第二十話 支配と本心
「はい、依頼達成を確認しました。ありがとうございます」
ギルドに戻って報酬を受け取る。布袋には黄金に輝く金貨が沢山入っていた。一八〇〇ビズ。Bランクにしては少ないが、今回はそこまで大変ではなかったし、実に平和に作業を終えられた。
「さて、これからどうする?」
ソルフが聞く。
太陽が傾いてきて、西陽が強く照らし出している。一日が終わる合図だ。これから再び外に出るのは寒くなるため危険だろう。
「そうだね、今日はもう貸宿に戻ろうか」
私はそう答えて、ギルドを出て少し行った先にある貸宿に向かった。
貸宿のふかふかの布団に体を預ける。
SNVの脅威が本当なのかと疑いたくなるほどに幸せを感じる。
ベットも、ソファを入れたらちゃんと四つあって、ソルフを入れてもまだ部屋のスペースはあった。
「素敵な部屋だね」
外を眺めながらソルフは言う。
あちらこちらで生活の音がする。光が照らされる。
「冒険者なら貸し出せる部屋なんですよ」
スケールも私の隣のベットで転がりながら言う。
ソルフの目には大粒の光が反射して映っている。
「泣いてるの……?」
私が聞くと、うん、とソルフは一回頷いた。
「こうして自由な身になって外に出てたのはもう何年も前の話だからね。俺も君達と同じように研究所に縛られていたんだよ」
私はひとつ疑問に思うことがあった。
「そういえば、どうして支配状態にされたの……」
私は聞いた。
興味深かった。
どうして、研究員になったのか。
コイツは優しい。優しい心の持ち主だ。誰かのために動ける奴だ。きっと。
ソルフは少し考えるような仕草をして、それから、静かに答えた。
「毒がもられた水を飲んだ」
「え?」
あまりに単純で、なのに私は驚きを隠せなかった。
「パーティの会場でね、飲んだ水に支配状態にさせる原因が含まれていた。俺たちは元々普通の研究員として普通に仕事をしていたんだが、今の所長になってからは何もかもが変わってしまった」
「どうしてその水を飲んだの……」
「気付けなかったんだよ。予知能力とかはないし、匂いも色もない。それに誰もが喜びを分かち合っていて、誰も気づいていない様子だった」
ソルフはカーテンを閉めて、私のいるベッドに座ってきた。私も起き上がり、一緒に話をする。
「それを飲んでしばらくした時、体に異変が起こって、眠るように倒れ込んで、起きた時には感情の六割を失っていて……脳内に研究所の所長の声が響くようにもなって、言われた通りにしないと内側から体を……破壊されることになった」
ソルフはそこで一度言葉を切った。怯えるように両目を強く閉じて、自身の右手で、自分の左胸……心臓のあたりを鷲掴みにした。やがて体が小刻みに震え出した。
それでも、ソルフは続ける。
「その日から、だれも研究所の長に逆らえなくなった。異変が起きたのは、俺だけではない。全員同じ状況に立たされた。中には暴走して、モンスターや獣のように研究員同士で争って、お互いがお互いに傷つけあうようなところもたくさん見てきた」
ソルフの目もあれだけ笑顔だった顔も、今は暗闇に沈んだ色に変化している。意味もなく耳を塞ぎ、その場に座り込む。ブルブルと震え出す体。慣れてすら一切ないその行動に私はどんな顔をしていいか分からなくなった。
「そして、今も俺のことを遠隔で監視しているはず」
ソルフの声がどんどん震えていく。
「本当は今すぐ君たちを研究所に連れ戻さないといけない。だけど……」
ソルフィアは右の拳を握りしめ、喉の奥から搾り出すように、答えた。
「俺は、そんなこと、できない」
彼の、本音がポロポロとこぼれ落ちていく。左胸を握りしめた手にはさらに力が入っているように見えた。
「俺は、君達を傷つけたくなんかない!そのために研究員になったわけでも、生きてきたわけでもない!」
心がが震えた。研究員が自らそう言ったことを口にするのを、私は今日初めて聞いた。
そして、ポツリと言った。
「…………お願いがあるんだが……俺のこと、本名で呼んでくれないか……?」
「え……?」
一瞬、意味が分からなかった。
今まで呼んでいた『ソルフ』という名前が、本名ではないということなのだろうか。
「『ソルフ』というのは、研究員になった時に長によって勝手に付け替えられた名前なんだ。本当の、名前じゃない」
彼は視線を落とす。そして小さく息を吐いて、続けた。
「俺の本当の名前は――ソルフィア」
その名前を口にする声は、どこか懐かしそうだった。
「外で『ソルフ』と呼ばれたら、研究員に見つかった時に殺されるかもしれない」
彼は私を見る。不安そうな目だった。これまでに一度として見たことがない。研究員の象徴である瞳が、震えていた。
「だから、お願いだ……俺のことを――ソルフィアと呼んでくれ」
日が落ちて、暗くなり始めた部屋が静寂に満たされる。
誰も、すぐには返事ができなかった。それを口にすることが、どれほど辛いのかが、分かる。今彼が自分の左胸を押さえつけているのも、きっと自分のことを内側から破壊しようとする支配の力に耐えるためだと思うと、私の胸もほんの少し痛んだ。
でも、私は「うん」とはっきりと答えた。
ソルフィアは少しだけ目を見開く。そして安心したように、小さく笑った。
「ありがとう」
その笑顔は、研究員ではなく、一人の人間のものに見えた。
「……それで、君たちはこれからどうするんだ?」
少し時間を置いて落ち着きを取り戻した後、何事もなかったかのようにソルフーーソルフィアはそう言った。
「冒険の続きをしますよ。俺たちは冒険者ですから。依頼は途切れる事はありませんし」
スケールは淡々とそう言い、自身の年季が入ったように感じる冒険者カードを眺める。
「研究所から逃げ出したはいいものの、特にすることもありません。両親はいないし、帰る場所も今こうして冒険者登録をしていなければありませんから」
私達はせいぜい道具でしか無く、まともな教育も受けていなければ、今更小さな子供と紛れるように一から学ぶのもおかしい。
本来なら、私達はあと一年から二年教育を受ける義務があった。だが、その最後の一年は奪われた。仲が良かったはずの友達とも会えなくなった。
研究所に連れて行かれてからは外に出ることも禁じられた。当然家にも帰れないから両親にすら会えなくなった。
気づいたら家族のことも忘れていて、両親に会いたいとも思わなくなっていて、自然と孤独を歩んでいた。
「でも、これでいいんです。研究所の外に出られただけで俺は幸せです」
スケールの声は、私には無理矢理そう言っているようにしか聞こえない。冒険者カードを見つめる青い瞳は震えていた。
「研究所に連れて行かれた時から、死ぬ運命なんだって知っていたけど、少し怖かった。八年ぶりに外に出て、外の空気に触れることが出来て、精神も大人になった今は、たったこれだけでも幸せだって言えます」
まるで生きることを諦めたかのような発言に私は顔を逸らす。
私はそう思えない。
だけれど……
することがないというのは事実だ。仲が良かった友達と別れたのも三年前のこと。きっと向こうも忘れている。会ったところでお互い容姿も何もかもが変わっていることだろう。
「少なくとも俺は君達を殺すつもりはない」
ソルフィアははっきりと言った。スケールは冒険者カードを見つめたまま動きを止めた。
そして、長い沈黙のあと、小さく笑った。
――いや。笑ったように見えただけだった。
「聞きたいことがある」
静かな声だった。
「あなたが俺達を殺さないとして、どうなるんですか。何をするつもりなのですか」
スケールは顔を上げる。
青い瞳は冷え切っていた。
「他の研究員は?」
部屋の空気が張り詰める。
「ガルディーも、ミラサバも、俺達を殺そうとしていた」
冒険者カードを握る指に力が入る。
「あなただけ違っても意味がない」
「っ……」
「結局、誰かが来る。俺達は追われ続ける。だから」
スケールはゆっくり立ち上がった。
「君のことは認める。でも、だからといって研究員までもを簡単には信用はできない。今アイツらがやってきて、仲間になってくれと急に言われても、認めない」
スケールは重く長い嘆息をした。きつく巻かれた包帯にははっきりと赤い色が滲んでいる。
「あなたが俺達を殺さなくっても、別の誰かが殺しに来ます。現にあのガルディーという奴も、ミラサバという奴も……俺達を殺すつもりだったのでしょう?」
「っ……そ、それは……ちが……」
ソルフィアは違うと言いかけて、それを奥で押し込んだ。
「ああ、いや。違わないな。だが、これも支配による影響であって、決して襲うつもりはないはずだ。あの二人も普通の研究員として働いていた頃は明るく社交的な性格だった。俺は当時の彼らのことも知っている」
「…………何でもかんでも支配のせいか。抗ったら罰を受けるから?それでいいと認めているからか?」
不意にスケールは立ち上がり冷酷な青い目をソルフィアに向ける。
「その罰を受ける覚悟で本気で抗っている君の事は認めよう。だが、その他の研究員のことは許すつもりはない。彼らは暴走する。素直に支配を受け入れている。抗っている様子すらない。それはつまり、俺達の命がいらないものであると思ってるということだ……そうだよな」
冒険者カードを強く握り締め、紙に皺が付く音がする。首飾りのリボンも、今やボロボロである。
その強い眼差しに怯えるようにソルフィアは一度体を震わせた。それでもなんとか言い訳をしようと口を滑らせる。
「でも……あいつは……本当はそんなことを……したくないはずなんだ!」
懸命に訴えてきた。しかし、スケールは呆れたように軽く瞑目して、それからソルフィアの強く睨みつけた。
「そんな風には感じ取れなかった。むしろ俺達が苦しんでいる様子を見て、笑みを溢していた」
「っ……!」
ソルフィアは心の底で渦巻く苦しみが沸き立ったのか、酷く顔を引き攣らせた。でも、私もそれに関しては彼の事を擁護することはできないと思った。
お互い、無言になった。重い空気がどこまでも漂う。
「俺はお前達と一緒にいてはいけないか………」
しばらくして、ソルフィアは、そうポツリと言葉を吐き出した。
「そうだよな……俺も、たくさん君達のことを傷つけるグループの一人で、現に傷つけてきた。そんな奴が、急に仲間になろうなどと……無理な話か」
その深い悲しみに沈む彼の言葉が、私の胸を締めつけた。彼は心から私達を守ろうとしているのだと思うと、なんだか苦しい。チラリと仲間の方を見ると、スケールもルティアも複雑そうな表情を浮かべていた。
すると、スケールの方が、そっとソルフィアの白衣に手を伸ばした。
「君のことは認めると言った。だが、その代わり、約束してくれ。何がなんでも支配主……長に抗うと」
その一言を聞いたソルフィアの肩が、ピクッと震えた。だけれど、視線を彷徨わせたり、顔を背けたりはしない。真っ直ぐとスケールの方を見て、そして唾を飲み込んだ。
「俺が最初にリトルの渾身の攻撃から守ったのも、君は他の研究員と何か違う気配を感じたからであって、全ての研究員に対して許しを与えたわけではない。俺は君のことを信じて、今俺達の前で生きることを認めている」
スケールは言葉を続けてていく。
「俺たちについてくるという以上、裏切ることは許さない。それはつまり、君が君自身の手で君の同僚を殺すことだってあるかもしれない」
ソルフィアは、その言葉を聞いて、ついに黙り込んでしまった。唇を強く噛み締めたまま、答えを作れず、そのまま時間が過ぎていく。窓の奥から吹く風の音だけが響いた。
何も答えられないソルフィアを置いて、スケールは動いた。向かった先は、部屋の角。武器が立てかけてある場所だ。そして自分の槍を見つめたまま、ソルフィアの方を振り返ることもなく、言った。
「もし、それができないなら、申し訳ないが今ここで死んでもらう」
「っ…………」
その言葉を聞いて、私は、ルティアは、息を呑んだ。
それは重く響いた。私達を取り巻くものが全てのしかかって抑えつけるように。スケールは普段は優しくても、研究員に対する憎悪は私達のなかでも特に強い。
当然、私達も認めたわけではないけれど、でも、だからといって目の前の彼を殺してやろう、という思考にはなれない。
すると、ようやくソルフィアは口を開いた。
「抗ってみせよう。君達を、守ると誓う。絶対に、暴走しない」
それから、一呼吸おいて、「ただ……」と言葉を続けた。
「君たちの力を借りることがあるかもしれないという点においては、どうか許してほしい」
そう言って、ソルフィアは深く頭を下げた。長い前髪が顔を覆って表情は見えないけれど、全身が小刻みに震えているのは分かった。必死に絞り出した、答えだと、私は理解した。
「もし……もし……俺の意志が弱くて君達のうち誰か一人でも傷つけたら、もうその時は俺のことを刺すか焼くかしてもらって構わない。俺にはその覚悟がある。そうでなければ、易々とついてこようなどと言えるものではないのだと理解している」
もう、最後の方の言葉は、言葉にすらならないほどだった。
すると、スケールはそっと振り返った。手には一切の武器も握られておらず、そして、口元には薄く笑みを浮かべているように見えた。小さく見開いた群青色の瞳はほんの少し揺れていた。
「分かった。絶対に、裏切るなよ」




