第二十一話 見せたいもの
「いろいろとすまなかったな……」
翌朝、眠い目を擦りながら体を起こした私に突然ソルフィアはそう言った。
結局昨日は五時間程しか寝れていない。ルティアもスケールもリアもまだ寝息を立てて眠っている。
とは言っても研究所にいた時は寝れてすらいなかったから寝れているだけまだマシだ。
「スケールの言っていることは正しいです。でもあなたに言っているのではありません。あなたの本心がそうでないと分かっていますから」
ソルフィアは支配に怯えようが、殺されそうになりようが、今も私達の側にいる。
元々は宿敵。裏切る可能性も考えている。なのに、一番信頼できると思った。
「それで、今日も依頼を出している人のために冒険者をするのだな」
「その予定ですが……治癒力を使わずにできる依頼が、やはり減ってきているように感じます」
昨日見た依頼の掲示板。多くはモンスターや獣の討伐。だが、少なかったはずの人助け系の依頼が増えていた。病院からだったり、保護施設だったり。
私達は当然ながらそういった施設に赴く訳にはいかない。
「それより、今日も街の様子は特に変わった感じはしませんが……」
今日も街はいつも通り。窓の外から見下ろす限り混乱が起きているようにも、ウイルスの脅威が迫っているようにも感じない。
子供が元気そうにはしゃいでいて、カップルらしき男女が笑顔で歩いている様子もある。
「そう見えるだけだ。あとはまだここの住民がウイルスの存在を知らないだけだ」
「知らない……?」
身近なところだとリアもかかった……というぐらいのことが起きているのに、その脅威が迫っていることに住民は気づいてすらいないということか。
「まだ報道されていない。俺達はそのウイルスを最前線で研究している身だから知っているが、まだ知らされていないのだよ。だから風邪としか思われていない。まあ、いずれ、報道されると思うがな」
遠くを見据えるように目をすぼめてソルフィアは言う。
「ソルフィアはかからないの?」
「油断していたらかかる。君達はかからない」
当たり前の質問をして、当たり前の答えが返って来る。
……そうだよね。
ソルフィアは人間だ。だから油断はできない。
「おはよう、リトル……眠そうだな」
数分後。ようやくスケールがもぞもぞと動き出し、体にかかった毛布を剥いだ。
青い瞳がまだ眠いと言っている。目やにだらけで髪はボサボサ。
「そっちこそ」
私は小さく笑って返す。
ルティアもほぼ同時に起きてきた。
「リトル……今日は早起きだね」
「五時間ぐらいしか寝てないけど、これでも研究所にいた時よりは寝てるからね」
リアはまだ寝ている。
時折『どこ行きたい?』『あそこ行きたい』などと寝言を言いながら。すごく平和な夢を見ているらしい。
ツンツンと頬を突いてみると重い瞼がピクピク動いた。
「だれえ……?リトル……?あれえ…?」
寝ぼけているのか、私の顔を見て「だれえ?」と言っているのがなんとも言えない。
「おはよう、リア」
✳︎
時計を見るともう8時を過ぎていた。
なんだかんだゆっくり身支度をしていたので眠さも消えた。
今から朝食。いつもより遅い朝食。そしてこないだリアが買ってきてくれたのと同じサンドウィッチ。頬張るとさらに元気が出てきた。
「それにしても、いつもと何も変わらないな」
辺りを見渡しながらスケールは言う。
いつも通り。何個ものパーティが集まって掲示板を眺め、依頼を受けにギルドを後にするこの光景。
「今日も何か受けられそうなもの、あるといいけど……」
「ちょっと見てくるよ」
サンドウィッチを食べ終わり、私は席を立つ。
多くの冒険者の間をすり抜け、掲示板を眺める。
その瞬間……恐怖が背中を駆け抜けた。
『助けを求めるもののために協力をお願いします』という文字列がたくさん並んでいた。
何枚も何枚も同じ文言が書かれた依頼書が貼られていた。依頼主は全員違う。だが、共通するものは……
「リトル、大丈夫か?」
突然後ろから声がして、聞き慣れているはずなのに、私は反射的に――飛び上がるように後ろを振り返った。
「顔色が悪いぞ」
「ああ……いや……その……これ……」
震える指で掲示板を指す。
「なんだ……これは……」
スケールの目も恐怖からか小刻みに震えている。
「これは……俺たちがこなせる依頼じゃあ無いな」
いくぞ、と目配せをし、無言で私の脇を通って席に戻っていく。
「これから……どうすれば……」
私は席につき、大きく嘆息した。
冒険者という希望の道も断たれそうである。
ろくに教育を受けていない私達にとっては大打撃。
生きてる意味、あるのかな。今なら助けを求める人達のために、命を捨てられるかもしれない。
「リトル、どんな依頼内容があったの?」
これだけ深刻な顔をしているのに、リアはまるで気づいていない。
「病から人々を救う依頼……それだけ……」
「やっぱり、じわじわきているのね……」
ようやく私達の気持ちを理解したのか、リアも表情を曇らせた。
「じゃあ、どうするの……?」
リアに聞かれて、私は膝の上で冷や汗に濡れた拳を握る。
『…………もう、いっそ、研究所に戻ってもいいんじゃないかって思うよ』
心の中で小声で言った言葉はスケールとルティアには届いていた。
強く机を叩きスケールが立ち上がる。
「それはダメだ!」
急に発せられた言葉に、リアもソルフィアも体を震わせた。二人には心の声は届かないから。
「生きたいんじゃないのか?」
「………………生きたいよ……でも……どっちを選んだって、同じだよ……」
喉奥が熱い。涙が溜まっていき、視界がぼやける。 そのやりとりを見ていた何人かの他の冒険者と目が合った。すぐにその視線から逃れるように机の木目を眺める。
「アレン、ミリス、ルミル……君たちに見せたいものがあるんだ」
しばらくの沈黙ののち、今度はソルフィアが手招きをしてきた。
「見せたいもの……?」
「あまり良いものではないがな……ついてこい」
私達は早足でギルドを後にした。
✳︎
外の景色は何も変わった様子はない。
太陽の暖かな光がどこまでも広がっている。優しい風が街を撫でる。
ただ……少し変わったと思うのは……
街の中心部だというのに少し人出が少ないところ。
ただ、それだけだ。
ソルフィアに付いて歩く。向かっている先は研究所のある方向。私達が必死に逃げてきた方向である。
「ソルフィア、そっちの方向は……」
「ああ、大丈夫だ。行くのは研究所の奥にある施設だ」
「研究所に近づくわけには!」
研究所から遠ざかるために今までここで生活してきた。近づいたら殺される。そう思っているから。
「研究所の前を素通りするわけではない。裏道を通っていく。あとは万が一のことがあっても俺の転移魔法でなんとかなる。使えるのは一日二回までだが」
転移魔法があるのか。それなら心強いな。一日二回だけというのが弱点か。
「ここの道を通る」
細い路地。なんか来たことがある気がする。
「…………!これって……」
所々、地面に赤い痕。血痕。正確には時間が経って赤黒くなった痕だ。
やっぱりここはあの時襲撃された場所だ。
「何か知っているのか……?」
私は硬直したまま動けない。消えずに残り続けた血痕を眺めたまま、指一本動かせない。
「やっぱり、引き返そうよ…………この場所で、私達は襲われたんだ……」
「っ!研究員が来る」
その時……急にソルフィアは私の腕を引いて家の裏に押し込んだ。リアもルティアもスケールも等しく。
ソルフィアは息を殺して隙間から様子を伺う。
直後。筋肉質な体躯、白衣のような羽織りを着た男三人が辺りを見回しながら歩いてきた。
受信機のようなものを手にしている。ピーピーという無機質な機械音が響く。
「この辺り……受信機の反応が強いが……いないよな」
入念に辺りを見回す研究員。私はさらに体を奥へと引く。
……しばらく経ったのち……諦めたのか研究員はその場を去った。
「…………危なかった……」
私はゆっくりそこから出る。服についた土を払う。狭すぎて息苦しかった。大きく息を吸うと安心した。
「やっぱり、これのせいか……!」
突如、スケールが懐から短刀を取り出した。
その勢いのまま首についたリボンの中心部を突き刺した。ルティアも同じく。
「なんで……それはもう機能していないはずじゃ……」
少なくとも自分のはもう機能していない。
「ここで襲われて捕えられた時に新しいのを付けられたんだよ。感情の影響で傷がつこうがボロボロになろうが、核が健全なら機能してしまう」
外側を短刀で強く突き刺していく。三、四回繰り返すと、核はガラスの割れるような音を響かせながら割れた。
ソルフィアは何も言わない。止めようともしない。
ただ悲しみを含んだ赤紫色の冷たい双眸で私達の行動を見る。
「…………あまり使いたくないが、ここから目的地までは転移を使おう」
魔力を極限まで細め、指先から漆黒の光を生み出す。定規すら使わず、美しい円を描く。円の中心に向かって直線を引く。慣れた手つきで魔法陣を描く。全て描き終わったのか指を離すと、それは漆黒の光を放った。
「すごい……定規も使っていないのに……」
感嘆するリアの隣で、ソルフィアは焦ったようにその腕を引く。
「まだ研究員が近くにいる。急いでこの上に乗って」
「「「「はい」」」」
魔法陣を踏む。不思議と体が浮いているような感覚がする。力が抜ける感覚と共に目の前が暗くなった。
✳︎
………………
目が覚めると辺りは一面の白いコスモス畑が広がっていた。
私はその場に座り込んでいて、頭がふらつく感覚がした。
「…………見せたいもの……それは……」
先に目覚めたであろうソルフィアが数メートル足を進める。私もゆっくり立ち上がり、隣につく。ルティアもスケールもリアもみんな一緒だ。全員無事転移を使ってここまで逃げられたのだ。
「…………ここだ」
「…………!!!」
白いコスモス畑の中。埋もれるように三つの石がキツキツに並んでいる。名前は刻まれていないが、大きさ、形、そしてこのなんとも言えない静寂に包まれた空気。
つまり、この石は……墓石だ。
私とルティアとリアは目を見開いた。
スケールは目を伏せた。
ソルフィアは感情一つ感じさせない様子でそれを眺める。
喉の奥が熱くて痛い。目尻の奥が涙で満たされていく。
家に帰れるのよ。
そう言われて出てきたけれど、私は家があった場所に行こうとはしてこなかった。
同じ境遇に立たされた仲間のスケールですら親は殺されて、もうそこにはいなかったと言っていた。
そして私には記憶の端にぼんやりと、映る何かがある。
知りたくなかった。ほんとうは。
でもソルフィアが今日ここに連れてきたのは、これを見せて私に現実を分からせるためではないのだということは、表情と仕草でわかる。
「これは一体誰が……」
なんで殺したのかという質問よりも先に、この場所を誰が作ったのかという質問が浮かんできた。
…………なんで殺したのかはもう、知っているから。
「殺したのは俺達ではない。だが、この場所を作ったのは、俺達だ」
「…………そう」
別にこんなもの作らなくっても……
心の奥でそう思う自分がいた。
彼らにとっては少しでも私達の悲しみを和らげようという善意の気持ちだろうが、心底どうでも良かった。
「それともうひとつ、渡さなければならないものがある」
彼は私の手に何かを載せてきた。
「これは……」
古びた冊子。本とは言い難いぐらい薄く、泥に汚れて汚くなったそれ。だいぶ古いものらしく、長時間ここにあったのかは分からないが、紙は紫外線のせいか茶色く変色している。
ゆっくり開けてみる。
零れ落ちた涙が、その紙の上に落ちた。
殴り書きのような字で、だけれど優しい言葉が刻まれていた。
『能力が封印されて、心に深い傷を負っている時、この続きをあなたへ』
紙に手を触れるとあの時の優しく暖かい両親の声が蘇ってくる、そんな気がした。
暖かい言葉が書かれていることを信じて一ページ捲ってみる。
『……最大の人助けをして、その時体が滅びようとも、後悔しないぐらい精一杯生きたい。そう思っていたはず』
さらにもう一ページ。
『世界が荒廃しても、一人、自分が滅びることを恐れて、逃げ続けるほどに。でも、いずれやって来る。だが、一つ言っておく。研究所には行くな。あそこは……』
そこから先。大事な部分のところどころが。
「黒塗り」だった。読めるところを読もうとしても、まるっきり何が書いてあるのか分からない。
今さっき塗ったばかりというぐらい、新鮮で光沢にある黒が目に焼き付く。
次のページを捲ろうと指を掛ける。
だが、何かで引っ付いていてうまく捲れない。
でも、もしかしたら、黒塗りにされた部分の中身が書かれているかもしれない。破かないようにゆっくり捲る。
「……!」
変色した血文字が踊っていた。
『世界を救えるのは……あなたたちしかいない』
恐ろしくなってそれを閉じた。
勢いよく閉じると当時の家の香りがホコリと混ざって舞った。
結局、何が言いたいのか何も分からない。ガラクタに過ぎない紙切れだ。
…………何がやって来るのか。
研究所に行ってはいけない理由は分かる。
「これは、君の両親がリトルに渡して欲しいと言っていたものだが……誰がこんなに黒塗りに……?」
私の隣で顔を覗かせていたソルフィアが私にはっきり聞こえる独り言を浴びせる。
「…………一応持っておきます」
正直今はガラクタだが、これが何かの役に立つかもしれない。




