7 最後の選択
夜。
風が止み、空気が張り詰めていた。
祖母の家の庭にある封じられた井戸の前で、悠真は一人、立ち尽くしていた。
「戻ってきてくれたんだね、悠真」
背後から聞こえたのは、遥の声。
だがその声は、水音のように重なり、反響していた。
「思い出した?あの夏、私が消えた日のことを」
記憶の泉
視界が揺れる。
気がつくと、悠真は昔の村の風景の中に立っていた。
太陽が焼けつくように照りつける干ばつの年。
子どもたちは水たまりを探し、大人たちは祈祷と供物を繰り返していた。
その中で、一人の少女――遥だけが、“水”と話せた。
「水神さまが言ったの。生贄が必要だって」
誰もが黙った。
そして、彼女は自ら白装束に身を包み、村人に押されるように井戸へ向かった。
その最後の瞬間、遥は振り返って、誰かを見た。
――それは、幼い悠真だった。
呪いと祈り
現実に戻った時、祖母が両手を合わせて井戸の前に立っていた。
「この子を返して。遥はもう……帰る場所がないのよ」
遥の声が井戸から溢れ出す。
「嫌。今度こそ“最後”までいるって決めたの。私の中に、悠真がいれば完璧になれる」
祖母は護符を投げ込み、儀式を始めようとする。
だが、黒い水柱が吹き上がり、彼女の身体は吹き飛ばされた。
悠真は迷わなかった。
「俺が行く。遥と、終わらせる」
水の中の最終問答
井戸に足をかけた瞬間、世界が反転した。
悠真の意識は水の底に引きずり込まれ、遥と対面する。
「ねぇ、悠真。君が私だったら、どうした?」
「……わからない。でも、僕はもう君じゃない」
遥は微笑んだ。その顔には悲しみも、愛しさも、恐れも混じっていた。
「なら、選んで。
私を消すか、一緒に沈むか」
選択と消失
その時、井戸の外の世界で、一筋の陽光が雲の隙間から差し込んだ。
悠真は深く息を吸い、遥の手を強く握った。
「一緒に、終わらせよう。もう、誰も呑まれないように」
水が爆ぜ、井戸が音もなく崩れ始めた。
祖母が最後に見たのは、水の中で手を取り合って消えていく二つの影だった。
終章:再び、静寂
村は静まり返り、井戸は再び封じられた。
数ヶ月後、村に戻ったある青年が、井戸の前に立った。
鏡のような水面に、自分の顔を映して呟いた。
「……ようやく、思い出せたね」
水面が揺れ、微かに女の笑い声が聞こえたような気がした。
終