第十話 私達だけの秘密
「ラミリアは……ラミリアは亡くなった……」
私が喉の奥から声を絞り出した途端、急に全員が口を閉ざし、慌しかった動きがピタっと止まった。
静けさだけが辺りいっぱいに広がり、冷たい空気に包まれた風が白い雪を巻き上げながら私達の髪や防寒着を撫でていく。
「なんで…………なんで、なんで……!!」
その静寂さを断ち切ったのは、リアの涙声だった。未だラミリアの手を掴んだまま。その場から離れようとはしない。
零れ落ちる涙が雪を濡らしていくのが分かった。
「……あの瞬間が最後の力だったの…………?」
「リア……」
私は痛む右腕を動かさないようにゆっくり立ち上がり、泣きじゃくるリアにゆっくり近づく。リアの隣に座り、もう一度ラミリアに目をやる。
全く動く気配はなく、もう脈も止まっていた。
「ごめん……」
私の口から出たのはたったそれだけ。たったの三文字。
本当に言い訳にしかならないが、私もこんな結末を迎えるなど想像もしていなかった。
一つ言えるのは、この雪山でラミリア以外の三人が生き延びていたことすら奇跡だったということ。だから、その奇跡のまま全員を救えると思い込んでいた自分がいた。
ただそれは本当に奇跡でしか無かったのだ。
「リトル…………ありがとう……」
リアの小さな、小さな震える声…
仲間が死んだというのに、飛び出したのはその五文字だ。
謝ることしか出来ない私は、本当に情け無い。
……もう、手を近づけても何をしても何も起こらない。何も、何も、起こらないのだ。
仲間は目の前で遺体となった。魂だけが天へと導かれ、そこには体だけが残っていた。
リア以外のラミリアの仲間にも目をやる。涙をひたすらこぼし続けながら声も発さず、ただうんうんと頷くだけ。
不意にリアは仲間を振り返り、聞く。「燃やして……いい?」と。
この世界では野山などで遺体が発見された場合はその場で荼毘に伏され、骨は砕いてその場に埋めるという風習があるらしい。
全員の仲間の許可を得て。リアは持っていた一輪の花を添え、詠唱を始める。
「炎の結晶よ!光の天使よ!恩恵の炎は命を包み、天への道を指し示す。魂あるものに再び癒しの地を与え給え!『アウグリオファイア』!!」
地を撫でるような炎が、暖かく明るい光を発しながらラミリアの遺体を燃やしていく。
――アウグリオファイア。それは願いの炎。大切なものを燃やす時に使う火魔術である。
一瞬にして遺体は燃え尽き、焼け焦げた骨と彼が持っていた遺品だけがその場に残った。
リアは遺品を持てるだけカバンに詰め、その他の三人……ミラサイト、プティル、ジュアは残った骨を砕いてその場に埋め出した。
私達は何もすることができず、ただその様子を遠くから見つめた。
骨を埋め終え、再び静寂に戻った。 日の光はさらに傾き始め、オレンジ色の光が私達の姿を照らしだす。誰もが言葉を失ったが、誰も私達のことを責めなかった。
「帰りましょうか……」
ミラサイトはそう言ってカバンを持って立ち上がる。全員がその場を後にした。
私達もその背中を追って、その場を後にした。
変な気持ちだった。
言葉には表せない変な感情で、心が満たされていくのが分かる。赤く染まった右手もそのまま。
ルティアもスケールも私の治癒力が弾かれてから、終始黙ったままだった。
✳︎
ギルドの貸し宿に着く頃には辺りは暗闇に包まれていた。
私は部屋に戻ってすぐさま洗面所に駆け込み、左手で水道水の蛇口を捻った。
透明な水に真っ赤に染まった右手を水道水に晒す。透明な色が赤い色素を交えて流れる。途端に痛覚が刺激され、傷口が染みて涙が出そうなほど痛みが走った。
久しぶりの感覚が神経に伝わる。
研究員に今まで散々傷つけられて来たから、刃物で切られた時の痛みは知っている。だが何があっても、『自分の意思で』という条件に当てはまりさえしなければ治せてしまうために、傷口に染みる痛みは滅多に味わうことがないのだ。
…………はぁ……
洗面所から出て、誰一人電気もつけず、私は目の前のベッドに仰向けに寝転がった。
何も考えず、呆然と暗闇に満ちた天井を見つめる。
「リトル……」
ルティアが隣で声を掛けてくれるが、私の口からはなんの言葉も出なかった。
……間に合わなかった。最強の治癒力ですらどうにもならなかった。
自分の家族が死んだわけでもなければ、身内が死んだわけではない。それなのに、悔しい。
何故か。
……助けられたはずの命だったからだ。
コンコン……と部屋の木扉がノックされる。
「リトル……?入ってもいいかな?」
外から声がする。私は開けるつもりはなかったが、スケールがその扉を開けた。
扉の先に見えたのは、魔女のような茶色の帽子、青い目。帽子やローブに付いているピンクゴールドの装飾が月明かりに照らされてよく目立つ。
「リア…………こんな時間にどうした?寝なくて大丈夫か……?」
「うん、リトルが心配で見に来ただけだから」
遠くてよく見えないが、暗闇で獣のように光るリアの青い目は涙を蓄えながら震えている。そう感じた。今日はすごく魔力を使ったはずだ。体は疲れていて眠いはず。なのにリアはわざわざ私を、私達を心配して来てくれた。
真っ先に私のいるベッドに駆け寄ってくる。
「助けてくれてありがとう。リトル。私、治癒魔術使えないから助かったよ」
「そう……」
私は未だ起き上がる気になれず、小さく反応して寝返りを打つ。
リアの顔には悲しみと不安が塗られていた。
「ねぇ、リトル。良かったらさ……治癒魔術、教えてよ。私もリトル達みたいに治癒魔術を使えるようになりたい…」
ドクっと心臓が跳ねるのが分かった。その勢いのまま飛び起きる。まだ教えて欲しいと言われただけ。それなのに心の中では酷く混乱している。なんとか言い訳をしようと考える。
「ごめん……私、教えるの下手だから……」
これに関しては嘘ではない。だが、完全なる言い逃れだ。
「ねぇ……リトル。さっきから不思議に思うんだけど……」
リアは突然、私の右手を指差して言った。
今は血は綺麗に洗い落としているから、そんなに痛々しくは見えないはず。
なのに、リアは真っ先に気にした。
「なんで魔法に失敗しただけでそんなに大怪我するの……?失敗なんてあり得るとは思うよ。私も何度も失敗したことはあるけど、こんなことにはなったことない……し…………」
まずい……。
私はここに来て初めて、能力がバレたということに気付いた。心臓が大きく跳ねるのが分かった。言い訳はできない。どうやっても無理だ。どうする……どうする……いろんな考えが頭の中を駆け巡る。
すると……スケールはとんでもない行動に出た。
光る黄緑色の結晶……。それが入った小さな容器をどこからか取り出したのだ。
辺りは暗い。だからやけに美しくそれは輝きを放った。
「スケール……!!!」
私が大声で仲間を叱咤するのとスケールがリアに語りかけ始めるのはほぼ同時だった。
「…………リア。このことは、俺達だけの秘密だ……いいか?絶対に言ってはいけない。君の仲間にも」
スケールはその容器を手で強く握り締め、リアに強い口調で言い放つ。容器から漏れ出す光は強く、手で握っても光は漏れ出している。
「……うん」
リアは一瞬その強い口調にたじろいだように見えたが、すぐに一回だけ返事をした。
その返事には強い意志見えた。
「……じゃあ、話そう」
スケールは再びその黄緑色の光を部屋中に晒す。
「…………この治癒力は魔法ではない。だから教えるとかそういう問題では無いんだ」
リアは「……えっ?」とも「どういうこと?」とも聞かずにその場に座り、真剣に私達の話を聞く。
「これはリトル、ルティア、そして俺の体の中に流れている治癒力のエネルギーの結晶」
今日も美しく輝くそれは、言われなければ宝石のようである。
「これを使うことで治癒力を生み出すんだ」
リアは興味深そうにうんうんと首を縦に振った。
やけに大人しい。全然騒いだりしない。
「ただ、条件がある。一つ、『自分の意思でつけた傷は治せない』二つ、『死亡したものを復活させることはできない』逆に言えば死亡さえしていなければ基本的にどんな状況でも回復できる力を持つんだ。その回復力には俺達の中でも違う。その中でもリトルは最も強い力を誇る。そして何より…………俺達の能力は病気も治せる」
「病気も……?なんでそんなに隠す必要があるの?」
ここにきてリアが質問を投げ出した。
ここまで話を聞いただけでは、なぜ隠す必要があるのかと疑問に思うだろう。そして同時に羨ましいとさえ思う人だっているだろう。
普通にはない治癒力を持ち、病気まで治せてしまうのだから。
――ただ……現実はそう甘くはない。
「追われて……いるから……」
私は拳を強く握り締め、言葉を吐き捨てた。
「誰に……?」
リアにそう言われて悩む。そこには普通に答えても伝わらないものがある。
それでも正直に三文字を口にした。
「…………研究員………………」
ルティアがその三文字に補足を加える。
「国も関与している研究所……そこで肉体的、精神的に酷く抉られる実験をされる。私達はそこから脱走して今に至る。私達の存在を知られてしまい、その事実が広まれば再び私達は命とりになる。だから今までずっと魔法だと嘘をついてでも乗り越えて来た」
「…………そう、だったんだ…………」
リアは表情を一気に暗くする。
それでもすごく真剣に聞いてくれて、私達のことを信じてくれる。それだけで私の中ではなんだか気持ちが軽くなっていくような気がした。
「ねぇ、リトル、ルティア、スケール……」
リアは間をおき少し考えてから私達を見て言った。
「私……仲間になっても、いいかな……?」
私達は顔を見合わせる。
「君は……仲間を、ミラサイト達を、裏切るのか……?」
スケールは言った。
リアには既にミラサイト達とパーティを組んでいる。だからそう易々と私達とパーティを組むことは難しいだろうに。
「それに、俺達とパーティを組むとろくなことはない」
私達は追われている身で敵の存在があって、正直、今この時だって後ろから狙われていて……その状況にこんな小さな少女を連れていくのは危険すぎる。勝手についてきて何かあっても私達が全ての責任を取ることはできない。
「だからだよ」
「…………」
リアの表情は真剣だった。覚悟はできている……そんな表情に感じた。
「でも、本当にいいの……?私達とパーティを組むとミラサイト達とは別れることになるけど…………」
私ももう一度リアに確認をする。
「大丈夫。許可は取ったから。それに、協力したい」
協力したい……どんな危険な目に遭ってもこの強い言葉にはリアの強い意志がある。
「…………分かった。今日はもう遅いから明日手続きしよう」
「…………うん」
リアは一つ頷き、部屋を後にする。ドアノブに手を掛けドアを開けようとして……リアは振り返った。再びスケールの元へと向かう。暗くてよく見えていなかったが、手には防寒着を持っていた。
「スケール、ありがとう。貸してくれて……」
リアはそれを綺麗に畳んでスケールに手渡す。
「……こちらこそ!リア、これからもよろしくな」
スケールはそれを受け取り、満面の笑みを浮かべた。
リアはそれから部屋を出ていき、自分の寝床に向かって行った。
私達だけの秘密。
本当に守ってくれるかはリア次第。だがあの感じなら大丈夫だと、信じたい。
リアがパーティに加わってくれることは嬉しい。
リアはさまざまな魔法を操れるから何かがあっても大丈夫だろう。




