第二十五話 作戦会議
「見ての通り、俺達は追い詰められている。ソルフィアの状態からも研究員が近くにいることは確かだ」
スケールの表情はいつにも増して深刻。ソルフィアも言わないだけで最近ずっと苦しそうだ。
「それにリアは何とか抑えられたが、住民は支配化によって暴走を始めている。多くは死んだだろうが生き残った者もいるはず。もしかしたら明日には誰かが俺達の場所を特定して襲いにくるかもしれない」
住民の支配化は突然起こった。
原因となる物質……今朝降った雨か。
リアが突然、息ができなくなるぐらい喘ぎ出した時は焦った。あれだけ目を充血させて痙攣するリアを見るのが初めてで怖かった。私がいなかったら死んでいたかもしれない。
「まず躊躇せずに外に出る。ここは狭くて暗い。拠点はまた後で探す。とりあえずここで追い詰められて逃げ場を失うより素直にここから出るべきだ」
いつくるか断定はできない。でももう今あと一分後とかに来る可能性だってある。
「分かった」
全員がスケールの提案に「うん」と頷く。
スケールが近くに落ちていた小石を握り、暗い地面をロウソクで照らしながらそこに文字を刻んでいく。
「それでだ……ソルフィア。君は申し訳無いが相手が研究員だった場合、戦闘には関わるな」
「ああ……」
ソルフィアはあっさりと認めた。
「というより戦う前に支配状態にする力――血獄支配が発動するだろうから俺は酷い痛みで動くことすら出来なくなるだろう。そしてそれは長に程近い地位にいる研究員であれば長で無くても許可が降りれば発動ができてしまう」
「血獄支配…?」
私は聞く。今までの支配状態とは違う魔術なのだろうか。
「今までの支配力はまだ序の口も良いところというぐらいだ。この技は支配状態の本質。かけられたら九割九分死ぬ。三秒耐えられたら上出来というぐらい瞬殺の技だ」
寒気がした。支配ってそんなに恐ろしいものだったのか。
私は思わず唾を飲む。緊急時用の器具が入っている懐に手を入れる。
「………今まで四、五回治癒力を投与する対策をしたけれど、それでも生きられる確率は……?」
「……低いだろうね」
小声で目線を下に向け、強く拳を握るソルフィア。
その顔は泣くのを必死で堪えていて……だけれど一欠片の覚悟が見え隠れしている。
「だが、支配状態が発生している最中に治癒力がかけられていると痛みが軽減されてきた。三秒以上耐えられれば、乗り切れる道はある」
そう言われて私は懐に入れていた器具を全て取り出す。
黄緑色に光る治癒力を生み出すエネルギーの結晶が入った瓶、ガーゼと包帯、あとは私達だけが使う事を許されている専用の注射器数本……
「これをこの中の誰かに渡そう」
ルティアが肩から下げていた、ほぼ空の、革で作られた小さなカバンにそれらを入れ込む。
転移魔法を使える仲間がいい。となると当てはまるのはリア。ただ一人。
「…………リア。ソルフィアのことお願いしてもいいかな?これらを使って痛みと効力を軽減させるんだ」
正直不安もある。まだ十歳の少女に任せることが。
チラリとリアを見ると、リアは覚悟を決めた眼差しで私をまっすぐ見つめていた。
「それは、私達以外使ってはいけないものだから……」
しかし、ルティアが私の行動を制する。
「でも私達は転移魔法を使えない。任せられるのはリアだけだ」
「…………でも、使い方を間違えたらそれこそ危ない」
正当な考えだ。私達は何回も繰り返しやってきて正式に許可を貰っている。でもリアは無許可で……何ならこれが初めて。
「リトル……任せて……私のもういないお母さんが医療系に勤めていたから使い方は知ってる。あと私も学校で義務教育に加えて専攻とって勉強してきたから補佐役だけど許可は貰っている」
リアはローブの下からカードのようなものを出して私に見せた。それは国から送られる許可証だ。ちなみに一番下の階級…補佐役で有れば義務教育を終えた九歳から資格の取得が出来るそれ。
「分かった。リア」
私はリアの正面に向き直る。両手で掴んだカバンをリアの膝の上に乗せた。
「使い方は、分かるな?」
リアはそのカバンを両腕で抱えてしっかりと一回頷いた。
「任せて……リトル…私が必ず、ソルフィアを救ってみせる!」
覚悟を込めて放った一言は私と同じ歳とは思えないほどしっかりとしていた。それを聞いたソルフィアの目からは一筋の涙が零れ落ちた。
「さて、これでソルフィアの問題はおしまい。次は立ち回りを考えようか」
再び私達は円を描くように座り、スケールが地面に小石で文字を刻んでいく。
「俺は接近戦しかできないから、間合いを詰めてもらわなければいけない」
スケールは槍使い。槍は柄が長いが、攻撃を遠くに飛ばすことは不可能で……ギリギリまで間合いを詰めてそして隙を見て視界の外から急所を狙って刺さなければいけない。
「リトル、ルティア。君達は魔法を使った遠隔攻撃が出来る。つまりは間合いが広くても近くても攻撃が可能だ」
ん……?待てよ……?
私は一つ疑問符が頭に浮いた。あの模擬戦の記憶が鮮明に蘇る。スケールは槍使いでありながら、遠隔攻撃も一つしていた気がする。
「スケールって、『ステルクブリザード』とかっていう技、使ってなかったっけ?」
「あー……あれはね……範囲が広すぎるから君達も傷付けてしまう恐れがあって……一対一ですごく間合いが空いている時以外では安易には使えないんだよ」
氷属性攻撃魔法の遠隔魔法とされる『ステルクブリザード』。中級でありながら、攻撃範囲が広すぎるがためにあまり使えないとリアが補足した。
「……そうなんだ」
「だから……君達が二人で遠隔攻撃をして欲しい。俺がその間に後ろに回り込んで研究員に止めを刺す」
「でも複数いた場合は…?」
ルティアがしっかり手を挙げていう。スケールの手が止まった。
これでは複数いた場合、後ろに回り込んだことが別の研究員にバレてスケールは止めを刺す前に不利になる。
「その時は仕方ない。最悪一対一…もしくはそれ以上で戦う」
私は光属性の特性がある。だから一対一は相当不利だ。だが、雷属性攻撃を仕掛ければ可能性は広がる。
使えるのが最弱の『ミニマムサンダー』だけであっても、雷属性攻撃はソルフィア以外の研究員には誰にも見せていない。
「ルティアは出来るだけリトルをカバーしてあげて欲しい。攻撃が一発でも当たれば危険だからな」
「分かった」
属性を派生系に変えたとしても元は光属性な訳だから、結局不利なのには変わりない。
「基本的にはルティアとリトルで攻撃をして、俺が止めを刺す――これでいこう」
流れを刻んで、小石を置いた。
「状況が変わったら臨機応変に対応する事だ」
ルティアも、私もスケールの言葉に頷いた。
「了解」
ソルフィアは複雑そうな顔で私達を見ていた。悲しいのか、辛いのか、恐怖心からなのか……時折左胸を右手で掴む仕草を見せ、目を伏せている事が多いように感じた。
スケールが一瞬唇を噛んで、置いてあった槍の柄を左手で強く握った。重く口を開く。
「ソルフィア。万が一、三秒耐えられなかったらその場で……」
槍を左手で強く握ったまま、伏せていた顔を上げて青く透き通った瞳でソルフィアを真っ直ぐ見つめる。
「いいな」
何をするのかは言わない。誰もが察していた。私にも分かった。
答えはスケールが自身の槍で止めを刺すこと。
苦しみながら死ぬというのを避けるための策。
ルティアは短剣で出来るかもしれないが、少なくとも私はできない。それにルティアは私より年上と言いながら二歳差。十二歳。まだ幼さもある少女にその役を任せるのは残酷だ、と判断したのだろう。
ソルフィアは一瞬躊躇い、涙ぐんだ目で。それでも一回深く頷いた。
「頼む」
スケールの目も薄い膜が張っていて、心の声は悔しさと悲しさが入り混って強く震えている。
しかし、そう言うソルフィアはやはり感情の収拾がついていないのか終始複雑な表情で。笑顔は泣き笑いのようだった。
――私達の過ごした日々の詩 Day 2――
しとしと、しとしと音がする。洞窟の中にも響く音
なんだろう、と外を見る。
降っていたのは雨。恵の雨。
リアは子供は大はしゃぎ。
頭を濡らし、体を濡らし、冷たくって身震いして、手を伸ばして感触を楽しむ。
なんでこんなにはしゃぐかって?
この世界では雨は珍しいから。
寒いここで降るのは……
雪か太陽の光。
だが、その雨は毒だった。
リアは膝をついて苦しそうに私を見た。
目で訴えた。助けてと。
咄嗟に発動したその力は、リアの状態を元に戻す。
ありがとう、と笑顔が蘇る。
どういたしましてと口では言う。でも心の中は暗闇に満たされる。
助けられなかった多くの子達は、助けられたはずの短い生命は。
見えないところで
きっともういない。
✳︎
その夜、私は夢を見た。
それは思い出したくもない夢。だが、私の心と頭の中の強く染み付いた記憶がそれを再び映像化して蘇らせてくる。
ドンッと地面が突き上がる感覚がした。
焦げ臭い匂いと熱気を纏った空気、幾つもの火の粉が頭の上から降ってくる。
「リトル……!早くこっちへ!!」
母の声。
小さい私は、純粋な私は、背中を押されるようにその場から走り出す。しかし、後ろから誰かに腕を掴まれる感覚がした。上を見上げる。とんでもない体格差。私の頭の位置はその人の太ももの付け根辺りであった。
「…………三人目。こいつで間違いないな」
私の腕を引く人は隣に立っていた別の人に小声で何かを言っている。
「…………いくぞ。ついてこい」
「離して…!!離してよ!」
私の体は腕を引く強い力で簡単に持ち上がる。そのまま声を上げる以外に抵抗すらできず、私は燃え上がる建物を振り返ることもなく連れて行かれた。
「ここはどこ……?」
見たことのない大きな白い建物が目に映る。鉄でできた高い門が金属が擦り合う嫌な音を響かせながらゆっくりゆっくり開いていく。
「さて、君は今日からここの施設入りだ」
入り口の自動ドアが開き、相変わらず腕を引かれたままドアを通過。今度は鉄臭い臭いが辺りいっぱいに広がった。
狭い廊下。頭上の電球からの淡く不気味に輝く薄黄色い光が降り注がれる。
私は辺りを興味深く眺める。見たことのないガラス張りの部屋がたくさん見える。金属製の機械のようなものも小さな私の目にはとても大きく感じられた。
すると突然、私の腕を引いた男が振り返った。
「君は、俺達の研究のための実験体として生きるのだ」
強烈な殺気。意味も分からず、私は腕を振り解こうと必死にもがく。逃げなきゃと本能でそう思う。
それも叶わず。
次の瞬間にはスッと痛感が腕の皮膚を撫でた。そこだけが強く熱を持ち始める。奥深くまで刻まれた切り傷。トクトクと脈打つ小さなリズムに合わせて赤い色素を纏った体液がそこから広がってゆく。手が汚れるのもお構いなしに腕を強く押さえて私はその人を呆然と見つめた。
「…………うっ、う、う」
痛い。
なんで。
小さい私には何も分からない。
絆創膏もガーゼも消毒液すらくれない。
なんで何もしてくれない?
目の奥が熱くなっていく。喉の奥に自然と力が入る。
「うわあああん!!いやだ…!いやだ!かえりたい……!!」
お腹の底から大声を上げて小さな私は泣く。
歩いてきた床が、座っている場所が汚れて染まってゆく。
荒波のように強まる痛みとパニックで荒れた心を落ち着かせる声は微塵もない。それどころか、冷たく輝く紅梅色の双眸が高い場所から私を蔑むように向けられる。
「なぜ泣く?なぜ騒ぐ?この程度で」
冷たく吐き捨てられた言葉。まだ当時六歳の私には何も理解ができない。
――ついに目の前が真っ赤に染まった。
息が苦しい。
「パパ!ママ!助けて……!たす、けて……」
そう。この人こそが、私が最初に目にしたーー
「けんきゅういん」
✳︎
「リトル……?大丈夫?」
幼い少女の声にハッとなって目を開けた。リアが覗き込むように私の顔を見つめている。
顔に何か付いているのか、と右手で顔を触ってみる。
何故か私の目の周りがぐっしょりと濡れていた。
「あれ……?私、泣いてる?」
「リトル……すっごい泣いてた。怖い夢でも見たの?」
「うん……少し」
まだ夢の余韻が残っている。目を閉じれば再び蘇ってくる。
いやこれは夢ではない。現実に私の身に起きた事だ。はっきりとその痛みすらも覚えている。
朝から目覚めが悪い。もしかしたら捕まるかもしれないという恐怖からなのか体も硬く感じる。
顔を上げる。
私の丁度正面の洞窟の壁に背中をもたれさせているソルフィアと目があった。
「おはよう、リトル……」
そう言いながら、ソルフィアの右手は強く左胸を押さえ込んでいる。
「ソルフィア?」
「すまないな……起きたばかりなのに。君の力のおかげで大して辛くはない。だが、いつも以上に相当強い」
私はソルフィアに近寄り、腕に手を乗せて予防的に治癒力を発動した。辺りは暗く、丸一日経っても周りには私達以外誰もいないので大丈夫だろうという判断からそうした。
「どう?」
「ありがとう。もう大丈夫……だが……」
一回間を置いて、ソルフィアはこちらを向いた。紫色の美しい瞳。それからきっぱりと言った。「今日、研究員らがくる。俺には……分かる」と。
数時間後。
「出てこい!!いるんだろ!!」
出口の方からよく響く太い大声が聞こえた。
「隠れたって無駄だ!!」
スケール、ルティアとともに出口に近づく。荒げた声がどんどん大きくなっていく。
さっき治癒力をかけたばかりなのに、ソルフィアは苦しそうに肩で息をしながらそれでも冷静に出口の方に歩み寄る。
私の視界に白衣を着た大柄な男の顔が映った。
その数、三人。予想より多い。
それでも。
「準備はいいか?」
「「「「はい!」」」」
スケールの掛け声と共に。私は地面を蹴って洞窟の外に飛び出した。
眩しい太陽の光はすでに西に傾き始めている。
……私達は作戦通りにやるだけだ。




