第二十八話 翡翠の光
………………
深く沈んだ暗闇の中に浮かび上がる過去の記憶。小さな私と研究員が脳内に映し出される。
「おまえは今日から実験体として生きるのだ」
どこを見ても小さな私の視界は暗く、自分の体の一部と思えない程頭がフワフワする。
激しい失血で眩暈がする。
「う……なんで……私が……」
「分かるだろ?お前は特別なんだよ」
「とく、べつ?」
何が特別なのか分からない。だって今までそんなこと誰にも言われたことは無かった。友達はもちろん、親にすら。私は今までずっと普通に過ごしてきた。学校にだって行っていた。
「とにかく、お前は今日からここで過ごしてもらう。この部屋から出ることは許さないが、この中であれば何をしても構わん」
割れた窓の向こうから吹き抜ける、冷たい風。
何も置かれていないのに、ただただ広く薄暗いコンクリート製の壁で囲まれた部屋。
「お母さんは?お父さんは?」
小さな私が繰り返し両親の名前を尋ねる。白衣の裾を掴んですがるように。
「………」
「ねえ、教えてよ。私お家に帰りたい…こんなところはいや……」
サッと真っ赤な瞳が向けられ、小さな私は身震いする。
「おまえは普通に過ごされちゃ困るんだよ。国の為にも」
言っている意味がわからない。
何か悪いことした記憶がない。
「明日から実験を始める。俺が来るとは限らないが、毎日実験を繰り返すからな。頼むぞ」
いやとは言わせずどんどん話を進める。親がどうなったかも結局答えてはくれず、研究員は小さな私から離れていく。
「待って!」
離れゆく研究員に手を伸ばし、残った力で立ち上がり、その背中を追う。この暗い部屋に一人なんて、そんなの……
「付いてくるな!」
怒号のような声に、再び体が凍りつく。
「言っておくが、この部屋から出たら最後だ。………変な真似をしたら、子供だろうが容赦はせん。俺達にとっては、治癒力さえあれば十分だからな」
研究員は私に一瞬、腰に刺していた白銀の長い刃を鞘からチラつかせ……それから去っていった。
ガンッと扉が乱暴に閉められ、金属扉が揺れて発する音が部屋の壁に反射して響き渡る。
誰も、いなくなった。
私一人だけが、取り残された。
「う………う……ル…ルティア……ス……」
ああ、上手く声が出ない。
あれ……でも、私、生きてる…?
白い天井がぼやけた視界の奥に見える。
「どこ…ここ……うっ……」
体を持ち上げようとして……体が動かない。痛すぎて動かせない。力が入らない。治癒力も使えない……
「あー!!!!起きたあ!!!」
そうこうしていると誰かが駆け寄って来た。目をパッと輝かせながら、丸い目で私をじっと見つめる。茶髪のツインテールが揺れる。
翡翠色の双眸。その時点で会ったことのない。体が小さい………子供?
「アネモス!アネモス姉ちゃん!!起きた!おきたよ!!」
扉を開け、階下に向かって叫ぶ少女。
「あなた…は……う、ぐっ」
体を起こせない。
「動かないで……今、お姉ちゃんくるから」
しばらくして、下の方からドタドタと駆けて来る音がしてガチャッと扉が開け放たれた。
「目が覚めたのねっ!!良かった……」
さらにもう一人。アネモス姉ちゃんとでも言ったか……
「だれ……だ……」
なんとか喉の奥か声を振り絞る。言葉は通じる。なのに目の色が私達と違う。
「私はアネモス。風属性攻撃魔法の使い手。ここ、ミリステッド国児童特別保護施設の看護係。安心して。悪いようにはしないわ」
「まさか……うっ……っく……」
ミリステッド国って……聞いたことはある。隣国。国境を越えてしまったのか……?
そういえば、私はなんでこんなところに。
「大丈夫だから、動かないで。お願い。また傷口が開いちゃう………アンナ、新しいお薬を持ってきてくれる?」
「はいっ!」
あ………
最初に駆け寄って来てくれた子も忙しそうに部屋を駆け回り、救急箱を持ってくる。
体にかけられた毛布を捲って唖然とした。全身が真っ赤に染まっていた。どうして助かっているのか疑問に思うほどに。
うわっ……眩し……
突如、黄緑色の光が照らし出された。それと共に体が軽くなってゆく。こびりついた痛みが完全に無くなることは無いものの、少し軽くなったように感じた。
「うーん……やっぱり、私の治癒魔法でもダメかあ」
私は首を横に振る。枯れた息で声帯を揺らす。
「助けて……くれるの……?」
「君、全然起きないし全身大火傷。おまけに血圧やら心拍数やら数値が低いから死んじゃうんじゃ無いかって心配してたのよ」
アネモスがせっせと薬を塗って新しい包帯を手際よく巻きながら言う。でも、やっぱり疑問だ。
「一体……どうして……」
視界が晴れて来る。少しだけベットの高さを調整してくれたおかげで周りに置かれているものも少しだけ見える。
全部見たことが無いものだ。
おまけに清潔感が漂っていて、今自分が寝かされているのはベッドの上。
ミリステッド国と言う名前を聞いた時、既に研究所では無いということは分かった。
「国境付近で倒れていたのよ。他にも四人居たわ」
「みんなは!?どこ?」
体を持ち上げようとして、やっぱりダメで、それでも声を大きく振るわす。
他にも四人。スケール、ルティア、リア、ソルフィア……
姿がまだ見えていない。
「部屋は分けているけれど、ちゃんと全員ここにいるよ。でも……君より小さい魔術師の女の子と金髪の男の子がまだ眠ったまま。残りの二人は君より先に起きたけど数分でまた寝てしまった」
…………ちゃんと、いる。良かった。
まだ危険はあるにしても全員ここに居るってだけで安心できる。あのまま見放されていたら。
「ここは特別な事情で通常の生活を送れない子供達が集まって教育を受けたり一緒に遊んだりするところ。君達のように大きな怪我を負っている子供にはそれ相応の手当を無料で受けられる」
「私達は、どうなるの?」
隣国とはいえ別の国だ。入国許可だって降りていないはず。普通に考えれば、追い返される。
「君達は鑑定結果上、ラリージャ王朝から来たみたいだから二年間の特別滞在が許可されているわ。このカードを持っていれば証明ができるから普通に過ごして大丈夫」
黄色いカード。ボロボロの冒険者カードとは違いしっかりとした硬い素材で作られている。
それにしても二年か……
本当にそんな年月居てもいいというのなら、少しだけでも普通に過ごしたい。
「その間ここが君達の家と思ってもらって構わない。ただしばらくはここで教育を受けてもらわなきゃいけない。この国のルールとか知ってもらわなきゃいけないからね。怪我が完治するかは分からないけれど、治ったら少しずつここの子供達との交流もして欲しいかな」
「ねぇ、君はなんて名前なの?」
アネモスの隣でずっと私の顔色を伺っていた子……確かアンナ……が聞く。そういえば、名乗ってなかったっけ。
「リトル・アレン」
それから全員の名前を一気に紹介する。
「みんな、私の仲間。共に行動して来た、仲間なんだ」
「…………私はアンナ。よろしくね」
「うん、よろしく」
それからアンナは私の腕に巻かれた包帯に優しく触れて、少々息詰まりながら、何て言えばいいのか悩みながら口にする。
「ねぇ、リトルちゃん……私、やっぱり、不思議なんだけど……一体何があったのか、教えてくれるかな?」
「………………」
涙で濡れた翡翠色の希望の瞳。黙り込んでしまった私が話し出すのをじっと見つめている。
でも……この話はきっと相手を不快にさせる。
「ちなみに、ラリージャで何が起きているかは知ってる?」
問い返した質問に彼女はしっかり頷く。
「内戦とは言っても、影響は少なからずこっちにも来てるから、もちろん知ってるよ」
「なんで起きたかは?」
「知らない」
じゃあ、かなり核のところも話さないとだな。
「…………ラリージャ王朝は今、SNVというウイルスに侵されている。治療法のない、恐ろしい病気だ。治癒魔法も効かず、かかったら九十九パーセント死ぬ」
アンナの表情は蒼白だ。だが、これはまだ序盤。問題はここではない。
「でも、私とルティアとスケール……は違う。ここからは他言無用だ。いいかな」
アンナはしっかり頷く。それを見て、続きを話す。
「私達には、特別な能力があって、病気、難病、怪我……なんでも治せる。例えそれが新種であっても関係ない。私達は『生きる万能薬』だ」
驚きに満ちた表情。何も質問はしてこない。
「それがあるが故に、私達は六歳にして特別施設送りとなり……数年に渡って研究……いや、監禁された」
あれはもはや研究ではない。
アイツらにとっては、私達の存在など正味どうでもいいのだ。目当ては私達が持つ万能薬だから。
「さらにその施設の長は、自分が言ったことを部下に強制させ、支配をかけ……SNVの存在が分かってからは私達を捕らえるために住民すらも……暴走を始めた」
自然に降って来た雨や液体に毒を盛り、支配付けにさせた。
「その支配に抗えば多くは殺された。私は自我のあるものは救ってやろうとしたけれど……耐えきれず、最終的に私達を襲って来た子供がいた。なくなく、スケールが…………その槍で止めを刺した」
「そんなっ……あれは、そんな大事な、ものだったの……?」
「何か、知ってるの?」
アンナの表情がさらに曇った。こうなることは分かっていたから、話すのを一瞬躊躇ったのだが……『槍』という一言で、彼女は何か反応した。
そういえば、私が今着ているのって……白シャツでもパジャマでもない。着たことのない肌着だ。
私が聞くと、何処かから私達が持っていた武器を持って戻って来た。
悲惨な有様だった。
金属でできているとはいえ、砲弾の爆薬から放たれた炎に耐えきれず、一部が焼け溶け、槍の切先は刃こぼれしている。これでは使い物にならない。
「…………こんなにボロボロになっちゃってたのよ……処分したら、悲しむかな……代わりのものは用意してあるんだけど……」
アンナの今にも泣きそうな顔を見て、私は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。でも一応聞いてみた方がいいかもしれないね」
武器がこれだけボロボロだと、私の持っていた血塗りのノートも焼け焦げてチリになってしまっただろう。あのノートは正直何が書かれているのか、何の意味があったのかは分からなかったけれど、私の両親が残した唯一のメッセージ……筆跡でもあった。
痛む体。残る傷。
私がスケールを庇って得た代償である深い切り傷も残ったまま。この傷跡も、しばらくは残ってしまうだろう。
「それで、住民を支配化して暴走させたのは何で……?」
子供の好奇心は深い。流石にこれ以上は……
でも、言わなくっても結局……
「私達が、あの内戦のすべての始まり。私のせいで、国は壊れた」
視界がぼやける。瞬きするごとに。
「今まで多くの子供を見てきたけれど、これだけ重い過去を持った子は初めて」
「大丈夫……そんな顔、しないで」
やっぱり話すべきじゃなかったな。あまり心配されたくもない。相手を不快にさせるのも……
これは定められた運命。
今だにそれを受け入れられず、逃げて来てしまったけれど……後悔の方がなんとなく大きい。
「ねぇ、リトル。行きたいところとか、やりたいこととかはある?」
「行きたいところ?やりたい……こと……」
「あそこ行きたいとか、あれやりたいとか。見たいものでもいいよ」
まだこの国の街の全貌をこの目で見ていないからなんともいえない。
やりたいこと……なんだろう。
何で私はこんなに運命に抗い続けたんだ?
ただただ死ぬのが怖かったからではきっと許されない。
「ありがとう、アンナ。もう少し良くなったら少し考えさせて欲しい」
それにまだ仲間が目覚めていないのだとしたらこうもしていられない。
私達はここで保護されて、大事で、でもとても長い二年間を過ごしていく……時間は無駄にできない。




