第二、五話 The wider world
追加ストーリーになります。
冒険者へと繋がる話の間に挟ませていただきました。
暖かな木漏れ日の下。吹き抜ける草の香り。
寝転ぶと、芝生のチクチクした草の感触が背中を包み込む。芝生を優しく踏む足音が聞こえてきた。
「おかえりなさい!スケール!」
私は体を起こし、軽く背中に付いた草を払い、やってきた影に元気よく声を掛けた。
私に向けられた、仲間の微笑になんだかすごく安心感を覚えた。
さっきまであれだけ不安だったのに、今は同じ状態に立たされた仲間の側にいると安心する。
しかし……スケールの持つ槍の先は赤く、確かにそこには必死に抵抗した痕がはっきりと残っている。
「あの研究員は……どうなった?」
これだけハッキリと血痕が残っている。まさか……
「殺しはしていないよ。ただ少し、お返ししてやった。そしたらあっけなく逃げていった」
「そっか……」
良かった、とは言えないけれど、安心した。私が庇ったことで、仲間が別の誰かを殺すようなことはして欲しくないと思っていたから。だから私は、『殺さないで……』と言った。心の声で。届くように。
「それで……リトル……もう平気か?」
斬られた胸の消えない血痕。触っても痛くは無い。普通に話ができるぐらいだから大したことは無い。
「大丈夫だよ、治癒力かけてくれてありがとう」
そう言ったけれど……よく見るとうっすらと傷痕が残ってしまっている。でもこれは、どれだけ頑張っても私自身の治癒力では治すことはできない。
これだけ深く斬られている。
ああ、きっとこれは一生残る傷痕だ。
「本当に、いいのか?」
「うん」
もう、平気。
仲間を守った傷だから。
「なぁ、リトル。どうして研究所が安全だって思ったのか?」
「……怖かったの。逃げたら、殺されるって知っていたから」
今更ながら、馬鹿げた回答だったな、と思う。屋根があるだけで安全と思い込んでいただけなのだが。実際はそんなことは無かったのに。研究所に入ったばかりの頃の記憶が、その時だけぽっかりと失われていた。
「スケールは……怖く無かったの?逃げ出すって決めた時」
「少し、怖かったかな。でも、そんなことより」
スケールの細められた瞳。考える横顔。
しばらくして顔を上げて言った。
「この世界を知りたいという思いの方が強かった。たとえ後ろから服を掴まれようが、俺はこの世界をこの目で見るんだという強い意志があった。逆に少しだけ世界に触れられれば、殺されることの恐怖も自然に無くなっていくものだと……思っていた」
槍に付いた血を拭く手を止め、スケールは唇を噛む。
「でも、家族がもういないことを知って、絶望した。夜になってもそこから腰を上げることすらできず……凍える寒さの中、瓦礫の山と化したその場所で蹲っていた」
夜は寒い。息が真っ白になる程。
その中で一人、かつて家があったはずの場所で蹲っていたなんて。
「俺を助けてくれたのは、冒険を終えて帰ってきた、一人の冒険者だった」
スケールは私に語りかけるように言った。
研究所から逃げた初日の事を。
そこにあったのは瓦礫の山で、木の燃えかすで一杯だったこと。
大好きだったものも、大切にしていたものも何一つ無かったこと。
寒い夜の満天の星空は切なく映るばかりであったこと……など。
「冒険者は言った。『あなたも冒険者登録をしなさい』と。でも、俺はすぐにはついていかなかった」
「……………信用、出来なかったから?」
「…………そうだね。俺は研究員が来たって思って、体を震わせていた」
私は……私も……その状態になったら。きっとスケールみたいに信用できなかっただろう。例え助けようとしてくれる優しい心を持った人であっても。
「だからさ、リトルは凄いと思うよ」
突然そう言われて一瞬動揺した。
「俺を見ても、怖がっていなかった。心の中も暖かかった。それにちゃんと目を合わせて話が出来た。そしてリトルはあの時確実に心の中が大きく動いた。今までねじ伏せられて押さえつけられていた感情が、自分ではない誰かのために動いたのだから」
当たり前のことなのに、私の中ではどこか嬉しいという気持ちがあった。
「だって……」
私は顔を上げる。
「仲間だから……私と、同じ。仲間だから」
仲間の顔を見て、私は言う。はっきりと。
スケールは軽く笑みを溢した。
「それから、どうなったの?」
まさか、今日この時までずっとそこにいたと言うわけでは無いはずだ。それに今のスケールは立派な金の鎧に身を包み、手には鋭い銀の槍。
「ついてこようとしない俺に、でもその人は優しく言った。『気持ちが落ち着いて、付いてくる気になったら明日の朝ギルドの前へおいで』ってね。今でもはっきり覚えている。あの言葉の深さも重みも」
スケールは、そう答えた。
いっぱい悩んだんだろうな、と思う。心から信頼するのが難しい状況で、その人についていくべきか、と……。
「結局その日はそのままそこで夜を越してしまった。体は凍るように冷たく、手も感覚を失いかけた時、俺は決めた。『付いていく』って」
「………………」
「ここで立ち止まっていても、過去に戻れるわけでは無いし、せっかくの救いの手があるのにそれを振り切ったらきっと後悔するんじゃ無いかって……思った。もちろん、警戒心は強く、ずっと薄まることもなかったけれど……」
凄いなと思う。
家族を失い、大切だったものを失い、黒ずんだ心の中で、夜が明けるまでの数時間でその決断が出来ることが。
確かに、ただ孤児になった訳ではない。唯一の帰る場所であった研究所から逃げ出した結果、もう、そこに帰ることは出来ず……一人片隅で蹲って、夜を越さないといけないという状況にすらなったのだから。
「冒険者登録をして、俺は冒険者としてその人のパーティに付いていった」
スケールは何かを思う出したように「そうだ……」と言い、立ち上がって私を見る。
「連れて行きたいところがあるんだ。付いてきてくれる?」
「うん」
私がこの先の街に行くのは、本当に約三年ぶりである。
行き交う馬車。
賑わう商店街。
沢山の人々の多くの笑顔。
その雰囲気に全く持って合わない、私の今のボロボロの格好。ところどころ赤く染まり、土で茶色く薄汚れた白シャツを身に纏った私は誰かに見られている気がしてならない。
少しだけ、身を小さくするように歩く。
……決して珍しくはない。
この辺りは国の中心からは少し離れていて、どちらかというと隣国への国境にも近い。だから、身分の低い子供も居て、数は少ないが、孤児も少なからず居る。
「スケールは冒険者になって、いろんなところに行ったの?」
先導する背中に尋ねる。
「うん。あっちの山とか、森とか、洞窟とか。近場が多かったからそんなに遠くへは行ってないけどね」
色々なところを指差しながら楽しそうに話す。
「特に今から行くところは俺が冒険者になって初めて行った場所だよ――もうすぐ着く」
少しずつ郊外へと景色が変わってきた。先程の商店街の賑やかさとは違った静かな空気が広がる。ここまででもう既に研究所からはだいぶ離れた。安心はできないけれど………。
私の目線の先……長い階段が映った。
「あれを昇るんだけど……」
スケールは苦笑しながら小さく口にする。
え……あれを昇るの?
あの階段。何段あるか数えたくもないぐらい……遥か高くまで伸びている。
治癒力に自信はあるけれど、精神力も少し(どころか感情が薄くなるぐらい)成長したけれど、体力はそうでもない。ああでも、これからスケールと一緒に行動するのならそんなことも言ってられないよね。
「いいよ、昇ろうか」
私は石の階段の一段に片足を乗せた。
一段一段ゆっくり昇っていく。スケールは軽い足取りでどんどん上へと足を進めていく。
「ゆっくりでいいよ」
時折振り返りながらもスケールはスタスタ昇っていく。
「うん」
まだまだいける。遠くから見ると長そうに見える階段も案外そうでもない……かも。
足が重くなってきた。ちょっぴり息も上がっている。
差す太陽の光にまだ慣れない。やはり暗い部屋で監禁され続けた私にとって、外の空気は慣れないところが多い。
最後の一段を昇った。
激しく上下する胸を宥め、膝に手を当てて呼吸を整える。
その時間は一瞬にして弾け飛んだ。
「リトル、ほら」
スケールの声に顔を上げる。
澄み渡った、群青色の空が遥か遠くまで広がっていた。
先程まで首が痛くなるぐらい上を見上げても屋上まで見えなかった建物が、今では全てがミニチュアに見える。
地面をぎっしりと埋め尽くす家々の屋根が太陽の光を反射して輝いている。
風が運ぶ、雲の穏やかな流れが時間の流れをも感じさせる。
「綺麗……」
自然と声が漏れ出た。
とにかく美しく、広かった。
六歳になる前の記憶はあまり無い。
狭い研究所の狭い空間に長時間閉じ込められていた私に過去の楽しかった記憶はない。だからこそ、それらは全て新鮮に見えた。
「これを見れば、元気が出るって俺を助けてくれた冒険者も同じこと言ってたな」
さっきからどこか切なそうな表情をするスケール。
「その冒険者はどこに置いてきたの?」
何の遠慮もなく舌を滑らせるように口にした言葉に、私は一瞬詰まるものを感じた。
スケールも私をチラリと見たが、首を小さく横に振って、答えた。
「俺は役立たずだった。迷惑をかけることも多くて、やがて俺の持つ治癒力がバレそうになる瞬間がやってきてしまった。俺は悩んだ結果、そのパーティから脱退することにしたんだ」
役立たずなだけならば、技を磨けば良い。
でも……治癒力に関することがバレることがあってはならない。
「俺はまた警戒心が強くなっていった。冒険者は辞めなかったけれど、ずっと一人でこなしてきた」
「そんな……」
「だからさ、リトル。俺と一緒に付いてきて欲しいんだ。同じ状態に置かれた君となら、一緒にできる気がする。服はレンタルできるし、色々特典が付いている。寝床もある程度は保証つきだから、便利というのもあるんだけどね」
ここまで話を聞いて別れる直前に彼が言った、「一緒に付いてきてくれないかな」の言葉の重みを理解した。
こうなるともう野宿がどうこうではない。それに私もスケールと同じで、きっと帰る場所もない。研究所から少しだけ貰っていたお金もすぐ底をついてしまうだろうから、何もしないで足を止めるわけにはいかない。服もレンタルできるみたいだからそこはいいとして……治癒力に関することは魔法だと言ってとりあえずは乗り切ればいいだろう。
「……いいよ」
少し時間がかかってしまったけれど、私ははっきりそう言った。
「ありがとう、リトル。じゃ、これからもよろしくね」
仲間と交わすハイタッチもどこか暖かかい感触がした。




