、流さず、揃える。」
アルノーは杖を地面に置く。
「だから外部は粗い。」
「私は増やしません。」
ガルドが問う。
「怖ぇからか。」
「違います。」
即答だった。
「私の理論では、量は副次です。」
「揃うことが本質です。」
ルクスが尾を揺らす。
「標なき杖、か。」
アルノーは木剣を握る。
呼吸。
四拍。
踏み込み。
均す。
三瞬。
揺れない。
杖なし。
だが崩れない。
双子が言う。
「地味だな。」
「だが静かだ。」
ルディスが小さく笑う。
「完成したら、面倒だな。」
ガルドが短く言う。
「増やさずに勝てるなら、見ものだ。」
アルノーは月を思い出す。
半月。
欠けている。
だが形は整っている。
杖は持たない。
外に標を置かない。
位相標は、内部にある。
揃える。
増やさない。
それが、自分の理論。
灰棟の空気が静かに沈む。
だが、その静けさは弱さではない。
揺れを選ぶ、強さだった。




