決めつけ令嬢 ~どうせあなた、婚約破棄するに決まってますわ!~
「あなた、婚約破棄するつもりでしょう!」
フィクス家の邸宅で開かれている夜会で、突如この怒声が響いた。
声の主は子爵家の令嬢セシリア・カートン。まばゆい金髪のロング、桃色のふわりとしたシフォンのドレスを着こなし、一見可憐な令嬢に見える彼女だが、その顔は怒りに満ちている。
相手は伯爵家の令息テルミオ・フィクス。夜会の主催者であり、落ち着いた色合いの金髪、蒼玉を思わせる碧眼を持ち、水色のスーツを身に纏う。容姿から受ける印象通り、冷静沈着な貴公子である。
「分かっているのよ。あなたは婚約破棄するに決まってますわ!」
指を差すセシリアに、テルミオは淡々と答える。
「そんなことするはずないだろう」
「いいえ、分かっているんですから! あなたの魂胆は全部ね!」
「私の魂胆?」
「ええ、こうして盛大に開いた夜会で私との婚約を破棄して、私を絶望させようとしている! そうに決まってますわ!」
「私の中にそんな魂胆はないよ」
「嘘よ!」
当然、会場中の注目が二人に集まる。
そんな中、友人同士の令息二人がいた。
そのうちの事情通である一人がこうつぶやく。
「また始まったか……」
「また? ってことは、前にもこういうことがあったのか?」
「ああ。今怒鳴っているセシリア嬢、彼女は“決めつけ令嬢”と言われている」
「なんだそりゃ?」
「交際している男に、どこかのタイミングで突然『あなたは私を愛してなんかいない』『そうに決まってる』みたいなことを言い出すんだよ」
「ええ……?」
もう一人の令息は呆れるように目を細めた。
セシリアとテルミオの押し問答は続いている。
「まだ否定なさるの! あなたは私を愛してなどいないわ!」
「いいや、愛してるよ。セシリア」
「嘘よ! 婚約破棄するために、今日夜会を開いたのよ!」
「そんなことするもんか。私はそこまで暇じゃない」
「いいえ、そんな暇なことをするのが、貴族の男というものなのよ!」
異名に恥じぬ凄まじい決めつけぶりを発揮するセシリア。
問答はまだまだ続きそうだ。
先ほどの令息二人は――
「なんであのセシリアって子はあんな風になっちまったんだ?」
「何年か前までの彼女は、可愛らしく純情な少女だったそうだ。だが、プレイボーイな貴族に引っかかってしまってね。婚約までいったらしいが、その後ゴミのように捨てられたらしい」
「うへえ……。で、相手の男は?」
「裏社会の大物の女に手を出してしまい、こっぴどく制裁を受けたそうだ。それ以来社交界からフェードアウトさ。だが、別にそれで彼女が元に戻るわけじゃないからな」
「“決めつけ令嬢”は“決めつけ令嬢”のまま、か。あそこまでいくと決めつけというか、もはや“被害妄想”だよな」
「実際その通りだろう。彼女はもう、人とまともに愛し合うことはできないだろうな」
セシリアとテルミオのやり取りはまだ続いていた。
「いいから早く婚約破棄して下さいませ!」
「だからするつもりはないよ」
「いいえ、絶対するに決まってる! 今日この時が私を絶望させるのに最高のタイミングだもの!」
「では聞くが、私が君を絶望させて、なんの得があるんだい?」
「楽しいでしょう! 私のようなどうしようもない女を捨てて、愉悦を味わえるでしょう!」
「そんなの味わえないし、そもそもこんなところで婚約破棄したら、私の名に傷がつく。やる意味が全くない」
「でもあなたはやるわ! やるに決まってる! だから早くして下さい! じらされるのは嫌なの!」
これを見ていた事情通の令息は――
「そろそろだな」
「そろそろって?」
「テルミオ殿が婚約を破棄するのがそろそろって意味さ」
「え、本人はするつもりないって……」
「そうは言っているが、あんなギャーギャー騒いでる令嬢と誰が結婚したい? 少なくとも僕は無理だね」
「うーん、俺も無理だな……」
「今、テルミオ殿が婚約を破棄しても誰も責めないだろう。むしろ破棄して当然の案件さ、これは」
「そりゃそうだな……」
「テルミオ殿が婚約を破棄して、セシリア嬢は『やっぱりね!』と言って笑いながら帰っていく。いつもの流れさ」
「自業自得とはいえ、哀れにも思えちまうな」
だが予想に反して、テルミオは婚約を破棄しない。淡々と説得を続けている。
こうなると、セシリアの方が業を煮やしてくる。
「なぜ!? なぜあなたは婚約を破棄しないの!? 私が壊れた女だというのはもう分かったでしょう!?」
「答えは簡単だ。私は君を愛しているからね」
「だからそれが嘘なのよ! 希望を持たせてから私を絶望させるための!」
「嘘ではない」
「じゃあ、私のどこを好きになったのか言えます!? 言えませんわよね!」
「言えるさ」
「な……!?」
「私も君の過去は知ってる。普通そんな目にあったら社交界から距離を置くはずだ。それなのに君は、こうして夜会にも出ている。それは君が壊れきっていない何よりの証左だと思う」
「私は別に……。ただ逃げたくなかっただけで……」
「そう、そこ」テルミオがセシリアを指差す。「その心の強さ。それは紛れもなく君の長所だよ」
「はぁ?」
「それに、こうした場で一応は身分的に格上の私に対し、堂々と意見を言ってのけることができる。それも君の心の強さだと思うよ」
「違う! 私はヤケクソになっているだけで……」
「本当にヤケクソになっているなら、そもそも新しい相手と交際なんかしない。君は新しい男と交際し、その男に『どうせ私を愛していない』と決めつけることで、世の中と戦っているんだ。恋愛や婚約というものがいかに脆弱なものかを証明するために」
「言ってることがムチャクチャだわ! あなたはただ、私のおかしな部分をプラスに捉えているだけじゃないの!」
「その通りだ。そして、恋とはそういうものじゃないのかな。惚れ込んだ相手なら、たとえ一般的にはコンプレックスとされるニキビやそばかすでさえ魅力的に見える」
「……ッ!」
奇妙な光景だった。
理不尽に決めつけていたはずの令嬢が、いつの間にか追い詰められている。
二人の令息も、固唾を飲んで見守っている。
「なんか、目が離せなくなってきたな……」
「ああ……。僕の予想を超えてきたよ……」
不意にバシッという音がした。
セシリアがテルミオの顔を平手打ちした。
夜会で暴力を振るうなど、貴族としてあるまじき暴挙である。テルミオ次第では、セシリアが逮捕されることもあり得る。
「これでどう!? 私のことが嫌いになったでしょ!」
テルミオは初めて笑みを浮かべる。
「いや、全然」
暴力も通じず、セシリアは歯噛みする。
「だったらこちらから婚約を破棄しますわ!」
すると――
「だったら私は君を捕まえよう」
「なんですって!?」
テルミオの右手が、セシリアの左腕を掴んだ。
「離さないよ。私は君を愛しているからね」
「な、な、な……!」
顔を赤らめつつ、セシリアは近くのテーブルにあったワインボトルを右手で掴んだ。
「離さないと、これで殴りますわよ!」
「殴っていいよ」
「痛いですわよ! きっと血も出ます!」
「だろうね。だが、私は決して君を離さないだろう」
「だったら試してあげる!」
二人の令息はすっかり夢中になっている。
「とんでもないことになってきたぞ……!」
「どうなっちまうんだ!?」
セシリアはついに瓶を振り上げた。
それをテルミオの頭めがけ振り下ろす。
しかし――当たる寸前でそれは止まった。
「う、ううっ……」
「どうしたんだい? なぜ殴らない?」
「できないわ……。私をこんなにも愛してくれる人を殴るなんて、できない!」
「セシリア……」
セシリアは瓶を置き、何か悪い魔法が解けたかのように、しおらしくあどけない顔つきになる。
おそらくはこれが彼女本来の顔――
「こんな私ですが……結婚して下さいますか?」
「ああ、もちろんだとも」
強く、熱く、柔らかく、抱きしめ合う二人。
周囲も自然と拍手をしていた。
この二人は間違いなく幸せになる。そんな光景だった。
一部始終を見ていた令息二人組も祝福するような笑顔を見せる。
「“決めつけ令嬢”が……結婚を決めちまったな」
「ああ。それほどテルミオ殿の愛が“極めつけ”だったということだな」
おわり
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