第二十話 蝋燭の影に問う
王城の一室。厚手のカーテンが夜風を遮り、蝋燭の炎が静かに揺れている。重苦しいほどの静寂が部屋を包み、かすかに聞こえるのは火のはぜる音と、寝台に横たわる青年の静かな呼吸だけだった。
薄布の下で、朔の胸は規則正しく上下している。だが、その顔色は蒼白で、まぶたの下の影は濃い。まるで今にも消えてしまいそうな儚さがあり、その安らかささえ逆に不安を煽った。
静かに眠る朔を見下ろすようにベッド脇に立つ青藍は、硬く結んだ唇を動かさない。いつも冷徹な横顔は蝋燭に照らされ、一層の影を落とす。瞳の奥では理性の光と、本能のざわめきがせめぎ合っていた。隣では陽騎が腕を組み、医師の言葉に耳を傾けている。
「命に別状はありません。ただ……急激な力の解放により、体力を著しく消耗しています」
医師の低く落ちる声に、青藍はわずかに眉を動かしただけだった。
「魔力に似た流出ですが、彼の身体は制御に慣れておらず、内側から焼かれるような負荷を受けたのでしょう。恐らく深い眠りが続くでしょう。今後、熱を出す可能性もあります。異変があれば、すぐに呼んでください。」
青藍は黙して頷き、医師が退出していくのを見送った。扉が閉じられた途端、室内は一層の静けさに沈む。蝋燭の小さな灯火が壁に揺れを描き、息遣いすらも重苦しく感じられた。
青藍は椅子に腰を下ろし、寝台に横たわる朔の横顔を見つめた。安らかな寝息の下に隠れているのは、つい先ほどまでの鮮烈な光景。竜の暴走。自らの血が飛び散った瞬間に――朔が放ったあの光。
天を衝く柱のような光は、温もりと癒しを孕んでいた。触れた途端に裂かれた皮膚が閉じ、痛みが和らぎ、荒れ狂う竜までも鎮めた。青藍は震える指先を膝の上で握り込む。忘れようがない――それは雪月がかつて持っていた力、そのものだった。
(なぜ……なぜコイツが、雪月と同じ力を……?)
頭では否定した。偶然に過ぎない、と。しかし胸の奥では理屈を超えた直感がざわめき続けていた。
「……青藍」
陽騎の声が沈黙を破る。彼は寝台の傍らに立ち、じっと朔を見下ろしていた。
「気づいたか?」
青藍は答えない。ただ、冷たい瞳を揺らがせる。
陽騎は朔の襟元をそっと指で開いた。淡い光を受けて浮かび上がった痣――鎖骨の下、小さな雪の結晶を抱く三日月の形。
息が詰まる。あの日、風に呑まれて消えた小さな体。その肌に刻まれていたものと、まったく同じ印だった。
「同じ痣……だよな」
陽騎の低い声が部屋に響く。青藍は即座に答えられなかった。喉がひりつき、奥歯が軋む。
「……そんなはずはない」
掠れた声で否定する。
「雪月は……あの裂け目に呑まれた。俺の手から離れ、消えたんだ。三百年だ。生きているはずがない」
強く言い放つたびに、胸の奥は余計に痛んだ。痣も、力も、仕草も。朔の存在すべてが雪月を思い起こさせる。朔が雪月だと認めるには、時が流れすぎた。
陽騎は深く息をつき、真剣な眼差しを青藍へ向ける。
「もしこれが“巡り合わせ”だとしたら――おまえはどうする?」
青藍の心臓が強く跳ねた。
否定しようとしても、あの光に包まれたとき胸を締めつけた感覚が甦る。雪月と過ごした温もりと同じ、あの安らぎ。例え、雪月の転生者だとしても別人だ。雪月ではない。雪月ではない者を愛することは出来ない。
俯き、無意識に拳を握り締めた。冷徹であるはずの指先が震えていた。
(……なぜだ。頭では否定しているのに、今はない龍玉があった場所が疼く……どうして)
理性と本能の狭間で答えを見失い、ただ蝋燭の炎が揺れる影の中で、青藍は答えのない問いを抱きしめ続けた。
「不器用だねぇ……」
陽騎の吐き捨てるような「不器用だねぇ」という言葉が、蝋燭の揺らめきと共に空気に溶けた。青藍はそれに反応することなく、ただ深く息を吐く。
陽騎が静かに部屋を出て行き扉が閉まる音が響いた。再び訪れた静寂の中、残されたのは蝋燭の炎の揺らぎと、寝台に横たわる朔の規則正しい呼吸音だけだった。
青藍は長く瞳を閉じ、額に手を当てた。脈打つ鼓動が不快なほど耳に響く。まるで心臓が抗うように騒ぎ立てている。
(雪月ではない。あれは、もう三百年前に失った。あの裂け目に呑まれ、俺の手は届かなかった)
理性はそう告げ続ける。だが、あの光、あの痣、そしてあの声――。重なるものを見れば見るほど、心の奥底から「雪月だ」と囁く声が消えない。
無意識に、青藍の視線は朔の首元へと向いた。襟元からわずかに覗く痣――三日月に抱かれる雪の結晶。間違えるはずがない。この痣は番となった時、俺が雪月に送った唯一無二の証なのだから。
あの夜、星明かりの下で雪月と遊んだ記憶が甦る。幼い声で「同じだね」と笑い、自分の胸元を指差した小さな手。青藍は唇を強く噛み、苦く笑う。
(違う。別人だ。雪月ではない。……だが、もし本当に……)
その先の想像を、頭が必死に拒絶する。けれど胸の奥では、今にも壊れそうなほどの恐怖が広がっていた――もし再び失ったら。
そのとき自分は恐らく立ち上がれない。
青藍は椅子から立ち上がり寝台に近づき、寝台の端に腰掛けた。
蝋燭の光に照らされた朔の横顔は痛々しいほど儚い。まぶたは閉じられ唇は微かに色を失いながらも、呼吸は確かに続いている。
その胸の上下を確かめるたび、安堵と焦燥が入り混じる。
伸ばしかけた手が、空中で止まった。触れたい――だが触れてしまえば、雪月を重ねてしまう。それが怖くて、ただ拳を握りしめ、爪が掌に食い込むほどに力を込めた。
「……おまえは、誰だ」
吐き出した声は、誰に届くこともなく、蝋燭の影に吸い込まれていった。
答えのない問い。
雪月か、朔か。
過去か、今か。
青藍の瞳は揺れ、鋭さを失った光の奥に深い迷いを宿したまま、ただ静かに眠る青年を見つめ続けていた。




