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第十一話  霊山の風がほどくもの

 霊山の空気は、王城のそれとはまったく異なっていた。


 空を滑るように翔ける青藍の鉤爪の中、朔を乗せた籠はゆるやかに下降していく。

 断崖に囲まれた岩棚のような場所に近づくにつれ、風は冷たさを増し、薄い霧のような雲がふたりの間をかすめていく。


 着地の瞬間、重い爪が岩を叩く音とともに、ゴンドラがわずかに揺れた。朔は両手で縁を握りしめ、息をのむ。着地の振動が籠に伝わり、乾いた岩肌に鉤爪が重くのしかかる音が響いた。

 高所特有の澄んだ空気。空はすぐそこにあり、息を吸えば冷たさが肺にしみるほどだった。


「……寒っ……」


 籠の中にいた朔は、思わず肩をすくめる。

 上着の下の肌がすぐに硬くなるほどの冷気に、体が震えた。見上げると、周囲には霧と風に削られた崖、そしてごつごつした岩の裂け目が並ぶ――ここが“霊山”なのだと、肌で実感する。


 朔はすぐさま籠の中に用意されていた防寒具に目を向けた。

 そこには内側に厚い毛皮が縫い込まれたマントが丁寧に畳まれている。彼はそれを手に取ると、素早く肩に掛け、頭まで覆うようにフードを深く被った。

 それでも、風は首元の隙間から入り込んでくる。


「……にしても、寒いな……」


 ぼやきながら目を向けた先、岩場の端に立つ青藍の姿があった。

 その身に纏っているのは、いつもと変わらぬ漆黒の外套に風をものともせぬ無表情。肌寒さなどまるで感じていないようだった。


(……あれで寒くないのか?)


 疑問に思い、朔は籠の中からつま先立ちになって身を乗り出し、青藍の名を呼んだ。


「……青藍は、寒くないの?」


 風が吹きつける中、その問いはかろうじて届いたようで、青藍は視線だけを朔に向ける。


「……慣れている」


 それだけだった。声に感情の波はなく、それ以上の言葉もなかった。

 朔は肩透かしを食ったように口を噤むと、わずかに笑って自分のフードを深くかぶり直した。


(……まあ、それもそうか。竜だもんね)


 そして彼の傍を通り過ぎた風の匂いに、ほんの一瞬だけ竜の気配を感じ取った気がして、朔の胸にざらついたものが残った。


 それでも任務は始まる。

 朔は慎重に籠を降り、細い岩場へと足を踏み出す。岩は風に削られており、滑りやすく不安定。足元に気をつけながら、ゆっくりと進む。


 陽騎からは、霊山のどの場所に薬草の群生地があるのか、ある程度目星は教えて貰っていたので、青藍にも確認をしながら、その場所に向かう。


 断崖絶壁。道の下は崖と言う足場の悪い細い道に差し掛かり、体の大きな青藍には手前で待機して貰って朔だけ先に進む。

 道の先には岩の大きな裂け目があり、そこから風が吹き付けてくる。

 風に足を取られないように注意しながら、ゆっくりと進み裂け目の奥に体を横にしながら一歩一歩確実に進む。


 裂け目に入ると、中は洞窟のようになっていて薄暗いものの光る鉱石のようなものがあるのか、ところどころ仄かに岩壁が光っている。

 外より温度も高いのか、さっきまで感じてた針が刺すような寒さは感じない。朔はフードを下ろし周りを見渡す。

 陽騎の説明によると、ユラリ草はこの辺にあるはずだ。見逃さないように、目を凝らす。

 図鑑でも調べたが、花びらが五弁の星の形をした青い花で、寒さに強く日当たりが良いところを好むらしい。


(日当たりったって、洞窟の中に日の光入るのか?)


 奥からは時折風が吹いてきて、まるで誰かが囁くような声にも聞こえる。

 ここはただの岩場ではない。霊山だ。神龍がいた時代、聖域として崇められていた場所。何かが息づいていても不思議はない。


 朔は、慎重にさらに奥へと足を進めた。すると少し開けた場所に辿り着き、そこには一筋の光の筋が上から降り注ぎ、その場所だけ花が群生していた。

 駆け寄って花を確かめると、図鑑に記載があった通りの五弁の星の形をした花だ。

 

「……これだ」


 時折吹き抜ける風に揺れるたび、無数の花びらがきらめいた。それはまるで、静かな草原に舞い降りた星屑のよう。葉は濃い緑で茎は地を這うように短く、根元は岩にしっかりと絡みついていた。


「……きれいだな」


 思わず呟いた朔は、そっとしゃがみ込み、手袋越しにその花を優しく包んだ。

 一株一株、傷つけないように根っこから抜き取る。それを斜め掛けしていたバッグに入れていく。全てを摘んでしまうと、次回必要な時に採取出来なくなってしまうので今回は十株ほど採取した。


 朔は、膝についた土を払い立ち上がると、上から降り注ぐ光に目を向け、目を細めた。キラキラと輝く光が幻想的で、まるで陽に煌めく竜の鱗が脳裏を掠めた。


(っ、なんで……)


 思わず、今朝の青藍の竜の姿での鱗の輝きを思い出し、頭を振って消し飛ばす。気を取り直して「戻ろう」と独り言を呟き、来た道を辿り歩き出した。


 洞窟を出た瞬間、身を切るような寒さが朔を包む。ブルリと体を震わせフードを手繰り寄せた。元来た道を足もとに気をつけながら、ゆっくりと進む。一歩間違えれば崖の底だ。慎重に足を進める。

 この先を曲がれば、青藍のいる場所に着く。そう思った瞬間、下から突風が吹きふわっと足が浮いた気がした。


(え……)


 一瞬の出来事だった。風が止んだかと思うと、重力のまま下へ体が引っ張られ、踏ん張っていた足が道からずれ落ちる。


「うわっ……!」


 短い叫びの後、なんとか道の端に手を引っ掛けることができ、崖の下に落ちることは一旦回避した。けれどここからが問題だ。手袋をしているとはいえ、両手に全体重が掛かっている状態。そんなに長くは耐えられない。


「……何があった?」

「っ、青ら……」


 朔の声が聞こえたのか、奥から青藍が窮屈そうに体を傾けて覗き込んできた。彼の顔を見てホッとしたのも束の間、手の感覚がだんだん麻痺してきて力が入らなくなってきた。薬草だけはなんとかしないとと、考えた朔は力を振り絞って、肩から鞄を外すと思い切り投げ飛ばした。


「受け取って!」


 鞄を投げた反動で、体がふわりと宙に投げ出される。落ちる嫌な感覚はあるが不思議と怖さは感じなかった。ただ、この世界でも役に立つことが出来たと口角をあげ笑みが溢れた。


「なっ、馬鹿か」


 力強い腕が伸びてきて、朔の手首を掴む。落下していた体が急激に上に引っ張り上げられ、硬い何かに抱き止められた。それが青藍の胸の中だと気づくのに少し時間がかかった程だ。


「……せい、らん?」


 顔を上げると、青藍の顔がすぐそばにあった。強く抱きしめられているせいで、少し体が痛い。朔は、体を身じろぐけれど、微動だにしない青藍の胸をトントンと拳で軽く叩く。


「……青藍……青藍」

「…づき……っ、無事……なのか?」


 小さく独り言のように零れ落ちた名前。ハッとして朔を引き剥がし、子供のように両脇に手を差し込んで目の高さまで持ち上げた。


「……大丈夫。ありがとう」


 朔の言葉にホッと安堵の色が顔に薄く浮かび、安全な場所で朔を下ろした。


「あ!青藍、ユライ草は?」


 あたりを見回すも、投げた鞄が見当たらない。青藍を振り返ると、無言で崖の方を指すように顎を上に一度あげた。青藍が刺した方向に視線を向けると、崖ギリギリのところで鞄の蓋が開き、ユライ草の花が風に揺らめいていた。


「良かった……」


 ホッと胸を撫で下ろした瞬間、怖さが沸き起こってその場に崩れ落ちるように座り込んだ。手と足が自分のものではないかのように、震えていうことを聞かない。「あはは……」と乾いた笑い声を上げて空を見上げた。


「……良かったじゃない」


 かすれた声が耳に届く。朔は青藍の方へ視線を向けた。低く抑えられていたが、そこに張りつめた何かが滲んでいた。怒っている。けれどそれ以上に、怯えていた――そんなふうに思えた。


 「なんて無謀なことをするんだ!」


 青藍が叫んだ。声が少し裏返る。瞳の奥に宿った光は、怒りというより、恐れを吐き出そうとしているように見えた。

 朔は、ただ黙ってその顔を見つめた。何か言葉を返そうとしても、喉が詰まって出てこない。

 ああ――怖かったのは、きっと俺だけじゃなかったんだ。

 青藍はそっと顔を背け、握りしめた拳が微かに震えていた。


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