第五十六話 成長
「リトルなら大丈夫だって、信じていたから」
ルミナはそうはっきりと言った。ボロボロの私の姿を立ったまま見下ろすようにして。そして満面の純粋な笑顔で。
私はちょっと、本当にミリ程度だけ腹が立った。
「なんだよそれ……信じていたからって、全く……一歩間違えれば死んでたかもしれないのに」
ようやく起き上がって背中や頭に被った雪の塊を悴んだ手で払いのける。かなりの量の雪を被っていたので、水分を多く含んだ、重い音を立てながら落ちて再び白い雪原の中へと綺麗に混ざり込んでいった。
するとルミナは少し真剣そうな顔になって言った。
「リトルが倒したあのモンスター、あれは『暗黒龍』と呼ばれていて、この森で最も恐れられているモンスターの一種なんだよ」
「暗黒龍……?」
え、何それなにそれ。聞いたことない……。
この星のこの森で最も恐れられている、モンスター?
「そう。あのモンスターはモンスターの中でも最強クラスに近い力を持っているんだ。何せ闇属性の力を持っているモンスターなんて数えられるぐらいの数しかいないんだよ」
ルミナはそう言いながらゆっくり腰を落とし、冷たい雪原の上に私と同じように座った。
でも、聞けば聞くほどおかしな話だと思った。
「この森にそんな恐ろしいモンスターがいることを知っていたということは、ルミナは想定内だったの?」
私が聞くと、ルミナは静かに首を横に振って、「想定はしていなかった」と答えた。
「まさかこんな笛の音程度でやってきてしまうなんて想像してないよ……」
ルミナの手の中には、実践練習を始める直前、鳴らしながら歩くと言って私に見せた木彫りの小さな笛が握られていた。
「でも、リトル。リトルは、練習では怖くて怯えていて、上手く魔力を操れない風に見えるけれど、いざという時にちゃんと体が動く、そして魔術を操れる」
ルミナはまた真剣な面持ちに戻って再び言葉を続けた。
「そして、この大きなモンスター、一体を一人きりで倒せた。これはやっぱり凄いことだと思うよ。リトルには見込みがある。そしてきっともっと強くなれる。だからもっと練習を重ねよう」
練習では弱いけど、実践では強い、か。やはり練習も練習じゃなくて、練習だから誰かがなんとかしてくれる、じゃあ無くって……常に本番だと思ってやっていけばいうということなのかな。それもそれで難しい気がするけど……。
「……ねえ、ルミナ」
少し間を置いて、私はそう声をかけた。
「なに?」
「もしさ、あたしが……倒せなかったら、どうするつもりだったの?」
自分でも、ずいぶん今さらな質問だと思った。
ルミナは少しだけ目を瞬かせて、それから小さく笑った。
「そのときは、私が出るつもりだったよ」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
迷いのない返事だった。
「だから、信じてたんだよ。リトルがやれるってことも、もしものときは私が間に合うってことも」
そう言われて、胸の奥が少しだけ、じんわりと温かくなる。
「……ずるい」
「なにが?」
「そうやって、全部分かった顔してさ」
ルミナはくすっと笑って、雪の上に手をついた。
「分かってるわけじゃないよ。ただ……リトルは、思ってるよりずっと強いって知ってるだけ」
「……」
「それに」
ルミナは少しだけ声を落として続けた。
「怖がりなのに前に出ようとするところ、私は結構好きだよ。だからさ、もっと練習しよう」
その言葉を聞いた瞬間、急に体の奥に溜まっていたものが、ふっと緩んだ気がした。
全く、ルミナったら……。
そんなことを考えていると急に体から力が抜けてくるような感覚に襲われた。
「でも、もう、きょうは……むり……」
脳内が激しく掻き回されるような、不快な感覚。視界が揺らいで、目の前にいるルミナの表情すらぼやけて形を失っていく。
気づくと、視界が真っ暗になっていた。
✳︎
「………………リトル!…………リトル!!」
まだ虚な意識の奥で、明るい少女の声が脳内に響き渡る感覚がした。小さかったそれは少しずつ大きくなっていき、だんだんと感覚を掴み、聴覚が反応を示し出した。
「う…………う……ん……?」
目を開けると、ぼんやりとした視界の奥に、ピンクゴールドの宝石があしらわれた魔女っ子の茶色い帽子を被った、茶髪で、サファイアのような目を心配そうに向ける少女の姿が映った。
「あ……リア……か」
夢だと思った。
どうして、ここにリアがいるのか分からない。ここはあの巨大モンスターが出る森の奥深く……地面が完全に真っ白になって、私の膝下近くまで積もった雪の雪原の上のはずなのに。
あれ、でもさっきよりも寒くないな。感覚がバグってるのか……?
すると今度は、リアに似て肩にかかる程度の茶髪を揺らした少女が現れて、リアと同じようにサファイア色の瞳を心配そうに僅かに細めて私を見つめてきた。首に巻かれたリボンが淡いピンク色の輝きを放っている。
「ルティア……?」
え、なんで…………
あ、そうか。私、あのあと意識を失って……それで……
「全く、なんでいつもいつもこうなるまで練習させるんだよ……心配するじゃないか……」
「大丈夫!ここの結界は最強だからさ!」
少しずつ感覚が戻っていく。淡くぼやけた視界はしっかり光を感じられるようになってピントが合っていく。すぐ近くで少年の声と、自身げに答えるアネモスらしき鈴の音のような明るい声が響いた。
結界…………
何度か瞬きをして、視界に映るものをよく見る。白いペンキで塗られた丈夫な天井。その表面にうっすら淡い黄緑色に輝く膜が張られているのが分かる。目だけ動かして周りを見渡すと、その結界はこの部屋全体に広がっているようだ。そしてこの風景。見たことがある。
保護施設の中……。
一体誰がどうやって十歳の私を背負ってここまで帰って来れたのか当然ながら記憶にないが、どうやら私はずっと雪原の上に寝かされていたわけではなく、ちゃんと施設に帰って来れたようだ。そして今私はアネモスと一緒に魔術練習を始めたこの施設のホールの中に寝かされて、その結界で治療を受けている……と。
なるほど、全部理解した。
さっきから体の至る所に少しの痒みがしていたのも結界による治癒魔術の効果だったらしい。
金髪の少年――スケールが重い溜息をつきながら再び私の元へとやってきて、私のすぐ右隣に座った。私もそっと体を起こした。
「大丈夫か」
その、透き通るのようなちょっぴり低めの心地よい声に、生きている、と実感した。
「全く、アネモスもルミナもやりすぎだよな。アンナはそんなことは無いのにな……気の毒だよ……」
スケールは順番に私のすぐ近くに立つアネモスとルミナを見つめて言った。視線を向けられた二人は言い訳出来ないというような気まずそうな顔で視線を逸らす。
私の口からは少し苦笑いが漏れた。
「まあ、確かにそうかもしれないけど……でも、ルミナもアネモスも、私達の成長のためにやってくれていることだから」
「そうなんだ。リトルは一人ででっかいモンスターを倒せたんだよ」
ルミナは自慢げに胸を張って腰に両手を当て、「私の指導はすごいだろ!」というように言ってきた。
まあ、ルミナの場合は指導、と言うよりも言葉が上手いというか……その、とにかく褒めるのが上手い。その言葉を聞くと暗示をかけられたような気分に陥ることがある。
「え……リトルが、一人で……でかいモンスターを……?」
するとさっきまで私の顔色を心配そうに覗き込んでいたルティアが、私のすぐ近くで不思議そうに聞く。
「そう!『暗黒龍』をね……」
「え!『暗黒龍』!!」
ルミナが右手の人差し指をほおに当て、目を細めて自慢げにさらっと口に出してそのモンスターの名前を言うと、アネモスが驚いたように飛び上がった。
「『暗黒龍』って、最も恐れられているっていうモンスターのことだよね?」「そうだったよね……」とヒソヒソとルティアとリアが信じられないと言った様子で口にする。
「あのモンスターは並の冒険者でも一人じゃ絶対倒せないぐらいには強いはずなのに……私もルティアとリアを連れていく時に事前に説明していてね……もし出会ったらゆっくり後退りして逃げるしかないって指導してたのに」
ついにはそう言ってアネモスは少し目を回してしまったのか、床にへたり込んだ。
「だからさ、リトルは実践には強いんだと思うんだ」
「そっか……でもまだまだ油断しちゃいけないよ……」
ルミナの自身げな言葉にアネモスは疲れ切った声で面倒臭そうにそう一言答えた。
やっと周りが静かになってきた。それと同時になんだか再び疲れがやってきた。結界術のおかげで傷はもうすっかり癒えたけれど、眠気がすごい。
そして何よりも……お腹が空いた。
✳︎
厨房から、いい香りが漂ってきた。
高級そうな赤ワインが溶け込んでいそうな、濃厚で深みのあるルゥの香り。じっくり煮込まれた根野菜と葉野菜が甘さを放ち、その奥でほんのりとバターが主張している。
この香りは、記憶にある。
ソルフィアが作ろうとして、見事に失敗した――あの料理だ。
アネモスとルミナ、アンナがそれぞれトレーに私たち全員分の料理を乗せて運んできた。
皿からは出来立ての湯気が立ちのぼり、さっきよりもさらに濃厚な香りが嗅覚をくすぐる。
「わぁ……」
思わず、声が漏れた。
「美味しそう……!」
「反応が素直だな」
くすっと笑いながら、スケールがそう言う。
「いや、だってこれは反則でしょ。この匂いでお腹鳴らさない方が無理だって」
リアがすぐに同意するように言い、すでにスプーンを手に取っている。
「確かに。今日は魔力より先に胃袋が限界かも」
ルミナも肩をすくめて笑った。
「なんだかんだ言ってさ」
スケールが席に着きながら続ける。
「全員こうやって揃って夕飯を食べるの、久しぶりじゃないか?」
そう言われて、少し考える。
魔術の練習をそれぞれ別々にやるようになってから、同じ時間に同じ机を囲むこと自体が、当たり前じゃなくなっていた。
「……言われてみれば、そうかも」
「だよね」
アンナが嬉しそうに頷く。
「だから、今日はちょっと頑張ったんだよ。たまには、こういうのもいいかなって」
「うん、いいと思う」
私はそう答えて、シチューと一緒についてきた焼きたてのパンを手に取る。
パンを割り、シチューに浸してから口へ運ぶ。
サクッ、と軽い音がして、次の瞬間、濃厚なルゥと一緒に弾けた。
「……おいしい……」
思わず目を細める。
温かさと旨みが一気に広がって、溜まっていた疲れも空腹も、全部溶けていくみたいだった。
――なんて、幸せなんだろう。
「あれ?」
ふと、リアが辺りを見回して首を傾げる。
「そういえばさ、ソルフィア来てなくない?」
その一言で、空気がほんの少しだけ止まった。
「……あ」
ルティアが気づいたようにスプーンを止め、テラスの入り口の方を見る。
「言われてみれば、ここ最近全く姿見てないね」
最近、ソルフィアの顔を見ていない。
珍しいことじゃない……はずなのに、なぜか今日は引っかかる。
「ねぇ、アネモス」
私は声を潜めて聞いた。
「ソルフィア、どこにいるか見なかった?」
アネモスは一瞬だけ考えるように視線を泳がせ、それから首を横に振った。
「ううん。今日は一度も」
「そっか……」
ソルフィア……君はいつも一体何をしているんだい?でも嫌な感じはしなかった。何故だか放っておいてもいいような気がしているから。
でも夕飯も食べにこないぐらい没頭しているのだとしたらそれはそれで問題だ。
「分かった。じゃあ夕飯持って行ってあげよう。せっかくだしついでに様子も見に行ってくるよ」
私は夕飯を食べて、ソルフィアの部屋へと向かうことにした。




