第59話:去った理由
石板の修復を終えたあと、工房は静かだった。
亜人の少女は奥へ引き、扉が閉まる。
夕暮れの光が斜めに差し込む。
アルディウスは椅子に腰を下ろした。
「王立学園はどうだ。」
唐突に問う。
「まだ、入学式を終えたばかりですよ。」
アルノーは答える。
「6年間の中で、何か意味を見つけます。」
老研究員は小さく笑う。
「若いな。」
沈黙。
やがて言う。
「私は昔、王立研究員の前に学園で教鞭を取っていたことがある。」
アルノーは顔を上げる。
「創設理念は美しかった。」
「種族も身分も問わず、魔法を共有する。」
「だが現実は違った。」
机の上の古い拓本を指でなぞる。
「亜人式は効率が良い。」
「だが採用されなかった。」
「戦争の記憶は、細部には残っている。」
アルノーは思い出す。
授業で聞いた亜人戦争。
「理論の優劣ではなかった。」
アルディウスは静かに続ける。
「王立学園は“足す”理論を好んだ。」
「重ね、強化し、管理する。」
「安定の理論を好みは、今の君のような危険な魔術式は危険視された。」
アルノーは石板を見る。
ギリギリを攻めるような術式は、制御が難しい。
「君のやり方は、王立学園では反発が大きいかもしれない。」
老研究員の声は穏やかだ。
「効率が良すぎる。」
「魔力が少なくても動く陣は、管理しにくい。」
アルノーは首を傾げる。
「なぜ管理する必要があるのですか。」
アルディウスは少しだけ目を細める。
「王立学園は王国の装置だ。」
「秩序を維持するための。」
沈黙が落ちる。
「私は効率の良い理論を推した。」
「亜人式を取り入れようとした。」
老研究員は石板を置く。
「却下された。」
「それだけだ。」
声は淡々としている。
怒りはない。
だが諦めでもない。
「私は去った。」
「王立魔導学園を。」
アルノーは言葉を探す。
「後悔は。」
アルディウスは少し笑う。
「ない。」
工房を見渡す。
「ここでは理論が先にある。」
夕暮れが濃くなる。
「覚えておけ。」
老研究員は静かに言う。
「歴史は、勝った側の理論を“正しい形”に整える。」
「だが整えられた形が、真実とは限らない。」
その言葉は重い。
アルノーは思う。
王立学園は秩序を“作る”。
だが。
そこに美しさを求めたい。
「君は君の理論を追求しなさい。」
アルディウスが言う。
「君のやり方は反発が大きいが。」
「今の王立学園には必要かもしれないな。」
外の風が鳴る。
工房の壁に掛かった亜人式の陣が、静かに光る。
均一で、無駄がない。
美しい。
その瞳は、どこか遠い。




