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第八話  揺れる記憶、届く声

 ……また、あれか。

 窓際に立つ青藍は、静かに息を吐いた。右手には未だ紅茶が入ったカップが残されていたが、その液体はとっくに冷めてしまっていた。香りも熱も、彼の指を温めるには至らない。

 陽光に照らされた中庭。視線の先で、例の“異物”――水無月朔が、また誰かに声をかけていた。今日の相手は、若い庭師の見習いだ。


 一枚の紙と絵本を手に、文字をなぞりながら一音一音を押し出すように語る彼の姿は、滑稽にも見えた。

 滑稽なはずなのに、なぜか目が話せない。可笑しいはずなのに笑えない。


「……Floria(フロリア)(花)……Serifa(セリファ)(好き)……」


 ぎこちない発音。だが、その声音には雑音がなかった。耳で聞いたことを素直に発音に乗せる。発音の際の舌の位置なども、一つ一つなぞるように丁寧に。

 一語ごとに祈るような真摯さがあり、まるで自分の存在すら込めるように、言葉を紡いでいく。


(なぜ、そこまで……)


 異端な存在。居場所のないはずの異物。拒絶されるべき存在。それなのに朔は怯えも怒りもなく、この世界に踏み込もうとする。

 諦め、失望し、部屋に篭って泣き叫べばいいのに。あいつはそうしない。寧ろ、人と関わり変化を受け入れようとする。分からない。何故そこまでして、この世界に馴染もうとするのか。


「……異物は、異物らしく振る舞えばいいんだ」


 口にしたはずのその言葉は、自分自身への戒めにも似ていた。


 胸の奥で、古びた記憶が揺れる。

 三百年前。風の強い午後。


 背に乗せていた小さな存在。

 無邪気な声。柔らかな髪。ふと抱きしめたくなるような温もり。

 だが一瞬の油断で、彼は空へと投げ出された。


 咄嗟に伸ばした手は、届かなかった。

 その名を、何度も呼んだ。

 けれど応えはなく、姿はどこにもなかった。幾度となく探したけれど手掛かりさえ掴めず、声が枯れるまで泣き叫んだ。決して死んだとは認めたく無い。きっと生きている。そう願うも、胸の奥にポッカリ空いた穴には風が吹き抜け、寒いままだ。


 時は過ぎ、ただ命を縛るためだけに王・陽騎に龍玉を奪われ、生きることを強制された。

 ”生”ではない。生かされているだけだ。


 龍玉は、竜の一族にとって魂と同等。失えば本来の力は、三分の一も出せなくなる。壊されれば、竜は意識を保てなくなり死んでしまう。それほど大切なものであり、竜一族にとって無くてはならないものだ。

 けれど、その龍玉を取り出してもらったことによって、自我が保たれ暴走せずに済んだのも確かだ。俺があの時、暴走すればこの世界が無事だったかどうか定かではない。


(……ただ俺の時間は、あの時から止まったままだ)


 竜にとってアレを失うのは、心臓を砕かれるに等しい。その空白を埋めるものなど、あるはずがない。

 なのに――なぜ、朔の姿が心をざわつかせる。


 あの子とは似ても似つかない。表情も、声も、仕草も何もかもが違う。

 だが……ときおり見せる、あの不器用な笑顔が、何故か懐かしくてならなかった。


 それだけではない。

 彼の言葉は、自分だけに届いていた。


(……また、聞こえた)


 たどたどしい発音。合間合間で呟く異国の言葉。聞いた事も見たことも無い音の綴り。なのに自分には意味が分かってしまう。正確には、彼の言う言葉が自国の言葉に変換されて伝わるのだ。

 俺とあの”異物”との間で、何が起きているのか。何が起きようとしているのか。


『Serifa』――愛おしい、好きと言った意味の言葉。抑揚が変われば”苦しい”と言う意味にもなる。彼は、まるで文脈の空気を読み取ったかのように、正確に使い分けていた。もちろん今までの努力の賜物なのだろう。けれど、二、三度聞いただけで使いこなすことが出来るだろか。


 偶然?それとも彼の中の“何か”が口を動かしているのか。

 指先がかすかに震える。額に手を当て、思考を断ち切るように目を閉じた。アイツとあの子を重ねるな。無意味な希望は持つべきではない。


(違う。似ているだけだ。……そんなはず、あるものか)


 中庭からは、一際楽しそうな朔の声が届いた。続いて拍手の音。使用人たちの笑い声。視線を向ければ、使用人たちに囲まれ、ハニカムように照れ笑いをする朔が、一人一人に「Meshaありがとう」と頭を下げていた。


(また、その顔……)


 無邪気さと誠実さが混じる、あの笑顔。

 今では記憶の中にしかなかったはずの表情。


 目を伏せ視界から朔を排除する。冷たくなった紅茶を口に含み「苦いな」と呟いた。窓から一歩離れ歩き出す。けれど足取りはその場から離れたくないかのように重く鈍い。


 振り返りたい衝動を押し込めるように、意識的に足を進める。

 部屋の中程まで歩みを進めたとき、また朔の声が聞こえた。


「……Nyuma’lor(ニューマロル)……おはよう……えっと、 Nyuma…ロル……」


 この時ばかりは竜の聴力が恨めしい。聞こえなくてもいいものが聞こえてしまう。少し噛み、言い淀みながらも真っ直ぐに届く声。その響きに、青藍の胸の奥がわずかに揺れた。


Salen tor(サレン トル)elrima.(エルリマ)(まだまだだな……)」


 ため息を吐き、そう呟いた口角はほんの少しだけ上がっていた。

 青藍は、空になったカップをテーブルに置き部屋を出た。


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