第二十七話 追放
吹き付ける風は熱い。皮膚をジリジリ焼くほどに。
あまりにも熱いので、目を開ける。
目の前に広がるのは――高々と燃え上がる炎の影。
目の奥に残像が残るほどに明るい、オレンジ色の光。
焼ける音。人々の悲鳴、泣き叫ぶ声。呻き声。その全てが、一昨日まで普通に笑って過ごしていた平和を黒く塗り潰していく。
「ソルフィア……体調……平気か?」
先に起きていたソルフィアの顔色を伺う。暗闇に落ちた表情。それでも彼は頑張って口角を上げようとする。
酸素の薄い空気。
煙の混じった空気を吸ったところで私の喘ぐ肺を落ち着かせることはできず、むしろ喉の奥が煙の成分で焼かれて痛くなるばかりで……私の声はぶつ切りになってしまう。
ソルフィアの顔色はよろしくないが、今この状況では、私には何かをする術はない。
「ごめんね、ソルフィア。しばらくは本当に能力を封印しないと……だから、君の傷も痛みも治せない」
「………そうか……」
私と顔を合わせることもなく、歯を食い縛り、俯くソルフィア。
「…………ラリアは……どうなった」
「あっ……」
………その名を聞いて無言のまま私は考え込む。
「…………ラリアは…………」
知らなかった。でもきっとあの二人には何かしらの接点があっただろう。
ソルフィアの「ありがとう」を聞いたラリアの少しためらいを隠した表情が、頭の中に残っている。
「そうか」
言う前に感じ取ったのかソルフィアは私から目線を下げ、首を縦に振る。
「ようやく、ラリアも解放されたのだな……」
遠く、煙で霞んだ焼ける空を見上げて息をたっぷり含んだ声で言う。
「これも、今となれば形見だな」
ソルフィアの手に乗せられた小さな何か。よく見ると淡い、黄緑色の光を発している。
「それは……?」
「…………君達のエネルギーの結晶を固めて作った一種の飾りみたいなものだ。治癒力以外の効果を確かめるためにラリアと作ったものだ。アイツも同じものを持ってた」
「………………」
今更ながら、とんでもないことをしてしまったという後悔が心の底から湧き上がってくる。
スケールの槍の切先に残された真紅の色だけが彼女が生きていた証だ。もうここにはラリアが持っていたものも、身体も、骨すら何もない。
しばし間の後……ソルフィアは不意に顔を上げて、意を決したように口にした。
「リトル。もう俺に対して治癒力を使う必要はない」
「それは、どういう?」
「文字通りだ…………俺を、殺せ」
「!」
ソルフィアの言い分は、言われなくてもわかるものがある。でも……
「それはできません」
「なぜ?」
私の口から軽く微笑が漏れる。
ただ、言葉は出てこない。
ソルフィアと出会ったあの日。どんな支配でも耐え抜いて私達を守ると彼は言った。それに対して私達を裏切らないという約束の下、私はそのお返しとして治癒力で支配の痛みを和らげることにしていた。
「…………俺はどこか間違っていたんだ。これでは護衛では無く、ただの足手纏いだ。それで君達に治癒力を使わせて君達が捕まることがあれば、俺がいる意味は微塵もない……」
その言葉に私は首を横に振る。
「いいえ……いる意味は、十分あります」
ソルフィアが居たから、美味しいものを食べれた。
ソルフィアが居たから、私の両親のことを知れた。
確かに少し大変なところはあるけれど、それですら……
私の中では十分なほど、心の護衛にはなっている。
「スケールの言葉を聞いて、諦めてはいけないと思うのなら……最後までついてきてください。足手纏いなんていうことはありません。あなたは、確実に私の心の護衛です。それに……誰かを助けられることが、私の……私達の誇りですから」
「それで、俺達に殺されても、か?」
「…………生きたいということに変わりは無いけれど、誰かが私達の力で笑顔を取り戻せたということほど嬉しいことはないな、と思えたんです。誰も救えずに殺されることの方が、心残りが残ってしまう気がして」
ソルフィアのおかげで分かった。
死ぬのが怖い、捕まるのが怖いといって、誰も救えずに捕まって、殺されるということはそれこそ心残りになるんじゃないかと。
「…………諦めたくはないと言ったけれど、俺自身で、俺の手で、長を討つことは出来ないしそれは許されることではない。それが今できるのは……お前たちだけなんだ」
あのノートの一ページに書かれていた血文字。
それと同じことを言っている。
本当にその通りになってしまっている。
とすると、研究所に何かがいるという何かも本当に起こることなのかもしれない。
…………これは。
「確かにそうなる。だが、この状況から住民達を救えるのはソルフィアだけ。お互い様だ」
隣で眠そうに半目を開けたスケールが言う。
少し遅れて起き出した他の仲間も横から口を挟み出す。
「それぞれが協力しあって、できないことを補い合う良さがある。足手纏いなんてことはないよ」
ルティア。
「そうだよ!元気だしなよ」
リア。
「………………そうだな……」
✳︎
「僕は……なんも悪いことしてない!」
なんだ……
岩陰からそっと顔を覗かせてみる。小さな男の子が誰もいない燃えた建物の横で大声を上げて泣いている。
「僕は……やりたくてやったんじゃない………どうして……誰が……」
よくみると、男の子の頭に一本の角が生えている。
「ソルフィア。あの子をこっちに連れてきて欲しい。できるか?」
「……そんなことしたら、捕まるぞ」
捕まる、捕まらないじゃない。
「あの子は自我があるから。君と、同じ」
「…………分かった」
「う……ぅ……」
男の子は私を見るなり、呻き出した。喉の奥から絞り出すように声を発する。
「いや……だ……僕は……誰かを傷つけたくない……」
とりあえず観察……
何もしてこないな。
ここで私達に襲いかかるようであれば私だって容姿しない。でもこの子は自我があって、抗っている。ソルフィアのように。
「どうする、リトル」
「…………そうね」
約束できるなら、治癒力で支配状態を和らげてあげてもいい。とりあえずまだ話が出来そうなので声をかけてみる。
「…………ねぇ、私達を見ても、憎まない?」
私の声に反応して、男の子の丸い、幼さのある目とは裏腹に真っ赤に染まった双眸が向けられる。
「私達を殺したり、捕まえたりしないって約束できるかな」
男の子はゆっくり首を縦に振った。
「僕は……自分の意思で……うぅっ……」
それっきり男の子はぐったりと地面に倒れ込んだまま顔も上げられなくなった。
頭を優しく撫でて、顔を覗き込む。
「痛い……?くるしい?」
「…………たすけ、て」
ほぼ息を吐き出しただけの小さな震える声で私に訴える。
『助けてあげよう。ルティア、スケール……いいかな?』
この子なら、大丈夫だ。
『特に俺は何も感じない。だから止めることはしない。リトルがそう思うなら構わん』
勝手にしろとでも思っているような心の声でスケールは返す。
なんと言われようが了承は取らないと。あの失敗を二度と繰り返さないためだ。
「…………ありがとう」
涙ぐんだ真っ赤な瞳で私を見つめる。
やはり和らげられるのはほんの数ミリで、支配に関しては完全に治すことは不可能だけれど、それでも助けてあげることはできる。
「……どういたしまして……。それで……あの雨を浴びちゃったのよね?」
「うん……あれを浴びた途端、僕の意識は一瞬で沈んだ。目が覚めたら誰かの声がして、体の自由が効かなくなってきて、いろんなものを壊してしまった」
男の子の目は酷く暗く、罪悪感に満ちている。
「君は悪くない。悪いのは……俺達を指揮する、モノだ」
ソルフィアも強く奥歯を噛み締めながら口にする。
次の瞬間……何かに反応したように彼の体がピクッと震えた。
「そんな……そんなこと……させてたまるか……!う……ぐぅう……くそっ!」
ソルフィアが突然どこかに向けて大声を上げた。
パキ……と何かが折れる小さな音。右手に折れた角の破片が握られている。
何が起きたのか、誰に喋っているのか……
分からない……
「どうしたの?」
男の子も心配そうに顔を覗かせてくる。
「……大丈夫。君はもうここから離れて」
私はその子を制するように右手を伸ばす。近づけさせない方がいい。
「うん……分かった」
すごく素直に頭を下げて、男の子は私の一言で背中を向けて去っていった。
「ソルフィ……ア?」
「リトル……。これからは支配に対して君の治癒力が効きにくくなる」
名前を呼び切る前に素早く言い放つ。
重い息を吐きながら、口にするソルフィアの赤みが増した双眸。
「そんなっ……」
「俺は、何も言えない。長の行動に対して反対することは言えない。言ったところで、支配に操られるだけで……ついには君の治癒力も効きにくくなるわけだから」
もう覚悟を決めたと言わんばかりの表情は、私の心を揺らす。
「これでまた一つ、俺たちは追い詰められた」
数分後。
「うああああ!!!!」
「!?」
突如後ろから黒い影が迫ってくるのを感じた。
「リトル…………!!」
スケールは咄嗟に私を庇ったものの、槍からは冷たい冷気は感じられない。槍を握った手は強く震え出している。
「長よ……、なぜ、ここまでするのだ……」
切先も下に下ろしたまま立ち尽くしている。
「…………もう、辞めてくれよ……」
スケールの肩が震えている。声が枯れ果てている。
そっと後ろを振り向く。
「……えっ…?」
私を襲った者は、私が今さっき治癒力をかけたばかりの男の子だった。
男の子の目からは数滴の涙がこぼれ落ちていく。なのに、「ウーッ」と私達を見て牙を剥き、猛獣のように唸り立てる。
「なんで……」
「っ…………」
『リトル、これはやるしか無い』
『!』
スケールは切先を向けた。
男の子に向けて。
待って、という言葉が喉の奥でつっかえて出せない。
「………………ここまで来ると、俺達にもどうにもできない……」
そのまま、怖がらないようにゆっくり慎重に近寄っていく。しかし、男の子もまた、後退っていく。
「ごめんな、君にも、平和になった世界を見せてあげたかった……俺達のせいだ。許してくれ」
男の子の足が止まった。顔に恐怖はない。ただ零れ落ちる涙の軌跡だけが、感情を語っている。
「…………大丈夫だ、安心しろ。痛くない技を使ってやるからさ」
スケールは優しく、静かに言う。
「うっ………うぅ……」
男の子は途切れることなく涙を流し続ける。
スケールは複雑な笑みでその角が生えた頭を優しく撫でる。すると安心したのか男の子はスケールをしっかり見た。それを確認してスケールは手を離し、再び槍を握りしめる。
フゥ……と小さく息を吐き、それからスケールはそれをーー刺した。
「『寒冷風氷』」
サクッという、優しく散る氷の音。
槍は、男の子の胸を突いていた。
小さな体の倒れる音。
「支配……君はよく抗ってくれた。お疲れ様……俺達が必ず、世界を元に戻すからな……」
滴り落ちる、命の色。
「あ……あ、優しい……」
男の子はただそれだけ言って、深い眠りに落ちていった。
ただ一人の強力な力で、感情を壊された者の最期。ソルフィアもいつか、近いうちに、こうせざるを得なくなる。
なんてひどい奴なんだ。
何者なんだ……
研究所の長って。
ソルフィアはこの光景を見ても何一つ言葉を発することは無く、ただただスケールの背中を見つめていた。
スケールは、出会った時からリーダー身があって、いつもこういう役に回されてしまう。
だけれど。
最年長だからではなく……
決してやりたいからやっているわけでもなく……
誰かを葬るという、その心に深く刻まれる苦しみを味わうのは……私でも、ルティアでも、リアでもない
――俺なんだと、俺しかいないのだと
その背中が語っている気がした。
✳︎
「探せ!全てを薙ぎ倒せ!草一本残さず刈り、その足跡を見失うで無いぞ!!」
「おうっ!!」
迫り来る、支配に侵された住民達。
自我を失い、長によって好き勝手に操られた者達。
本当は今日だって、行きたい場所、やりたいことを予定表にぎっちり詰めていた人だっていたはずなのに。
「リトル、ルティア、リア、ソルフィア……」
男の子を殺してからずっとこちらを振り返らなかったスケールがようやく私達を振り返る。
「ここは、危険だ」
「………………にげな、ければ……」
そういうスケールは力無く、膝を付いて震え出す身体を両腕で支えるので精一杯だ。溢れ出す涙で、地面には所々小さな水の跡が広がってゆく。
「いたぞ……!!この裏だ!追い込め!」
「スケール!」
スケールの肩から腕にかけてラリアに切られた傷口が開き出している。ルティアの治癒力では完全に治せない。私はあの時すぐに治癒力を掛けられなかった。結局今この時までかけてあげることはできなかったのだ。
「大丈夫だ、俺が背負っていく」
ソルフィアが手を貸してくれる。私もルティアもリアも背負うのは厳しいが、この中で誰よりも背が高く、力もあるソルフィアなら背負っていける。
「走るぞ……!!」
足を踏み出す。
腕を振って加速度を上げて走る。
岩山の間を抜ける。
「逃すなー!」
パンッと何かが弾ける音が響く。
銃……?鉄砲……?
こんな物まで、冒険者でも無い人が持つ時代になったのか……?
「リア!危ないっ!」
横から銃口がリアに伸びる。
「いやぁ!!」
脇腹からサッと血飛沫が散った。一瞬バランスが崩れる。
「後で治すから、走って……!」
「う、うん……!」
強い。
銃で撃たれても足取りはしっかりしている。私より小さな体なのに。一つ下ぐらいの違いしかないのに。
「アイツだ!アイツを狙え!!」
『ルティア!』
『気にしなくていい!前だけ見て!』
狙われているのが自分だということにはもう気づいている。スッと的から外れる位置まで蛇行しながら足を進める。
一瞬後ろを振り返る。支配化された住民の群衆がどんどん増えて広がってゆく。
瓦礫を踏む。靴底が切れる。
街がオレンジ色の火柱を上げて燃えてゆく。
乾いた音がすぐそこで聞こえた。直後、私の右腕腕を貫かんとする傷が深く刻まれた。
「…………うっ!!!」
痺れる痛みが広がり、咄嗟に手で押さえる。
「リトル!大丈夫か!」
前を行くルティアが振り返る。
止まるわけにはいかない。
「大丈夫!このぐらい平気」
足が遅いのは損だ。
ルティアもリアもソルフィアもどんどん先へと行く。住民の大群が迫っているのを肌で感じる。
見たことのない街並み。来たことがない場所。
いつも研究所基準で世界を見ている私達の目には全く持って届いていない場所だ。
来たことあるのかもしれないが……燃えていく街、今は昼間のはずなのに立ち込める煙のせいで太陽の光すら届かず暗闇に閉ざされた街は――知らない世界だ。
✳︎
「…………!」
空気が煙で覆われて、前が見えづらい中……
目を擦って、遠く、行く先に広がるソレを見て私の心臓が跳ねた。
「国境……!?」
岩の壁。私の身長の二倍、ソルフィアの身長の一、三倍ぐらいあるそれが私達の行く手を阻む。
このまま前に足を進めてもこれより先はいけない。行き止まり……
国の果ての果て。私達はどうやらここまで走ってきてしまったらしい。
ここまで必死に前だけ見て走ってきた。
当てもなく、ただひたすらに。
「追い込めー!!」
もう、ダメだ。今更戻れない。ここまで数十キロぶっ通しで走ってきて、当然息も上がり……走る体力も失われつつある。きっと足を止めたらそのまま膝から崩れ落ちてしまうだろう。
挟み撃ち。
壁より後ろに下がることはできない。
いや……
崩れた瓦礫。これを使えば、壁の上に登れるかもしれない。
ああ、でも。登ったところでこの先へ進むことは不可能だ。結局意味はない。
私達は
負けたんだ。
「準備完了……」
大砲の銃口が私の背中に向けられる。鈍く光る鉄鋼の口の奥から白い煙が上がるのが分かった。
「撃てえええぇぇ!!!」
ドガン……!!
と……耳をつんざくような鉄の響きと地面を激しく揺らす重みのある音が。
私達五人を火の海の中に放り込んだ…………。
ここまでが三章になります!
流石に死んでない……はず……
まあまあ、物語はまだ続きますのでね!これからも追ってくださると嬉しいです!
次回からは
第四章 隣国・ミリステッド国 保護編です!




