第二十九話 優しさの塊
トントン……と薄い木の扉がノックされる音が聞こえた。
「リトル、入ってもいい?」
その声の主は恐らくアネモスだろう。ベッドの高さを調整して少しだけ体を起こす。乱れた部屋着の襟を整える。
「いいよ」
と私が言ったのと同時に、扉が開いた。
「調子どう?」
「うーん……少し、良くなったかな」
「そっか。良かった」
誰もいない間に少しだけ自分の治癒力をかけたり、アネモスがかけてくれた治癒魔法の効果もあるだろうが、痛みはだいぶ引いてきた。ゆっくりであれば動くこともできる。
「他の四人はどんな感じ?」
全員いるとはいえ、隔離されて姿も顔も見れていないから、心配でならない。
「全員目覚めた。話もできる。だいぶ回復に向かっているみたいだね」
「………………」
ああ、また。
目の奥が熱い。
「…………なんて言ったら良いのかな……」
胸の奥が痛い。
「…………私達は、あの内戦を引き起こしたとも言える存在なのに……」
ここまでたくさんの人に救われてきた。
私達はきっと、言い換えればここで生きてちゃいけない。
「いいのよ、気にしないで……」
アネモスは少々目を逸らしながら言う。
もう、これ以上のことは聞いてはこない。私達の状況を思ってのことだろうか。
「それと、もし少しでも動けるようなら仲間のいる部屋行ってもいいけど……どうする?」
小声で言ったアネモスの言葉。
だけれど……私は体が言うことを聞かなすぎて、上手く動くことすらできず。当然歩けもしないので、まだ厳しいだろう。
「大丈夫。それに、まだそんなには動けないんだ」
結局私達は既に何日ここにいるのか分からない。
自分で持っている能力を自ら駆使してなんとか火傷の傷痕とか、銃で撃たれた傷跡とかを目立たなくすることは出来たけれど、どうも動きが鈍い。
重い瞼が閉じて来た。
……あれだけ寝てるのに、眠い。
すると、アネモスがおもむろに私の額を撫でてきた。
「疲れているのよね。無理はしなくていいわよ」
暖かく、優しい声。
今の祖国では絶対に聞けない響き。
仲間として共に行動して来たメンバー以外からこのような優しい言葉を掛けられるのも記憶にないぐらい前のことで。
ここしばらく、私の耳には怒声や悲鳴しか入ってこなかったのだから。それだけでも落ち着く。
その時、私のお腹が鳴った。
そりゃ、そうか。
私達は食べなかったとしてもある程度治癒能力が働いていればなんとかなる。でも……これだけ治癒力も使ってきているわけだから当然体力も失っていく。
「スープ……あるけど飲む?」
アネモスはその音を聞いて、少し笑みを漏らしながら言った。
「じゃあ、言葉に甘えて…………」
「分かった。じゃあ、持ってくるから待ってて」
「ありがとう」
…………いい香りがする。
塩と葉野菜の混ざった香ばしい香りが。
「はい、どーぞ」
渡された勢いのままそれを口に流し込む。
葉野菜と塩と香辛料の旨みが溶け出したそれが、お腹を満たしていく。香りが口いっぱいに広がっていく。
「………………美味しい…………」
その美味しさのあまり夢中でそこに沈んでいた具材までも一気に飲み干す。
「良かった」
アネモスの心の底から安心したというような声音。
気にしなくて良いとは言われたけれど、心の中ではずっとずっと感謝している。
私もいつか、SNVの問題を解決して祖国で普通に暮らせるようになったら。
このぐらい優しさで溢れた心で。
私が持つその能力で。多くの人を救ってあげたい。監禁とか、虐殺なんかじゃなくて……。
「アネモスはさ……どうしてここまで優しくしてくれるの?」
ふと疑問に思ったことだ。
今目の前にいるアネモスは何故ここまで優しくしてくれるのか。
「単純に困っている人を出来るだけ多く救ってあげたかったから、かな。この施設も殆どが寄付で成り立っている。この国にはそういう人が多いんだよ。ありがたいことだよね」
「……………………」
「私は平日は学校行って、休日はここにいる。今は特別長期休暇期間だからずっとここにいて、なんなら下にいる子供達と遊んだりもしてる」
困っている子供達を救い、一緒に遊んであげる。なんて素晴らしい事なのだろうか……
「もう少し動けるようになったらこの施設も案内するよ」
「ありがとう」
それから、ベッドの隣に置かれていた机の引き出しを開ける。
中に大量の本や冊子が入っている。言語は一緒なので何が書いてあるのかも当然分かる。
「ここの本、適当に読んで構わないから。私はそろそろ別の子のところ行ってくるわね」
久しぶりに触った紙の感触。すべすべした肌触りの良い紙。
あ……
私はページを捲っていた手を止める。
「ねぇ、アネモス」
部屋を出て行こうとするアネモスの背中に問いかける。
「私の持ってた小さい冊子みたいなのって……」
今、部屋のドアノブに掛けたアネモスの手が止まった。
「あ、あれ……ね……」
何か知っていそうな予感がする。
「もしかして、まだ残ってたりする?」
流石に無いと思った。
だって、アンナが見せてくれたスケールの槍すらあれだけ溶けてしまう熱量の中、紙が燃えない訳が……
「…………これの、ことかな」
「!?」
ほぼ炭の塊。原型すら留めてはいない。ただ、焼け焦げた表紙の一部だけをアネモスは私に手渡して来た。
「…………何が書いてあったのかは分からないけど、あなたが、胸にずっと抱いていたわ」
「………………」
無意識に大事にしていた物だった。
そうだ。
「それ、何が書いてあったの?」
「…………今は亡き両親が残した、メッセージ」
研究所から脱出した時には親は死んでいて。当然そこには形見とかも無い。約三年という長い時間を過ごしてようやく逃げて来て………気づいたら忘れかけていた、だけど心の底から大好きだったあの声は二度と聞けないものになってしまった。
このメモ帳に書いてあるこれだけが、唯一残っていたのだった。
「…………どうする?」
でも。今はもう炭の塊だから、それこそ持っていてもしょうがない。
「処分、していいよ。ごめんね、突然」
「…………」
アネモスはそれを見つめたまま、動かない。
しばし、沈黙が流れ、それから小さく「…………分かった」と頷き、それを持って踵を返した。
「そこの紙、自由に使ってね……」
出ていく直前私に背を向けたまま、もう一度それだけを言って、静かに部屋の扉を閉めた。
一人になった、誰もいない部屋。
私は掛けられた布団を剥いでベッドの淵に座り、再び本が入っていた引き出しを開ける。静かに木の箱が引き出しのレールを滑る。
中から一枚の紙を出し、机の上にあった木炭を指の間に挟む。
あの続きを書こうと思った。消えてしまった日記の続き。あれはもう消えてしまったけれど。
ちゃんと頭の中には残っている。
スケールの、仲間の言った言葉。
その続きを書く。いつか読み返すことがあったら、少しでも安らぎになればというのもあるけれど。それ以上に大事なものも……あるかもしれない。
――私の過ごした日々の詩 Day4――
そこには、私を助けてくれる優しい子供がいた。
名前はアネモス。彼女は困っている子供を積極的に保護してきた心優しい子だった。
私も………………
書いていた手が止まる。
私は木炭を置きそのまま後ろに起こしていた上半身を倒した。暖かな空気を溜め込んでふわふわに膨らんだ掛け布団に上半身を沈め、何もない純白の天井を眺める。
静かすぎる。まだあまり動けないから、アネモスの誘いを断ってしまったけれど。本当はすごく仲間の顔を見たいのだ。
『リトル……』
ピクッと体を震わせる。震えた低い声。
私は首の方に手を伸ばした。火の海に投げ出されてもまだこれは健全に動いている。外れることも無く。
ああ、そうか。これは。仲間の証だったな……。
会えなくない。これがあれば、話はできる。
『スケール……?』
『リトルも、目が覚めたんだな……』
聞き返すとすぐに返答が返ってきた。続けて話をする。
『スケール…そっちは平気?痛かったり、痒かったりしない?』
『うーん……アネモスちゃんのおかげもあって、こっちもだいぶ良くなったよ』
『………………』
たっぷりとした息を含んだような心の声。
心の声。それは心の中の声だけれど。私達三人のうちの誰かに話しかけるように言った言葉は、今ここで顔を合わせて直接話をしているかのようにはっきりと伝わる。
『私もまだあまり動けないけれど、だいぶ良くなったんだ』
『そっか………ああ……でも……良かった……これで三人全員、連絡を取り合えた』
スケールの心から安堵する声。
会いたくなった。
アネモスの言う通り、回復に向かっていることはこの声だけでも十分分かる。
『ねぇ、私動けるようになったらみんなのとこ遊びに行くね』
『そうだね、俺も、リトルそしてルティア、リアとソルフィア。まだ誰とも顔は合わせていない……来てくれると嬉しいかな』
『うん、必ず』
私達は、一人も欠けるわけにはいかない。
最後の、戦闘の時までは。いや……
祖国を再び平和に戻すまでは。




