第2話:欠けたもの
数日後の夜だった。
屋敷の庭は静まり返り、噴水の水音だけが小さく響いている。昼間の熱はすでに失われ、空気は少しだけ冷えていた。
アルノーは渡り廊下を歩いていたが、ふと足を止めた。
何かが違う気がした。
理由は分からない。ただ、胸の奥に小さな引っかかりがある。
彼はゆっくりと天を見上げた。
月が、欠けていた。
思わず瞬きをする。
見間違いかと思ったが、もう一度見上げても、やはり形は満ちていない。
ほんのわずかな違いのはずなのに、視線がそこに留まる。
アルノーはしばらく黙って眺めた。
――前は、丸かったはずだ。
指先でそっと円を描こうとして、途中で止まる。
どこかが足りない形は、うまくなぞれなかった。
「若様。」
背後から、落ち着いた声がした。
振り向くと、じいやが立っている。
「どうなさいました。」
アルノーは再び空を見上げた。
「……月。」
「ええ。」
「欠けてる。」
じいやは穏やかに頷いた。
「月は満ちたり、欠けたりするものにございます。」
アルノーは少し考える。
「どうして。」
問いは短かった。
じいやは空を仰ぎ、それから静かに答える。
「満ちたままではいられぬからでしょうな。」
その言葉の意味を、アルノーはうまく掴めなかった。
欠けているのに、そこに在る。
形が足りないのに、なくなったわけではない。
彼はもう一度、月を見る。
不思議だった。
嫌いではない。
けれど、どこか落ち着かない。
理由は分からない。
ただ、目が離れない。
「……丸い方が、わかりやすいのに。」
じいやは小さく笑った。
「やがてまた満ちます。」
アルノーは何も答えなかった。
満ちるのなら、最初から満ちていればいいのに――そんな考えが浮かびかけて、言葉にはならず消えていく。
夜気が静かに流れる。
噴水の水が、同じ調子で落ち続けている。
それを聞きながら、アルノーは欠けた月を見上げていた。
欠けた月が、そこに在った。




