第26話:揃っているのに
昼の書庫は、柔らかな光に満ちていた。
窓辺に置かれた紙が、風にわずかに揺れる。
アルノーは新しい魔法陣を描き終え、しばらくそれを見ていた。
線は乱れていない。
間隔も均等だ。
前より、ずっと整っている。
「……悪くない。」
小さく呟く。
床に置き、指先を向ける。
魔力を流す。
光が生まれる。
輪郭も安定している。
一秒。
二秒。
三秒。
そのとき、中心がわずかに震えた。
遅れて外周が揺れる。
光は静かに細くなり、消えた。
アルノーは動かなかった。
崩れたわけではない。
だが——
保てなかった。
視線を落とし、線を追う。
揃っている。
どこにも乱れはない。
それなのに、続かない。
「……なぜだろう。」
答えは浮かばない。
ふと、昨日の言葉がよぎる。
——重い。
もう一度、陣を見る。
整っている。
整いすぎているようにも見える。
そのとき、小さな音がした。
振り向くと、ヴェルドがいつの間にか立っていた。
足音を聞いた覚えがない。
「失敗ではない。」
唐突に言う。
アルノーは少しだけ驚く。
「揃っている。」
ヴェルドは陣を見下ろす。
「だから滞る。」
それだけだった。
説明はない。
アルノーは眉を寄せる。
揃っているのに、滞る。
言葉の意味が、すぐには結びつかない。
ヴェルドは杖の先で空中に小さな円を描く。
閉じた円だった。
「水はな。」
ぽつりと言う。
「閉じれば、いずれ動かなくなる。」
杖を止める。
「流れる場所がいる。」
アルノーは陣を見る。
流れる場所。
どこに?
どう作る?
問いだけが増えていく。
ヴェルドはそれ以上言わない。
「描き直せ。」
短く告げる。
助言でも指導でもない。
ただの事実のように。
アルノーは紙を取り出す。
すぐには線を引かない。
さっきの陣を思い出す。
完璧に近かった。
それでも足りなかった。
「若様。」
いつの間にか、じいやも戸口に立っていた。
「お茶をお持ちしました。」
湯気が静かに立ち上る。
アルノーは頷き、カップを受け取る。
温かい。
その表面が、わずかに揺れる。
完全には止まらない。
「……流れてる。」
思わずそう呟く。
ヴェルドが一瞬だけ目を細めた。
だが何も言わない。
アルノーはカップを見つめる。
揃っていない揺れ。
それでも、こぼれない。
視線を机へ戻す。
整えるだけでは足りない。
だが、どう足りないのかはまだ分からない。
それでも一つだけ確かなことがある。
形には、まだ続きがある。
アルノーは鉛筆を持つ。
次の線を、ゆっくりと探し始めた。




