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絶望の世界に、光を   作者: しらつゆ
第四章 隣国・ミリステッド国 保護編
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Side研究所9 支配の血に塗れた世界




 …………とはいえ、俺がずっとテルヌに接触し続けることはできなかったし、テルヌも俺と話すことを避けていた。理由は簡単だ。この企みを長に気づかれないようにするためである。

 

 そして俺はいつも通り長に言われた通りに職務に就く。公の場で赤い目の光に決して感情の光を宿さぬよう、細心の注意を払いながら。

 

 しかし、俺は度々リトル達の部屋へと赴かなければならなかった。テルヌに任せられる時は任せるようにしていたが、それすら長が許さないこともあったので、そういう時は俺がやらなければならない。それに毎回テルヌが専属で就くことは難しかったため、リトルの感情を取り戻し、信頼関係を築くのも容易では無かった。


 だが……俺も、テルヌも諦めなかった。時間を要するだろう事は最初から分かっているから。




 

      

          ✳︎


 


 

 以下は実験の記録である。



 作戦開始一年目。


 リトルの表情は硬い。どんどん感情を保つ心の機関が削れているように感じた。

 俺は言われた通りに実験をするが、少しだけ手加減するようにした。乱暴に扱わない。テルヌも同じようにしていた。

 それは白衣に付く、彼らの血の量ですぐに分かる。他の研究員は乱暴かつ残虐な方法で実験をするので、実験直後の白衣は赤黒いシミだらけだった。


 リトルは、無言だった。終始その口が動くことは無かった。膝を抱え込み、寒く薄暗い空間で汚れた薄い白シャツを着た体を小さくして、いつも部屋の隅にいる。全く変わらない素振りであった。

 そしてとにかく無関心であった。食べ物も、絵も、きっと同じ年代の子が喜ぶであろうおもちゃも。リトルはただこちらを見つめているだけで、指示を出さなければ動かなかった。


 しかし、五ヶ月程が経った頃、変化が現れた。


「リトル。今日誕生日だったよな」

 

 俺は長に気付かれないぐらい小さな、でも美しく輝く黄緑色の石をその冷たい手に乗せた。

 

「たん、じょう、び?」


 そう、小さく喋ったのだ。そして手の上の輝く小石を物珍しそうに眺め、その青い瞳を小さく揺らした。

 それからリトルはそこそこ話すようになった。

 俺だけではない。テルヌも含めて……俺達二人だけには少なくとも心を開いてくれた。


「少し、話すようになってくれたみたいね」


 とある休憩時間中、実験器具を片付けながらテルヌは言う。本当はこんなもの触りたくないなんて言えないので、思考を止めてただただ洗ってしまう。


「そうみたいだな」

「ねぇ、ソルフ。ちなみに何歳ぐらいになったら外に出すつもりなの?」


 ああ、そういえばそこら辺考えていなかった。まあ、本当は今すぐ逃したいところだが。義務教育もまともに受けられていないリトルにとって、今この状況で外に連れ出すのは無理がある。だから少なくとも二年か三年はここに留めておくべきだろう。その中で出来れば少し世界のことも教えてやる。


「十歳……その誕生日を迎えてすぐぐらいまでを目安にしよう」


「…………分かったわ」


 テルヌの反応は少し暗かった。

 そうか、と俺は思った。

 これを言うということは、すなわち支配で自分が殺されるまでの残り年数を示しているということにもなる。当然実験体を逃せば殺されるから。



 俺はリトル達に長く接近できるタイミングを縫って色々なことを教えた。少し興味を持ってくれるようになったからだ。

 魔法のこと、治癒力と治癒魔法の違い、世界の基本的なこと、生きていく上で必要な計算など。

 俺達研究員は、治癒力と治癒魔法を区別するためにその強さによって三種類の分類を作って名前をつけていた。それについても教えた。


「他の二人については……?私達はリトル()と言っておきながら、ルティアやスケールのことはあまり見れていないが」


 最もな意見である。俺達はリトルが感情を取り戻しやすそうだということでリトルのことを重点的に見てきたが、他の二人はあまり見れていない。

 しかし……普通に考えて不可能だろう。


「申し訳ないが、俺達が今見れるのはリトルだけ。ただ、最終的には三人全員外の世界に出す。必ず」


 不可能。

 もし全員逃すようなことをしたらどうなるか。分かりきっている。支配にかけられて死ぬのは俺達だけではない。

 

 全員が死ぬのだ。ここにいる全員が。


 全く理不尽な空間だと思う。ここは血の鉄のような臭いと赤黒い色彩に塗れている空間だ。逆らえば一瞬にして豪快なほどの血飛沫を上げて死んでいくような支配のせいで。その瞬間を見ることなど珍しくもない。




 しかし……二年目。事件が起きた。


 冷たく、暗い廊下に突如大きなサイレンの音が響き渡った。コンクリート特有の音の反射の速さ。普通の壁の十五倍……その影響で耳の奥深くまでそのサイレン音が染み付いた。


「外部通信の切断を確認!至急状況を!」

 

 研究員が慌てふためき、走り回る。その靴の音も掻き消すほどのサイレンの響き。

 

「一名の逃走を確認!」

「何っ?誰だっ?」

「被験体S……スケールだ」


 その叫びを小耳に挟み、俺は冷静に腕組みをしながら壁にもたれかかる。走って他の研究員の後を追おうなんて思わない。深く溜息をついた。


 その日、彼は逃げた。三人の実験体の中で最初の、そして長年研究をしてきて初の逃走者となった。


「警戒体制強化!見つけ次第捉えて処理せよ!命なんかに情けをかけるなっ!治癒力は対象の生命が停止した後でも取り放題だからなぁ!」


 一人の研究員が騒ぎ立てる。

 

 酷い話だ。だからって刺し殺す計画など。

 研究員は皆、腰に飾りと言わんばかりの地味に重い刀を刺している。研究員同士でやり合ったりなどはしない。彼らに対するただの脅し道具に他ならない。だが、これがついに振り下ろされると……彼が、帰ってきたと同時に……。

 久しぶりにその柄に触れる。艶やかな滑りのいい触り心地がやけに俺の心を揺さぶった。

 

 彼は二度とここに帰ってくることは無かった。

 探しに行こうにも監視装置すら破壊されて機能していない今、この広い国内から探し出すのは容易ではない。結果、警戒を強化したり、国に届けを出して捜索してもらう他の方法は無くなってしまった。



「ねぇ、何が起きたの?」


 あれから何週間か経って、ようやくリトルは何か異変に気づいたらしく、俺に聞いてきた。


「…………逃げたんだ」


 俺は正直に、小声で答える。聞こえないぐらい小さく短く。


「逃げることができるの?」


 どうやら聞こえてしまったらしい。俺はうん、とも、いや、とも言えず床に目をやる。逃げ出せるなんてことを直接的に言うわけにはいかない。


「ねぇ、研究員さん。そろそろおなまえ聞かせてよ」


 研究員さん……そう言われて俺ははっとなった。名前を私はこの子に……いや、ルティアとスケールも含めて名乗っていない。名乗ることは禁止されているわけではない。だが、感情を閉ざしている研究員は誰一人として彼らに名乗っているところを見たことは無く、きっと彼女も知らないだろう。


 名乗ろうかと思って、小さく息を吸った。しかし……俺は言葉を出すことは無く、吸った息をそのまま吐いた。


「ごめん、リトル。名乗ることはやめておく」

 

「なんで?」

 

「…………悲しませないようにするためさ」


 できるだけ本意を隠すように俺は答える。

 今はまだ名乗る時ではない。俺は彼らと共に外に出て、共に外の世界を見て学ばせようと考えている。だが、その前に計画がバレて殺される可能性がある。

 もしその事実を彼女が知ったら。また感情を閉ざしてしまうかもしれない。研究員なんかに興味がない彼女などにそんな心配はいらないかとは思うが、少なくとも俺は……俺とテルヌは実験の時大体リトルの元についていたから。


 リトルは瞬きを数回して、首を傾げるだけでそれ以上の事は聞いてこなかった。


「なぁ、リトル。もしもここから逃げてもいいと言われたら、逃げたいか?」


 念の為聞いておく。逃げたくないというのならこの計画は無効になる。するとリトルは迷いもなく「うん」と言った。


「もう、こんなところにずっとなんていたくない。私ね、行きたいところがあるの」


 リトルは光を失いかけた青い瞳に再び光を宿しながら言う。


「どこへ?」


「私のお家!」


「っ……………」


 俺はその反応を聞いて心の中に複雑な何かが立ち込めた。



  

          ✳︎



 


 研究所の一室、灯りを落としたモニタールームの片隅で、俺とテルヌは声を潜めるようにして向かい合っていた。


「……警戒は限界まで強化されてる。今、普通に出口に向かえば確実に殺される」


 俺は短く言った。監視塔は二重、赤外線センサーと生体識別ゲート、夜間巡回も再編されている。テルヌは手元の資料に目を落としながら、小さく囁いた。


「でも……『正規ルート』なら」


 俺は顔を上げた。


「……正規ルート?」


「うん。たとえば『実際に外部の人々を救い出す実験』とか……外に連れ出す実験はたまに組まれてる。正式な手続きがあれば、敷地外に連れ出すことは可能だと思うわ」


「……だが、それには長の許可がいる。危険すぎる」


「長を直接通さない。もっと下の部署、手続き処理担当に『上からの指示』として提出するの。署名を偽装して」


 俺は目を細めた。


「……偽装か。お前、そこまでリスクを背負うつもりか?」


「背負うわ。あの子が『逃げたい、生きたい、痛い』と呟いた日から、もう覚悟はできてる」


 テルヌの瞳は揺れていなかった。俺はしばらく黙ったあと、深く息を吐いた。


「……じゃあ、必要なのは三つだ。署名の偽装データ、名目と手続きの構成、そして当日の監視の目を一時的に逸らす時間稼ぎ。全部、俺がやる」


「……ありがとう」


「俺がやらなきゃ、お前が死ぬ」


「違うわ。ソルフ、あなたが動かなきゃ『救われない』ただそれだけよ」


 俺は視線を落とした。支配の痛みが、胸の奥を再び焼き始めた。だが、それ以上に強く、テルヌの覚悟が胸を締め付けていた。



 そして半年程の時間をかけて、なんとかバレずにことは進んだ。




 そして、決行前夜……俺達二人は密かにとある一室で最後の確認を行った。


「一通り書類の準備は出来たわ」


 差し出された書類に目を通す。偽装されたそれは本物そっくりだった。ハンコ、記号、別の研究員の書く筆跡まで。ここまでできるのか、お前は。


「まあ、こんな回りくどい作戦なんて立てたく無かったし、明日も普通に治癒力を取り出す実験をして普通の会話の流れで普通に()()つもりよ。まだ日が高い時間にね。実験名目で外に出すなら、夜にやる方が怪しまれるわ」


「分かった」


 そして不意にテルヌは目の淵に涙の光を見せた。やや掠れた声で言う。


「やれることは、やった。あとは、リトルを逃して、私は死ぬ」


 視線を落とし、強く拳を握りしめるテルヌ。覚悟を決めたとはいえ、いざ明日となると揺らぎかける気持ちはよく分かる。


「……ありがとう、テルヌ。すまない」

 

 俺は堪えきれず、声を詰まらせた。


「なぜ、お前みたいな優しい研究員までもが殺されなければならないのかな……」

 

 言葉が途中で途切れ、涙が静かに頬を伝う。その感触は生温く、くすぐったかった。テルヌはそっと手を伸ばし、その涙を指で拭う。


「泣かないで。あなたはそんなに弱くないでしょう?何度も何度も支配されても、耐え抜いてきたあなたなら。私も、託せるわ」


 彼女の指が、声が俺の胸元をそっと叩く。


「あなたは、まだここにいる。心が、意志が。だから、リトルを任せたい。あなたにね」


「……ああ、分かった。あとは、任せろ」

 互いに、長い間、言葉を失って俺達は互いに見つめ合った。時間が止まったような、静かな夜だった。

 

「今までありがとう、ソルフ」


「……お前こそ、ありがとう。……必ず、守る」

 



 そして翌日の昼間。リトルはテルヌに連れられてこの研究所を出た。至って普通に。

 長にも他の研究員にも実験の一環であると、これは『外部の人々を実際に救うことを目的とした実践的な実験』であると伝えてあるから。

 スケールの時とは違って警報も鳴らなければ誰も驚かない。


 本当はもうリトルが戻ってくることなどありはしないのにも関わらず。

 

 だが……その偽装は長く続くことは無かった。見破られるまで僅か一時間ほどしか掛からなかった。

 


「テルヌ研究員の拘束を確認。支配起動の準備を進めろ」


 耳に入った瞬間、時間が止まった。

 鼓動が爆音みたいに響いて、視界が歪んで、次の瞬間には走ってた。


 テルヌが拘束された。早い。あまりにも早すぎる。

 なんで。何があった。

 すべて計画通りだったはずだ。抜かりはなかった。あれだけ慎重に偽装した。それなのに。



 処置室に着いたとき、俺はそのまま倒れそうになった。


 白い照明に囲まれた部屋の中央に立たされたテルヌがいた。拘束はされていなかった。けど、立ち尽くしていた。そして――笑ってた。


「テルヌ……」


 思わず名前を呼んだ。

 自分の声じゃないみたいだった。


「最終確認。対象:研究員テルヌ。対象の長への裏切り行為、書類偽装による支配処理、実行する」


 処理官の声が部屋中に響いた。乾いてて、冷たくて、まるで死の宣告そのものだった。


「待て!!」


 叫んだ。怒鳴った。喉が裂けるほど声を張った。


 拳を握りしめた。全身が震えてた。怖かったわけじゃない。ただ、信じられなかった。


「もう少しだけ時間をくれないか……!!」


「支配は起動中。取り消しは不可能。三分後に発動します」


 その言葉が、俺を打ちのめした。

 人の声じゃなかった。ただの命令の読み上げ。まるで感情なんて初めから必要ないと言わんばかりに。


「ソルフ」


 テルヌが、俺の名前を呼んだ。


 振り向いた先。彼女は笑っていた。

 優しい顔だった。諦めたんじゃない。

 納得していた。自分の選んだ結末を、受け入れていた。


「私は、後悔してないわ。どうしてそんな今更声を荒げるの?言ったでしょう?私は彼女が幸せになればそれでいいって。あとは君に任せるからって」


 その一言で、何もかもが壊れた気がした。


「リトルが出た。それだけで、私は十分。……だから、ありがとう」



 そして、次の瞬間。

 彼女の最後の叫びが、腹の底から溢れ出した叫びが部屋中に轟いた。

 彼女は支配の力故に体をバラバラにされて、文字通り散っていった。


 辺りには血の海が広がっていて、鉄の香りが充満していた。


 


 息ができなかった。喉が塞がれたみたいだった。

 叫ぶこともできず、俺は立ち尽くしていた。

 何もできなかった。……何一つ。


 そして俺は小さく覚悟を決めた。


 彼女が託した、彼らの未来を。明るいものにしていくと。


 そのためには、どんな支配の痛みにも耐えてやる。



 この世界が変わる最後まで。俺は支配なんかで簡単に死ぬようなやつではない。リトル達の力に助けられることにはなるだろうけれど。弱音を吐く時だって必ずあるだろうけれど。


 だが、絶対に逃げないと誓おう。

 

 


 


ここまでが過去編です。次回から本編に戻ります

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