第四十三話 焚き火を囲んで
軽くなった体が、再びその重みを取り戻し始めた。腕や足、体の周りを取り巻く明るい結晶が少しずつ消えていく。
目を開ける。
そこには先程まで立っていた風景とはまるで違った。先程まで静寂の中に立ち並ぶ建物から点々と漏れ出ていた光、人々の生活のカケラが見え隠れしていた街道だったのに、今は逆光の夕陽を浴びて深緑さの増した……ある意味黒にも近い葉が生えている木々が生い茂った大森林の入り口。祖国……ラリージャにもかつてあった、ミノラの林のようだ。
そして、この辺りは木が茂っていて日の光が遮られているところがあるからなのか、ところどころに解けかかった雪が積もり、葉末の先には雪解け水が溜まっている。
「よし。ここまで来れば、明日には着けると思うよ。今日はこの辺りで一晩過ごそう」
アネモスが私達の前に立ち、どこか気まずそうに笑った。
「改めて……ごめんね。君たち、野宿って初めてだろうし……」
たしかに、そうかもしれない。けれど——
「ううん、大丈夫。たまにはこういうのも、悪くないと思うから」
せっかく、外の空気を感じられるんだ。あの、ミリステッド国の閉じた空間の中だけで、毎日ぐるぐる回って……気づけばまた施設の壁に囲まれてる、そんな日々よりはずっといい。
「俺ら、これくらいで弱音なんて吐きませんよ。研究所にいた頃に比べたら……もう、全部がマシに思えてきますし」
スケールが軽く笑いながら口を挟む。
……うっ。そこ掘り返す? 今、忘れようとしてたのに。
横目でチラッと見ると、ソルフィアがバツの悪そうな顔をしていた。目が合ったけど、すぐにお互い逸らしてしまう。……変な空気になった。
「私も平気! だって、何年も冒険者やってきたし!」
リアがにこっと笑う。
「私も。むしろちょっとワクワクしてるくらい」
ルティアも元気そうだった。……そっか、みんな前向きなんだな。
✳︎
「この辺りの木には美味しい木の実がなっていたり、キノコが生えていたり。実や植物は豊富に生えてるよ。この範囲なら保護対象の外側だから自由に採集して構わない」
私は当たりを見渡しては、珍しい植物などへと近寄った。暗がりの緑の中によく映える、炎のような輝きを放つ赤色や黄色、オレンジ色の実。どんな味がするのだろうか。
「ねぇ、みて!これすごい綺麗なキノコだよ!美味しそう!」
と……私の隣で一際ハイテンションなリアが鮮やかな赤色のキノコを指差して言う。
美味しそうというよりかは毒々しいが勝つ色だが……。
「あ……それは……毒キノコだね」
「ひゃあっ!?」
アネモスが苦笑いを浮かべながらそう伝えると、リアは弾かれたようにそこから離れ、転がるように私にしがみついてきた。
「食べられるのはこういうやつかな」
アネモスが拾ったのは茶色いキノコばかり。見た目的には余り綺麗じゃない。
「毒がある植物こそ、鮮やかな色をしているから気をつけてね」
アネモスはせっせと手際よく食べられるものとそうでないものを分類して私達に伝え、持ってきたカゴに食料を詰めていく。
「うーん、今日は静かだからあんまり獣はいないかもね……」
アネモスがそう言った矢先。後ろから声がした。
「何か、不自然に葉が揺れる音がする」
声の主はスケールだ。耳がいいのか、感覚が鋭いのか。分からないが、大体いつもこうやって獣の歩く音とか唸る声とかに一番に気がついて教えてくれるし、一番に教えてくれる。
「確かに。やっぱりいるのかもね。ちょうどいいわ」
葉の揺れる、ガサガサという音が私の耳にも届いた。私達は足を止めて、声を静め、耳を澄ます。
「っ!!いたっ!」
草むらの奥に、何やら茶色い体毛……大きな体格……そして頭に生えた立派なツノが見え隠れした。
気づかれないように、そーっと……そーっと……近寄る。
アネモスがやってくれるものだと思っていたが……アネモスはミリも動かなかった。
なるほど……そうか。つまりはそういうことなんだな。
これは、実践だ。
私はそっと動いた。
みんな静かだ。私の行動を見て、止めるものも反発するものもいない。
今の私には武器がない。だから手から魔術を生み出す。
そうだな。なるべく優しい攻撃をした方がいい気がする。優しい攻撃……そうだ。
「『シャイニーアロー』」
なるべく魔力を込めずに、先を柔らかくした矢を飛ばす。果たしてそれは、鹿の後ろ足に刺さった。だが……一本だけではダメだ。連続して何本か刺す。
私はなんだか少しだけ、複雑な気持ちになった。
「よし。出来たわね。すごいよ、リトル。ありがとう」
アネモスはそっと息絶えた鹿に近づき、手を触れる。私もそっとその毛を撫でた。
暖かかい。
まだ、余韻が残っている。
そこに、他の三人もやってきた。リアがそっと鹿の近くに膝立ちになって、手を広げる。
「この子を願いの炎で優しく燃やす。いいかな?」
少しだけ、複雑な顔でリアは聞く。
私は、アネモスは……ここにいた全員が頷いた。
リアは目を瞑り、詠唱を始めた。
「炎の結晶よ。光の天使よ!恩恵の炎は命を包み、天への道を指し示す。魂あるものに再び癒しの地を与え給え!『アウグリオファイア』!!」
願いの炎が優しく鹿を包み込む。そしてそれは、食べる部分を綺麗に残して、燃えた。
沈黙が流れる。
しばらくして、アネモスは立ち上がった。
「さて、じゃあ私は料理するから、みんなは準備してくれる?」
「うん!」
✳︎
薪木を焚べて、リアの火魔術で簡単に火をおこす。
暗闇に満ちた森の中で、オレンジ色の光が煌々と照らし出された。紺色の背景。暗闇が深まる、静かな森の中。
寒さが増してきた空気の中で、起こした炎の光は驚くほどに暖かく感じた。パチ、パチッと木が焼けて爆ぜ、小さな火花が散って、消えていく。
自然の中でこうして仲間と語らい合うのも、久しぶりだ。ラリージャでほんの少し冒険者をしていた時。そしてスケールと初めて出会った時。こうして木の下で話した光景が蘇る。
「よいしょ……これで、味は保証できないけど、腹は膨らむはず」
アネモスが枝に串刺しにした鹿肉を火の上に並べた。ほんのりと香ばしい匂いが漂ってきて、思わずお腹が鳴りそうになる。
「わ、いい匂い……!」
リアが嬉しそうに声を上げた。私も思わず笑ってしまう。
味は……思っていたより、ずっと美味しかった。
保証できないなんて言われて不安だったし、なんなら鹿肉なんておそらく食べたことなかった気がするけれど、肉汁と、溶け込んだアネモスの作った香辛料、調味料の味が舌の上に広がる。
「……アネモス、本当になんでも出来ていいなあ」
「ただの経験だよ。私達は何度も何度も失敗を繰り返しながら成長する。何事も積極的にやるのが大事だったりもする」
アネモスが苦笑しながら頭をかく。
「だったら今度は俺も作ろうかな」
ソルフィアの自信満々な声に、私とルティアは目を見合わせて、少し不安になったのは内緒だ。
「で、明日はなんで国境付近に行くの?」
ルティアが聞く。
「この森を抜けた先、国境のすぐ近くに小さな防衛拠点があるの。そこ……私の父がいるはずなんだ」
「えっ、アネモスのお父さんが?」
リアが驚いたように声を上げる。
「うん。二人とも、ミリステッド国の辺境防衛軍でね。私は保護施設で子供達の面倒を見ながら母と暮らしている。でも少しだけ、顔を出しておきたくて」
アネモスは照れくさそうに小さくうなずいた。
「それに、君達の状況を少しでも共有しておきたいの。きっと、向こうも色々と情報を持ってると思うから。安全な道とか……ね」
私たちは自然と頷き合った。




