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第七話  言葉の種を蒔く日々

 一瞬黒い影が差し込み次に一際強い風がブワッと中庭を吹き抜けた。その折、庭に咲いていた小さな白い花々の花びらが、舞うように空へと吹き上がる。

 どうやら竜が上空を飛び抜けていったようだ。かなり上空を飛んだはずなのだが、強い風となって吹き抜けていく。朔は、その力強い流れを追って空を見上げた。


 青い空に舞い上がる花びらの先を何気なく見つめていると、不意に塔の上で風に揺れるふたつの髪が映り込む。陽光をまとった金と銀。あの王と、白銀の竜――青藍だ。

 二人で何か話をしているのだろうか。それとも、あの高い場所から城下を見下ろし巡回していたりするのかもしれない。朔は日差しを遮るように、手のひらを額にあて目を細めた。

 この世界に来てから、身体的にいくつか“変化”が起きている。その一つが、視力だった。


 以前は、仕事柄パソコンを見ることが常で、眼鏡やコンタクトがなければ文字すら読めないほどの近視だった。それが今では、裸眼でも文字が読めるほど見えるようになっている。肌艶といい、ここの気候や食材には何か効能があるのだろうか。いつか、それについても調べられたいいなと思う。


(……二人とも、何を話しているのかな)


 政治的なものなのか、それとも全く別のことか。どちらにしても、ここからでは二人の話し声は届かないし、聞こえたとして朔が理解できるものでもないだろう。

 朔は視線を戻し、庭師のエルバさんがいる菜園に向かう。

 エルバさんは、この国の言葉を勉強し始めた時、最初に声を掛けたお爺さんだ。最初は異世界から来た異端者ということもあり、訝しげに見られ話もしてくれなかったが、毎日粘り強く声を掛け、身振り手振りで仕事を手伝ったりしていると、だんだん話をしてくれるようになった。


 今では、この城で働いている使用人にもエルバさんが声を掛けてくれて、仲良くさせてもらっている。そのお陰で一言二言、単語ではあるが少しずつ言葉を理解でき始めた。

 朔は、ポケットから一枚の紙を取り出し、今まで習ってきた言葉を書き記したものに目を落とす。


「こんにちは(Nyuma)」「ありがとう(Mesha)」「わかりません(Fira)」――


 一見すると、どれも不思議な形の記号のような文字。滑らかな曲線と細かな点が織り交ざったその文字たちは、生きているように朔には見えた。

 この国の言葉は、見た目だけでなく発音にも独特の抑揚がある。

 たとえば「Meshaありがとう」の語尾を平坦に発音すれば感謝の意味だが、語尾を強く上げてしまえば「虫が出た」というまったく別の意味になるという。だから抑揚も分かるように文字の上には矢印で発音が分かるように記してある。


「同じ文字でも、口調や抑揚ひとつで意味が変わっちまうのが、この国の言葉の難しいとこなんだよなあ」


 文字を勉強しはじめの頃、そう言って目の端に皺を寄せながら、教えてくれたのが庭師のエルバさんだった。その言葉も、片言で認識しただけなので、多分こんなことを言っているんだろうと朔は理解していた。

 朔はその言葉を思い出し自然と笑みが浮かぶ。白髪を隠す麦わら帽子。ふさふさの眉毛と顎下まで伸ばした長い口髭。顎下の髭をリング状の留め具で纏めているのがチャームポイントだ。

 

「……え、えーと……ニュマ?」


 花壇の隅で剪定作業をしていたその人に声をかけた。 


「ん? ああ、そうそう。“Nyuma”だ。こんにちはだな、坊主」


 剪定の手を止め麦わら帽子を少し持ち上げながら顔を上げる。声を掛けた朔を目にし、ふっと笑ったその顔に自然と頬を緩めた。


 土の匂い。空気の密度。会社で昼夜関係なくビルの一室で篭って仕事をしていた朔にとって、この世界で目にするもの全てが新鮮で楽しい。同時に見聞が広がっていくことに楽しさすら感じていた。

 五感すべてが、以前よりも“生きて”いるようだった。特に強く感じるのは、あの白銀の竜――青藍の存在だ。


 彼が視界に入るだけでトクンとの奥が鳴り、その場だけ空気の質が変わったように感じられる。青藍はあの日から避けているのか、姿を見かけることはあっても朔に声をかけることはしない。

 けれど彼を纏う雰囲気や、まなざしの温度まで肌で感じ取ってしまう。彼を見るたびに胸の奥がざわつく。


 (俺の身体、変だ……いや、感覚が何かに“開かれた”ような気すらする……)


 明確な言葉にはできない。けれど、自分の内側に何かが目覚めつつある気がしていた。もしかしたら、それは“この世界でしか持ち得ないもの”。あるいは――青藍に関する“何か”が朔の中で動き出そうとしているのか。

 朔は、自分の手を見つめた。花びらが落ちてきて、手のひらにふわりと触れる。


(……一体俺は、なんなんだろう?)


 胸の奥に灯る、小さな予感。けれど今はまだ、それが何かを知る術もない。

 ただ一つ言えるのは――自分は、すでにこの世界に存在するということ。


 塔の上――そこに確かに、セイランがいた。

 あの白銀の竜。あの日、自分を受け止め冷たく突き放した青年。この世界に来て、唯一最初から意思疎通ができた人物でもある。


 自分とどんな関わりがあるのか。知りたいようで知りたくない。近そうで遠い存在。それでも彼の姿を思い浮かべると、胸の奥がふっと温かくなる。


(……セイラン)


 心の中で彼の名を呟き、手のひらをギュッと握り締めた。

 

「坊主。こっちに来て、手伝ってくれないか」

「っ、はーい」


 エルバの声に反応し、振り返る。

 さぁ、今日も1日が始まる。頑張ろう。



 ――***――


 それからの朔の毎日は、まず朝起きるとバルコニーに出て空を見上げ、手早く朝食を摂ると庭作業。昼食を摂って図書室で勉強。数時間後、厨房や城のメイドたちの仕事を手伝い、陽が落ちると夕食を摂りその後は、自室に戻り夜遅くまで図書室から借りた、幼児用の絵本で言葉の勉強。

 食事は、陽騎と一緒の時もあれば使用人と一緒に食べたり、もちろん一人で食べる時もあった。けれど言葉の勉強も兼ねて、朔は使用人たちと食事をとることが多かった。


 耳で聞き、口に出し、手で書いて覚える――ただそれだけの繰り返し。けれど知らない言葉に触れるたび、この世界が少しだけ近づいてくる気がした。


「これは……“トゥモ”? 意味は“友”だったよね……?」

「うーん、それは“Tuomo”だな。ちょいと発音が違う。今の言い方じゃ“塔”=“Tuo’mo”になっちまう。点の位置も、発音の波も違うだろ」


 庭仕事の合間、朔は図書室で借りてきた幼児向けの絵本を広げて、中庭にある大木に背を預けてエルバと地べたに並んで腰を下ろしていた。

 エルバは朔が持ってきた絵本の塔の絵を指差し、正しい発音を繰り返す。それに習い、朔も「Tuomo」の時には人の姿のイラストを、「Tuo’mo」の時には塔を指差して、エルバの様子を伺いながら口ずさむ。


「えっ、本当だ……“友”と“塔”、見た目そっくり。でも点が一つ違う……発音の抑揚も違う……」

「そうさ。目だけで覚えようとすると間違う。口と耳と、全部一緒に使わねぇとな。」


 教えて貰った言葉の発音と、絵本の挿絵を見比べながら何度も復唱する。エルバもまた、朔のことを孫のように思っているのか、最初の頃より表情が柔らかくなり笑うことも増えた。正しい発音をすると「よく出来た」としわくちゃの手で朔の頭を豪快に掻き撫でるのだ。


「むずかしい……けど、楽しいかも」

「その意気だ。上達してるよ、坊主」


 エルバは朔の頭をわしゃわしゃと掻き撫で笑う。朔もまた、嫌がる様子はなく照れくさそうに笑い、忘れないようにと何度もその単語を繰り返し口にした。


 朔がこの世界に来て三週間が過ぎようとしていた。必死にこの国の言葉を勉強し、徐々にではあるが文法も含め大分わかるようになってきた。

 今ではこうして失敗も笑っていられるけれど、最初は悔しい思いばかりだった。

 伝えたいのに言葉が出てこない。こちらから話しかけても上手く伝わらない。それが繰り返されると、話しかけるのすら戸惑った。疎外感と孤独感。あと不甲斐なさが自分を責め立て、何度心が折れそうになったことか。


 けれど、その度に青藍の姿を思い出して自分を鼓舞した。いつかこの国の言葉で面と向かって話し合い、笑っているところをみたいと。

 そのお陰か、たった三週間と言う短期間でここまで頑張って来られた。この国のことも少しずつだが分かってきた。


 この国の名前は、カレルフェア。言語は、エラフェア語というらしい。

 霊山と天空に浮かぶ神域国家。人智を超える力を持つ竜族は、人に干渉しないことを約束し地上から隔絶されており、王と竜騎士団によって治められている。かつての神竜と人の契約が起源となっているらしい。

 この国に生きる人の割合は、五割が竜と人との間に生まれた竜人と呼ばれるもので、二割が他国から来た移民族。言語を持たない竜が三割。そしてこの国を統治し頂点に立つのが、竜人の中でも竜の血を濃く受け継ぐ青藍や陽騎たち王竜一族だ。


 竜族はかなりの長命で、現国王である陽騎でさえ見た目二十歳前後だが四百歳を超えるという。青藍に至っては五百歳は超えているそうだ。年功序列順で行くのなら、本来は青藍が国王になって然るべきところではあるが、数百年前にある事件があり陽騎になったのだそうだ。


 ある事件に関しては、誰も話をしたがらないし、歴史のような難しい本に至っては今の朔には読むことすらできない。たとえ読めたとして、そういった類の文献は限られた人しか見れないようにしているだろう。


 どんな事件だったのかは、多少なりとも興味はあるがプライベートなことだ。本人から聞く前に、コソコソ調べるのも好きではない。そういう事も含め、いつか話ができる”友”になれればいいなと思う。

 

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