第31話:見えているもの
紙の上の線を、アルノーは何度もなぞっていた。
整えすぎれば滞る。
逃がせば散る。
その間が、まだ見えない。
もう一度、魔力を流す。
光が生まれる。
揺れる。
消える。
アルノーは目を閉じた。
そして、違和感を思い返す。
消える直前。
中心ではない。
外周でもない。
ほんのわずかに、線が歪んでいた。
描き直す。
今度はそこだけを修正する。
魔力を流す。
光が立つ。
一秒。
二秒。
三秒。
——四秒。
わずかに記録が伸びた。
だが次の瞬間、静かに消えた。
アルノーは息を吐く。
「そこか……」
小さく呟く。
「ほう。」
背後から声が落ちた。
振り返るまでもない。
ヴェルドだった。
いつから見ていたのか分からない。
「なぜ分かった。」
問いは短い。
アルノーは少し考える。
「消える前、形が揺れていた気がして……」
言いながら、自信がなくなる。
気のせいかもしれない。
ヴェルドは陣を見る。
そして、ほんのわずかに頷いた。
「……目が良いな。」
アルノーは顔を上げる。
「え?」
ヴェルドはそれ以上何も言わない。
杖の先で線の一点を示す。
「多くはな。」
静かな声だった。
「見ているようで、見えていない。」
沈黙が落ちる。
褒められたのかどうかも分からない。
だが胸の奥に、小さな熱が残った。
「形を整える前に、まず見ろ。」
ヴェルドが続ける。
「世界は既に在る。」
窓の外へ視線を向ける。
朝の光が庭を照らしていた。
影が、静かに伸びている。
「歪みもまた、そこに在る。」
アルノーはもう一度陣を見る。
完璧ではない。
だが、ただの失敗にも見えなくなっていた。
「……先生。」
初めて、そう呼んだ。
ヴェルドはわずかに眉を動かす。
「なんだ。」
「僕は……」
言葉が見つからない。
分からないことが、多すぎる。
ヴェルドは小さく息を吐く。
「分からぬままでいい。」
その声は、不思議と冷たくなかった。
「見続けろ。」
アルノーは頷く。
線を見つめる。
光を思い出す。
消える瞬間の、わずかな揺らぎを。
整えるだけでは足りない。
だが——
足りないものは、まだ言葉にならない。
それでも一つ、確かなことがあった。
自分は、見ようとしている。
窓の外では、朝の空がどこまでも澄んでいた。
歪みのない青だった。
それでもアルノーは思う。
夜になれば、あの月が昇るのだろうと。




