第四十五話 事実
「伝えておきたいこと……?」
私は確かにここで倒れていたのだろうと感じさせる多くのカケラを眺めながら聞いた。
「…………実はここ、ミリステッド国の防衛軍はかなり魔術に頼っている状態だ。そしてだんだんと領土が侵略されつつある」
「………………」
こんなにいい国なはずなのに。
この国はきっと祖国よりも広い。アネモスの転移のおかげで通常三日かかるところを一日で飛ばしてきた訳だけれど……。
「それは、ラリージャ国内の紛争状態も影響しているのだろうな」
スケールが小さく息を吐く。
あ、何かある。
コンクリートの壁の先。何故かそこは分断されたかのように薄い黒い膜が貼られているのが見えた。膜の中で虹色の光が波のように広がっている。
「あれは何?」
「あれが防弾・防刃結界。これがあるからこの国は守られている」
なんだかこの国全体が、箱庭のように思えた。国全体が他国からの攻撃を阻止する結界で覆われている。地平線の果てまで続く結界の中で守られた国……それがここというわけか。
近づいて見てみる。
手が触れられる位置まで来た。
そっと手を伸ばす。しかし、その結界は触っても触っているという感触すらしない。空気のようだ。だが、話によると特定の爆弾などは跳ね返したり吸収したりするようにできているらしい。
「…………この先が、私達の故郷だなんて、考えたくない……」
ルティアもそれを眺めてそう小さく声を震わせた。
私もそう思ってしまう。例えこの平和が長くは続かなくともずっとここにいたい。ここなら守られている気がして安心する。
「そうだよな……では少し安全なところに戻って……せっかくだからお話ししてもいいかな?君達のことを僕も知っておきたい」
ヴィールさんはそう言って、基地の中にある小屋のような、倉庫のような建物の中に案内してくれた。
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言われた通りに椅子に座って待っていると、とてもいい香りのする飲み物が運ばれてきた。果物のような、少し香辛料のかかったような、甘くて香ばしい香りがする。先ほどの緊張感を内側から和らげてくれるような香りだ。
「これは……?」
リアが聞く。
確かに珍しい飲み物だ。
「ここの名物とも言われる香辛料を使ったお茶だよ」
ヴィールさんはさらに、「リラックス効果がある」と続けた。
試しに飲んでみるとその独特な香りが口いっぱいに広がった。私達が美味しそうに飲むからなのか、お土産に、と提案された。せっかくだし帰りにでも買って帰ろう。
「娘からも少しは話を聞いている。君達の力のせいで故郷は紛争になっているということなんだろう?だが、それだけだとなんだかよくわからないんだよ。この国を守るものとして知っておきたい情報だが、向こうからの情報も遮断されていてこちらには全く届いていない。だから結界を張るので精一杯なんだ」
ハァ、とスケールは大きく息を吐く。そして、口を開いた。
「俺達……リトル、ルティア、そして俺は、『治癒力』という特別な力を持っています。それがどこから現れたかは分からない。生まれつき、それはここにあった。俺達はその力を研究するためという言い分をつけて、研究所という機関に監禁されていたんです」
スケールが淡々とといった声音で話をしていく。その瞳にあった明るさは今は少し濁っている。彼は自分の過去を話すとき、最近はこうして感情の起伏はあまり見せずに淡々と語ることが多くなったように思う。
「…………私も、そこで監禁されていた。私達はそこから逃げてきた」
珍しく、ルティアが続きを語り出した。普段はそのような話を自らしようとはしない。
楽しい思い出に触れた今だからこそ、言えるようになったのかもしれないと、私はその声を聞いて密かに思った。
「…………だが、何故、戦闘なんかになっているんだ?今はなぜかそこの住民は暴走しているようだが……君と同じような血赤の目を光らせて」
ヴィールさんはソルフィアを指差して言う。ソルフィアは一瞬、目を伏せたように見えたが、無言ですぐに顔を上げると、閉じていた口を開いた。口の中で小さな牙が覗く。
「俺がこうなったのも、国がこうなったのも。治癒力という存在だけは違うとは思っていますが。ただ、この力如きでこんな大紛争になるなんて、普通の人なら考えない…………全部、一人の男のせいなんです……研究所の長という」
ソルフィアは普通に長に支配で潰されそうなことを口にする。それほど支配に抵抗する力を得た彼だからこそ、彼が彼自身でこの話をすると決めたのだろう。
「…………もしかして、君は……誰かに支配されているのか?」
急にヴィールさんは身を乗り出すようにして聞いてきた。
「…………お父さん。あんまり根底のことは聞かなくても。この間話したでしょう?」
流石にこの空気感で痺れを切らしたのか、アネモスが口を挟み出す。
確かに、本当はもっと明るい話題で盛り上がるところなのに。
「そうだ。俺は支配されている。俺の名はソルフィアだ」
「ソルフィア……!!やはり、君だったのか!?」
「何を言ってるのよ、事前に名前と顔教えてたでしょう?」
アネモスが呆れた声を出す。
そういえばさっきソルフィア以外の名前を知っていたのに、なぜか彼の名前だけはヴィールさんの口からは出なかった。
しかし今、ソルフィアが名を名乗った瞬間、空気が揺れたのだ。
「何故そのような反応を?俺は、あなたと会ったことが……?」
「昔とはだいぶ違うから忘れていた。だが、その名を聞いて思い出した」
ソルフィアは怪訝そうな顔をする。当然私もヴィールさんとソルフィアの間に接点があるなどという話は一ミリも聞いたことはない。
「かつて君がまだ青い瞳を持っていた頃――普通の研究員だった頃。よくここの魔術師や、同じく技術発展研究をしている研究者の元を訪れていたんだよ。この結界の技術を編み出したのは君だ。もしかしたら記憶に無いのかもしれないが」
「…………そんな時期も、あったんだな」
ソルフィアが持っていたコップを皿の上にコトリ、と静かに置いた。微かに残ったお茶が波紋を作る。
「ただ、残念だが、今からまた過去のあの時と同じように協力を持ちかけられても、今の俺にはそういったことすらも許されてはいない」
「…………そうか……」
ヴィールさんが、胸の奥に溜め込んでいた息をゆっくり吐き捨てる。
倉庫のような、コンテナのようなこの空間の中で、時計の秒針が時を刻む音だけが静かに聞こえる。
「君達は、治癒の力を持っているから追われているのか?」
ヴィールさんと目が合った。
「そうです。私達は実験体。あの国にいる以上は、人間としてではなくなります。治癒力はどんな病気や怪我でも治せてしまう。死んでさえいなければ極限まで回復できる。魔術とは違う。それは私達三人だけが持つ、魂に刻まれた力なんです」
本当は素晴らしい力のはずだ。普通に使えれば誰も困らない。寧ろ喜ばれる能力のはずだ。だが……現実はそう甘くはないのだ。
「追われている以上は、安易に能力解放をするわけにはいかない。ラリージャではずっと隠れるように過ごしてきた。だが、もうそうしていることも出来なくなってきているのが現実です」
スケールが補足をする。
「そうか。なら、もうひとつ伝えておかなければならないことがあるな。アネモス、地図、持ってる?」
ヴィールさんが尋ねると、アネモスは持っていた地図を机の上に広げ出した。茶色く変色した紙に、炭とペンで書かれた古そうな地図。
その一点を指先で触れ、ヴィールさんは真剣な面持ちになった。ここからはまた随分と離れた東の端の辺り。よく見ると何故かそこだけ、赤いペンで斜線が引かれていた。
「君達は、絶対にこの場所へ足を踏み入れてはならない」
いかにも立ち入り禁止であることを示すような赤い線。茶色い紙の上で危険を示すような赤い色がよく目立つ。
「そこには、何があるの?」
リアが興味津々と言った様子で聞く。
これはあれか?行ってはいけないと言われたら行きたくなってしまうという行動なのか……?
リアは青い瞳をキラキラ輝かせている。
「…………そんな期待したような目で見るんじゃない。ここは君達が目にしたら絶望以外の何物でもない感情を起こさせる場所だ。奴隷使いが沢山いる。治安も悪い。東にある街だから、東の市と呼ばれている」
「…………そうね。それは私も伝えておかなきゃと思っていたことよ。ただ元々そんな遠いところまで行く用事は無いと思っていたから、伝えてはいなかった。確かにあそこは行ってはいけない場所だ」
ヴィールさんがいい、アネモスが補足していく。
「さて、伝えたいことはこんなもんだな」
ヴィールさんが椅子の背もたれに深く体を預けながら言うと、場の空気が少しだけ緩んだような気がした。
だけど私達の心の中には、さっきの地図の赤い線がまだ強く焼き付いている。
――絶対に足を踏み入れてはいけない場所。
「……ありがとう、教えてくれて。でも私達、まだ知らないことが多すぎて……。この国が安全だとしても、どこまで頼っていいのかも分からないんです」
私はそう言いながら、自分の手元のカップに視線を落とした。
「そうだね……それも無理はない」
ヴィールさんがそう言ってから立ち上がる。背の高い彼が立つと、倉庫の天井が少しだけ低く見えた。
「僕からできる限りの支援はするよ。ただ――」
そこで彼は言葉を切り、私達一人一人の目を順に見つめる。
「君達はもう、ただの子供ではない。戦火の中にいて、自分の力で未来を選ばなければならない立場にいる。甘えられるうちは甘えていい。だが、最後に決断するのは自分自身でなければならないんだ」
その言葉に、スケールもルティアも、そしてソルフィアでさえ、無言で頷いていた。
「……俺も、君達に全部頼ろうとは思っていない。だが、今の俺には、それしか道がない」
ソルフィアがぽつりと言った。かつて研究者だった男の、今の姿。
その瞳に宿るものが、確かに少しだけ柔らかくなっていた気がした。
「なんだかちょっと疲れちゃったな」
帰り際、部屋のドアを開ける直前、ポツリとスケールが口にした。そんなことを言うなんて彼からしたら少し珍しい。
ただ、なんだか思ったより空気が重くなってしまったし、私としても少しのストレスで疲れている気がした。
「あ……そーだ!」
と、突然アネモスがすごい勢いで立ち上がった。その一言を聞いたからなのか、先程とは打って変わって、顔が随分と明るい。
「せっかく私の実家……というか防衛軍の寮みたいなもんだけど……に来たんだし、今日はそこに泊まっていかない?せっかくの休みでなんだかすごーく空気重くなっちゃったし……このまま去るのも空気が重いだけだから……ね、お父さん、一晩だけお部屋借りてもいいかな?」
「まあ、最近はそんなに緊迫感も無いし、一日ぐらいならいいよ」
「ね!朝から野宿で大変だったし、ちょっとお家で休もうか」
「やった!」
アネモスがそう言うと、リアがぱっと表情を明るくした。
「もし、ご迷惑で無いのでしたら、お邪魔させて頂いてもよろしいですか……?」
スケールもそっと小さく手を挙げて、遠慮がちに言葉を添える。
その姿に、アネモスは優しく笑いながら答えた。
「もちろん迷惑なんて思わないよ。むしろ歓迎!こういうときこそ、しっかり寝て英気を養わなきゃねっ」




