第9話:先に揺れるもの
その日も、夕暮れは同じ色をしていた。
中庭の石壁は赤みを帯び、昼の熱を静かに逃がしている。空気は穏やかで、風もほとんどなかった。
アルノーは、いつもの位置に立っていた。
ここからだと、全体が見える。
使用人が中央に進み出て、深く息を吸う。
手が上がる。
淡い光が生まれた。
これまでに何度も見てきた光だ。揺れ方も、集まり方も、だいたい同じ。
アルノーは、無意識に視線を細めた。
光が丸くなろうとする。
その輪郭を、目で追う。
——少し、外に引っ張られている。
そんな気がした。
右側が、わずかに薄い。
まだ誰も気づいていない。
使用人も、庭師も、ただ光を見ている。
アルノーは息を止めた。
次の瞬間を、待つ。
「あ……」
声にならない音が、喉の奥で止まる。
輪郭の一部が、細くなる。
そして——
光が、裂けた。
昨日と同じ場所だった。
音もなく、静かに。
使用人が驚いたように目を見開く。
「……あれ?」
庭師が首を傾げる。
「さっきと似た崩れ方だな。」
アルノーは、しばらく何も言えなかった。
胸の奥で、何かが小さく噛み合う。
偶然ではない。
理由は分からない。
けれど、起こる前に分かった。
それだけは確かだった。
使用人が手を下ろし、困ったように笑う。
「なかなか安定しませんね。」
庭師は肩をすくめる。
「まあ、そういう日もある。」
そういう日。
アルノーは視線を、もう一度、光があった場所に戻す。
もし、あそこが均等だったなら。
もし、最初から揃っていたなら。
裂ける前に、留まれた気がする。
そんな考えが浮かび、すぐに消える。
分からないことが多すぎた。
それでも一つだけ、はっきりしている。
「……同じところだ。」
小さな声だった。
庭師は聞き取れず、首を傾げる。
「若様?」
アルノーは首を振った。
「なんでもない。」
それ以上は言わない。
言葉にしてしまうと、何かが崩れそうだった。
中庭に、再び静けさが戻る。
使用人たちは片付けを始め、話し声が遠のいていく。
アルノーはその場に残り、しばらく動かなかった。
揺れは、起きる前から始まっていた。
ただ、それに気づいただけだ。
彼はゆっくりと息を吐き、屋敷の方へと歩き出す。
背後で、石壁が夕闇に沈んでいった。




