第七話 デュアハパル山脈
2024/10/22 19:51
情景描写、表現を追加しました。
私達はあれからギルドから貸し出している宿で少しだけ寝たが、明日の準備が忙しかったというのもあり、実に四時間ほどしか寝ていない。
眠い目を擦りながら布団から体を起こす。
まだ辺りは暗く、暗闇が遠くの空まで続いている。
朝とは思えないぐらいだ。
部屋の窓から街を見下ろす。人影は一人、二人ぐらい。街灯も消えることはなく、道筋を照らし続けている。
持っていくカバンにはミラサイトに助言されたものがほとんど。
食料は多めに。登る山は標高四千メートルを超える雪山だから防寒もしっかりしてなければいけない。
さらにどうやら目的地までは三〇km以上あるらしく、馬車を使ってもその日のうちに帰れるかは分からないというので、カバンの上に布団やら毛布を紐で括り付けておいた。
これを持ってるだけですごく冒険者っぽくってワクワクする。
「おはよう、リトル。今日も早いな。ちゃんと寝れてるのか?」
私は首を縦に振る。
スケールこそちゃんと寝れていないだろうが、仲間のことを常に視界に入れながら過ごしていて本当に尊敬する。
スケールも私の隣で各自の準備を進めていく。
ベットがゴソゴソと動き、ルティアもどうやら目覚めたようだ。
全員が自分のカバンを漁って忘れ物は無いか、足りないものはないかと確認をする。
……コンコン…とドアを叩く音がした。ドアノブが周りドアが開けられる。その先に立っていたのは随分と重そうな防寒具を身に纏ったミラサイトだった。
「…………三人とも、朝早くから俺のためにありがとう」
「とんでもないです」
私はローブの上にさらに防寒着を羽織る。全て貸し出し用のものではあるが、着ないわけにはいかない。私達は風を引くことはないが凍死する可能性はあるからだ。
スケールとルティアもいつも以上に暑苦しそうな防寒具を身に纏ってカバンを背負う。
「それでは、行きましょう」
私達は部屋の電気を消し、滑り止めのついた靴を履き、重い木のドアを開けた。
✳︎
外はまだ太陽が登っていないためか、身震いするほど寒い。もともとここの気候は昼間でも常に涼しい。だから厚手のローブを着るぐらいがちょうどいいぐらいだ。
今の気温はおそらく五度ないぐらいだろう。
今すでに寒いとか言っているのに、雪山なんて本当に登れるだろうかと不安になってくる。
「ここから約三〇kmほど離れている。だから普通に歩いてもたどり着く頃には疲れてしまうだろうからそこの馬車を使おう」
ミラサイトが私達を振り返りつつ、そう言う。彼は昨日行っているから道を知っている。だから前を歩いてもらうことにした。
暗くてよく見えないが、少し歩くと街灯に照らされた一頭の馬とそれに繋がる車輪のついた大きな乗り物の影が見えてきた。
こんな時間帯に馬車に乗る人は果たしてどのぐらいいるだろうかと思うが、係員のような人がいたので利用はできそうだ。
それに太陽が登っていないというだけで別に深夜というわけではない。
「すいません、馬車を貸してください」
ミラサイトがお金を準備して係員に声をかける。
「どこまで……?」
「デュアハパル山脈の周辺までで大丈夫です」
係員にお金を手渡す。
「あそこは雪山だ。くれぐれも気をつけるのだよ」
「はい」
私達は馬車に乗り込む。
馬車の手綱を引くのはもちろんミラサイト。
私は馬車にも馬にも乗ったことがないが、彼はかなり前から冒険者をやっているベテランだからこういうのは任せるのが無難だろう。
出発の合図とともにミラサイトが馬車の手綱を動かす。馬車がゆっくりと動き出した。
馬が動くのに合わせて馬車も上下に揺れる。バランスを取るのが少し難しい。
アスファルトの上を歩くパカパカという蹄の音がリズミカルに聞こえる。歩くスピードはゆっくりだが、確実に足で歩くよりは早いし、何より疲れない。
「君たちは馬車に乗るのは初めてかい?」
「はい……実は初めてです。おそらく生まれてから一度も乗ったことないと思います」
生まれてから一度もということを言った時に一瞬ミラサイトは目を丸くした。
そういう反応をするのは分かる。この国での移動手段のほとんどが馬車だからだ。聞かれても答えるつもりはない。だが、私達は少なくとも三年以上施設暮らしでほとんど外に出た記憶もない。だから実質初めてという感じだ。ただ苦ではない。それどころか心地がいい。
街並みが次々と流れていく。大きい家に小さい家の影の数々。時折家から漏れる明るい光。
…………もうすぐ日が昇るだろう。
遠くの空が燃える。雲が燃えていく。地面が照らされていく。太陽に近づくにつれて、少しずつ紺から橙に空の色が変わっていく。
「…………朝ですね」
スケールが馬車の窓から辺りを見回す。警戒心も今日はいつもより和らいでいるように感じる。
太陽が昇る前に外に出ることは無かったから、いつも見る太陽も神秘的に見える。
パカパカというリズミカルな音は途切れる事なく続き、少し街を超えた先には白い結晶が積もっていた。雪山に近づいてきたのか、さっきまで太陽に照らされて暖かかったのが、再び冷たい北風が頬を打ちつけるようになってきた。
「ここで馬車を降りよう」
少し行った先に別の馬屋が見えたので、そこで馬車を降りることにした。
目の前まで行くと全体を見ることすらもできないほどの巨大な山が私の前に立ち塞がった。
麓まで全てが白い輝きを放っており、木々や植物はほとんど生えていない。代わりにゴツゴツとした岩や小石が雪から突出している。雪は麓でもくるぶしぐらいまでは積もっている。
雪を試しに手に取ってみる。ふわふわというより少しだけ解け掛かった雪だった。凍れば滑りやすくなるだろう。
「着いたな」
スケールも腕で日差しを隠しながら上をみる。
本当に空を突っ切ってしまいそうなほどどこまでも道が続いている。
ついに私達はやってきた。
この街で最も高いとされる雪山――デュラハパル山脈に。
✳︎
少し昇るたびに息が上がって苦しくなる。
やはり少し酸素が薄い。それに乾燥した空気が肺を凍らせていく感覚がして肺が痛い。息を吐くとそれは白い結晶となって宙を漂っていく。
今は雪は降っていない。視界は良好。しかし寒い。
「大丈夫か?リトル」
息苦しくなって胸の方を押さえていると前方から心配そうな声が響いた。
「うん…………」
少し息が苦しいというだけで、それ以外は特段異常なところもない。足も動く。意識もしっかりしている。それにまだ登り始めてから二〇分ほどしか経っていない。
何やら板のようなものが雪に埋もれていたため、雪を手で払ってみる。
その板には『現在地・麓より1.5km』と書いてあった。
まだまだ序盤も序盤である。それなのにもう寒さで凍えそうな自分が情け無く感じた。
寒さに耐えるため、悴んで赤くなった手に息を吹きかける。一瞬だけ暖かくなる。しかしその効果はすぐに途切れてしまった。
首元には保温性のある動物の毛皮、体には厚さ十センチ程ある暖かいローブ、足には滑り止め付きの靴。
これだけの準備をしてきたのにやはり寒さを完全に無くすことは難しいということか。
ミラサイトが持っていた寒暖計の赤い液体は、ゼロの数字を差していた。
「…………寒いな。昨日はこんなに冷え込んでなかったが…………これではまずいぞ」
ミラサイトの顔色がどんどん青くなっていくのが見て取れる。
ラミリアとその他三人のメンバーがまだこの山に取り残されているのだとしたら、死亡している可能性が非常に高い。
私の能力であれば、死亡さえしていなければ完全回復できる。百パーセントの回復力を誇る能力であるから。
スケールやルティアの持つ能力は、六五パーセント程度の回復力しかないわけだから、今回に置いては私のエネルギーを膨大に消費することになるだろう。
一人だけでも体への影響は大きすぎる。だが、ほっとくわけにはいかない。
私達がここに連れてこられたのは、信頼してくれたからだ。
「ラミリア達は、魔法とか使って身体を暖めることはできるのか?」
スケールが聞く。
ああ、そうか。その手があった。と頭の中に希望の兆しが見えた。
「炎系魔法も光系魔法も習得はしている。だがずっと使い続ければ今度は魔力切れが発生するだろう」
魔力切れ………私達でいうエネルギー不足状態か。
聞く限り、魔力切れは数時間かけて徐々に回復していくらしいが、魔力を使い切ってしまうと動けなくなるのだとか。
「それじゃダメだな」
雪山で倒れ込んでしまう方は危険すぎる。
早く見つけないとまずい状況であることに変わりはない。
雪を踏みながら階段を登り続け、少しずつ進む。
すると、何やら分岐点が見えてきた。
右に行くか左に行くか。道は遠くまで続いていて、一旦別れたらしばらく合流できなさそうな分岐路である。
「どっちに行く……?」
私は全員に問う。
私達は三人。ミラサイト入れれば四人。綺麗に二人ずつで分けられる。
ただ私達三人は雪山経験がなく、ミラサイトがいないと危険かもしれない。
「…………こっちに行こう」
あまり考えることもなく、スケールは左の道を指差す。
スケールの目はアクアマリンの宝石のように美しい青色に輝いている。
「なぜ」
ミラサイトはスケールの腕を引く。ミラサイトは分からない。そういえば私も伝えてはいなかったというのが事実だ。
「俺は過去を見れます。ラミリア達が辿った道が分かる…だから俺を信じてください」
「スケールの言っていることは本当です。少女救出作戦の時もこの能力が役に立ちましたから!」
私も助言する。スケールの能力は本当だ。
少女救出作戦の依頼には場所すら明記されていなかったが、私達は確かに依頼を達成することができているのだから。
「…………分かった。じゃあ左の道を進もう」
全員で左の道へ足を進める。この状況では一人だけ右の道をいくわけにはいかない。今回の目的はあくまで遭難した冒険者を探すことだ。だから勝手な行動はしない。
左の道を歩いて岩山の間を抜ける。
だんだん道幅が狭くなってきた。足を踏む場所が限られてくる。すぐ右には高い崖。足を踏み外しでもしたら大変だ。下を見るだけでさらに寒気がする。
「ねぇ、本当にこっちであってるの?」
ルティアも心配そうに聞く。
左側に連なる大きな岩を手で探り掴みながら。崖から落ちないように注意しながら。
「うん………この辺りは新鮮な雪が多い」
スケールの返事には一切の迷いがない。
新鮮な雪。確かにさっきに比べると雪がさらに光を反射して白気が増している気がする。氷の粒一つ一つまでもが太陽の光を反射し輝いている。
足跡は私達のもののみ。全部で六つの跡が、踏んだところから少しずつ伸びてゆく。
「あっ……」
スケールは突然足を止めた。
「!!!」
足の踏み場を失う感覚があった。空気を踏む感覚。踏もうと思っても踏めないものを踏む感覚。
「うわっ!!!」
「リトル……!!」
そう叫んだ時にはもう遅かった。足が宙に浮いている。手や足が擦れてヒリヒリする感覚がほぼ同時に起こった。崖が一部だけ赤く染まっている。
一瞬だけ下を見る。遥か下の方に広がる雪の塊。枯れ枝の塊。
…………足を滑らせて右側の崖の下へと落ちそうになってしまったのだ。
懸命に手を伸ばす。うまく崖を掴めず、左手も自由になる。
右手を離したら落ちる。確実に。そう思うと絶対に離してはいけない右手も恐怖で震えて、力が入りづらくなった。呆然と下ばかりを見てしまう。
もうダメだと言う感情が頭の中に浮かんでくる。
「下を見るな!俺の手を掴め!」
すぐそこに仲間の手が見えるのに、すぐそこまで救いが見えているのに、あと数ミリ届かない。
スケールも自分の危険を顧みずに半身以上崖から身を乗り出し、必死に私に向かって手を伸ばし続ける。
左手で崖の岩壁ををなんとか掴む。足を崖の一部に引っ掛ける。これで少しは安定。今度は右手を崖から離してスケールに伸ばす。少しずつ救いの手が近づく。
これなら大丈夫……と一息つこうというその時だった。
地が震えた。左手で掴んでいた崖が崩れ落ちる。咄嗟に右手でスケールの手を掴んだかと思った。
しかしそれは届いては、いなかった。
「リトル………!!!!」
私は完全に掴む場所を失った。コントロールも効かず、重力に負けて落ちる身体――ではない。誰かに腕を強引に掴まれ背中を強く押された。
気づくと私の体は地面に触れていて、さっき足を滑らせた崖の上に倒れ込んでいた。
金色の光が一瞬、私の目に映る。崖の下へと落ちてゆく仲間の体が視界に入った。
「スケールー!!!!!」
私は叫んだ。そんな…
仲間はいつだって私の身代わりに…………!
『俺は大丈夫だからその足跡を追え!!』
こんな状況でも心の声はいつものようにハッキリと私の胸に響く。
『それは絶対にダメだぁあああー!!!!』
私の言葉に対する反応はなく、仲間の姿もやがてごまのようになり、消え散った。
✳︎
「助けにはいかないの……?」
ルティアはスケールが落ちた先を見つめて、私を見て、言う。
私は首を横に振る。
「助けには…………いかない。いや、いけない」
この崖を飛び降りてまで助けにいくことは流石にできないよ……
「なんで……!ほっといちゃったらラミリアみたいに!!」
…………確かにこの高さから落下したらただじゃ済まない。
たとえ下が柔らかい雪でいっぱいで衝撃を和らげることが出来たとしても無事であるという保証は一パーセントにも満たないだろう。
でも、今私も自分の意思で飛び降りたら二人して危険な状況になる。
信じるしかない。信じるんだ。
「スケールは大丈夫」
「またそんなことを!!!」
ルティアはこの危険すぎる崖の上で罵り続ける。
「…………ルティア。これはリトルが正しい。今助けに行けば危険だ」
ミラサイトが仲裁する。落ち着いた様子で再び足を進める。
ミラサイトは昨日経験したばかり。遭難して助けに行った仲間すら帰ってこなかったという辛い記憶が、ありありと浮かんでいるのだろう。
「…………とりあえず、私達は先をいく。リトルは大丈夫か…?」
正直大丈夫といい切るのは厳しい。何より頼りだったスケールは崖の下へと滑り落ちてしまった。先を進むと言っても私達では手がかりが無ければ進めない。
でも、私達は姿は見えなくても、スケールが生きていれば会話が出来る。困ったら聞けばいい。
私は崖の下から目を離し、再び立ち上がる。
「…………大丈夫です。先を進みましょう」
私は傷ついた体に治癒力をかける。
本来なら、私が今崖の下で一人になっていたはずだったんだ…………
追記: スケールは武器は持ったまま崖を落下しています。




