第17話:届かない形
書庫の机の上に、薄い紙が広げられていた。
アルノーは鉛筆を握り、慎重に線を引いている。
円を描く。
一度止まり、歪みを見つける。
描き直す。
また止まる。
それを何度か繰り返し、ようやく小さく息を吐いた。
揃っているように見える。
完全ではない。
それでも、今の自分に描ける一番静かな形だった。
「若様。」
振り向くと、じいやが立っていた。
「魔法陣、でございますか。」
アルノーは少し迷ってから頷く。
「やってみたい。」
じいやは止めなかった。
紙を見下ろし、ただ一言。
「整っておりますな。」
その言葉に、胸の奥がわずかに温かくなる。
アルノーは床に紙を置いた。
小さな陣だった。
試すだけなら、これで十分なはずだった。
本で見た通りに、指先を中心へ向ける。
静かに意識を集める。
中庭で見た光を思い出す。
形が先だ。
そう思った。
次の瞬間——
何も起きなかった。
空気はそのまま。
揺れも、光もない。
アルノーは瞬きをする。
もう一度、試す。
指先に力を込める。
けれど、沈黙だけが続いた。
「……あれ。」
小さく漏れる。
そのとき、書庫の奥から足音が近づいた。
家宰だった。
床の陣を見るなり、わずかに目を見開く。
「これは、若様が?」
アルノーは頷く。
「光らない。」
家宰は陣を見つめ、やがて穏やかに言った。
「形は見事です。」
一拍置く。
「ただ——少々、魔力を要する構造ですな。」
魔力。
その言葉を、アルノーは静かに受け取る。
「多くの者でも、これを動かすのは骨が折れましょう。」
アルノーは陣を見る。
揃っている。
無駄もない。
それでも、足りない。
「……揃ってるのに。」
思わず呟く。
家宰は微かに笑った。
「整っている形ほど、多くを求めることもございます。」
多くを求める。
アルノーはその意味を完全には理解できなかった。
けれど一つだけ分かる。
この形は、まだ自分には遠い。
しばらくして、じいやが静かに紙を持ち上げた。
「初めてにしては、立派でございます。」
アルノーは答えない。
視線は、陣の中心にあった。
届かなかった。
だが、不思議と悔しさはない。
ただ思う。
——いつか、届くだろうか。
その問いだけが、静かに胸に残った。




