第一話 研究所
追記 2025年 11月1日
表現・描写を追加しました。
導入部分の変更を実施しました。
私の周りには、何もない。視界に映るのは色もない、無彩色の空間。そして体を震わせ続けても、足りないぐらいに空気は冷え込んで寒い。
私の今の服は、薄い、白色の肌着にグレーの短パン。とてもこの辺りの気候には見合わない。寒くても、寒いと訴えてみても、暖かくできるものは何も用意されることはない。
私はコンクリートを打ちっぱなしにした壁で囲われた部屋にいるよう命じられて、ここから出ることは許されていない。
首には首飾りがつけられている。リボン型に可愛く形作られていて、これだけは少し気に入っている。
私に今できることといえば、目の前に広がる鉄でできた、私の居る牢を囲う格子に触れて、何もない空間を眺めるだけだ。触れたそれからはただただ冷たい感触が返ってくるだけ。元々冷たい私の赤く悴んだ手に、さらに冷たい感触が皮膚を伝って神経に伝わる。
息を吐けば白い粒となって辺りを漂い、やがて消えた。息を吸えばどこからか香る、鉄のようなキツイ血臭が鼻の奥を刺す。
光というものすら存在しない。どこからも光すら入ってこない。そんな空間をただ格子越しに見つめていた。
ガタンッ、
突如、部屋の入り口の鉄扉が音を立てて揺れた。その音に一瞬体が強張る。恐る恐る音をした方を見ると、そこには白衣を身に纏った女の人が立っていた。鋭い赤の瞳の中は感情の起伏を感じられない。頭には二本の漆黒の鋭い角を生やしている。
ただ、恐ろしい。でも、私には体を震わせること以外に何もできることは無い。
「さぁ、リトル。今日も実験を始める……」
「っ…………!!」
女はただ、そう言って私に近づき、牢の中に入り込み、立ったまま私を見つめ、そう言った。
冷たい風が、私と女の間を流れる。
じっと女を見つめていた視界に……赤い何かが散った。
「うっ………………!!」
見ると、私の腕から、赤いものが流れ落ちていた。驚いた神経が悲鳴を上げてビリビリと暴れ出す。体の奥底まで響き渡る感触に……でも何故か、私の心はなにも反応を示さない。
ただ、血が流れ落ちているだけだ。ただ、皮膚と血管が裂けただけだ。
実験を始める、と言った女の人はただいつものように私の血を集めた。
「いやあ、毎日悪いね……でももう流石に慣れたかな?」
女の人の声も言葉もどこか遠いところで発せられた音のように私の耳を通り過ぎてどこかへと行ってしまう。
それから、少し時間をおいて、女はまた小さく口を動かした。
「………….…」
「………………?」
何か、重要な何かを言った気がした。
何を言ったのか分からず、私は小さく顔を上げて見つめ返す。
「…………ねぇ、リトルは、外の世界に行きたい?」
今度ははっきりと聞こえた。今までずっと通り過ぎていただけの言葉をしっかりと捕まえた。
「外の……世界……」
私は、自分の発した自分の声の色の無さに気づいて視線を下にやった。コンクリートに染み込んだ、自分の流した血液の色が濃くはっきりと映る。
私の発した言葉は枯れて、もう瑞々しさを失っている。きっと私と同じ他の年頃の子は今頃学校に行って、友達と楽しく遊んでいることだろう。私はそれすらも許されず、ずっとここに閉じ込められてきた。
私は、外の世界を知らない。
ああ、いや、少しは知っている。でも、少しだけ。私がまだ普通に過ごせていた頃の、たったの六年にも満たない時間に特に何の意識も傾けずに眺めていた街並みと人だかりだけ。
あれからどのぐらいの期間ここにいたのだろう。数えていたわけでもなくただ時は流れ、気づけば私の体はほんの少しだけ大きくなっていた。でも、きっともう三年は経っていることだろう。確か以前、別のものが教えてくれたような気がする。
私の心は空っぽだ。何もない。そして、さっきのような痛いことをされても、普通の人の反応ならばもっと痛がって泣くはずのところを、私はただ少しだけ驚いてみせるだけで、それ以上は脳からの信号すら完全に断たれてしまったようで、何故だか何の反応も、彼らには見せることができなかった。
私には、治癒という名の、他の誰にもない力が存在している。それは超級の治癒魔法すらも超えていて、どんな怪我や難病でも何でも治せてしまう力だ。今、私の目の前で私の血が滴る凶器を携えて見つめる者は、その私の力を研究すると言ってやってきて、自らのことを研究員で、ここは研究所の研究室だとだけ言っていた。
でも何故か、この人だけは何かが違うと思った。いつもならただ私の体を切り刻んで、使いたくもないのに無理矢理治癒力を搾り取られて、ただそれを遠くの方で眺めるか記録を取るかなどして口元に薄い笑みを浮かべている、研究員のはずが……
「上への許可は取ってあるの。二日に一回、ここに戻ってきてくれさえすれば悪いようにはしない。だから少し外の光を浴びてきなさい」
外の光……?
信じられない。今までそんな言葉出たことは無かった。
「行ってもいいの……」
恐る恐る私はまた枯れた声を絞り出す。声にもならない音のような、そんな空気の揺れ方だ。
「えぇ、リトルも少し、外行ってみたそうにしてたでしょう……?」
その声は、先程、凶器を手に私を鋭く見下ろして傷をつけてきたあの様子とは全く別人だ。
でも何の疑いはない。
「行ってみたい…………」
私がそういうと、その女の研究員は私を見て初めて、優しく微笑んだ。
✳︎
うっ…………ま、眩しい………
私はその光を浴びて、顔を顰めた。長時間触れてこなかった光が痛い。目も開けられないほどに強い光が、瞼の奥にまで伝わって、赤くなる。
でも今こうして外に出られたのだから二日に一回必ず行かなければならなくても外の空気に触れられるだけ、何故だか嬉しく感じた。ゆくゆくはここから本当に出ていってしまいたい気持ちもほんの少し、心の一片にある。
どこに行こう。
私はそう思い、一度足を止めた。
当然、いく当てというものは存在しない。突然、今まで囲われていた無彩色の世界から、ほとんど記憶にない外の世界に放り出されたから。
そうだ、家に行こう。
…………家の場所が、分からない。思い出せない。
住所を忘れてしまった。それにこの場所が家からどのぐらいの距離にあるのか、果たして歩いて行ける距離なのかどうかすらも分からない。ここは一体どこなんだろう。
私は途方に暮れて、空を見上げた。
ただ、雲が流れる。その度に影が現れたり消えたりを繰り返す。
私の感情など何一つ受け取ってくれない。ただ、何事も変わったことはなく、時間だけが流れていく。
私はただ外に出られる許可を与えられたというだけで、研究所から完全に出ることを許されたわけではない。きっとこれも一種の実験なのだろうと思う。だから研究所の正門から一歩、二歩離れるたびに誰かが付いてきているような気がしてならない。
おそらく約三年近くという長い年月が経って、街中は随分と変わっていた。研究所の目の前に大きな城のような建物が立っていたり、馬車が行き交っていたり、商店街があったり…と私の知らない間に街は随分と発展していた。
立ち止まっていても仕方がない。私はとりあえず、急に光を浴びて痺れて痛いだけの両足をゆっくり動かして歩き出した。
「ねえ、君」
商店街の店を見渡していると、突然後ろから誰かに声をかけられた。
恐る恐る振り返ると私よりも上背のあるガタイのいい男が立っていた。金色の硬そうな鎧と金髪の頭が太陽の光で輝いている。背中には短槍のようなものを背負った男が目の前に仁王立ちで立っていた。その背格好は衛兵か、騎士のようだ。
「なんですか?」
「その腕どうしたんだい?」
なんの躊躇もなく男は聞く。こんな街中で。ただでさえ誰かにこの姿……いや、今の自分の見窄らしい姿をジロジロ見られるのが嫌だというのに。
「あ……」
言われて改めて見る。さっきの女が巻いてくれた包帯の下からはっきりと見える切り傷。さっきよりも血が滲んで包帯の布地が赤くなっている気がする。
どうすればいいのか分からない。
何を言えば分かってもらえるのか、どうすればここから離れることができるのか。
走れ。走って、逃げろ。
そう、それしか方法がない。
私はその部分を押さえてゆっくり後退りする。
その足をゆっくり早め……走ってその場から離れようとした。しかし――
「っ!ちょっと待てよ」
その男は追いかけてきた。私よりも足が速い。追い払う隙も隠れる隙すら与えてくれない。
その人の息遣いが、すぐ真後ろで聞こえる。
嫌に冷たい汗が溢れ出し、私の背中のラインを撫でるように流れた。途端に寒気がした。足が小刻みに震え出す。
何を聞かれるのか、それだけが今は恐怖でしかたない。私は追いかけてきたその人をみることも、そちら側に振り返ることもできず、早まる息を野放しにして、ただ地面だけを見つめた。
「大丈夫。少し落ち着け。俺はそんな怖いことをするものではない。少し確認したいことがあるんだ」
その声は先程の口調よりもずっと優しく私の耳に響く。透き通った、少し低めの、大人になりきれていない少年の声。
男は続けて言った。
「君、研究所にいたのか?」
えっ…………
私は思わず足を止めて振り返った。思いがけない声が飛び出した。
私が研究所にいたということを一瞬で当てたこの男は、容姿は違えど、もしかしたら研究員なのではないかという恐怖心が芽生えてきた。
しかし、その恐怖は数秒後には溶けた。
金髪の前髪から覗く、蒼く透き通った目。それは研究員とは違う。色だけではない。その目の中には偽善の色が全くない。心からの優しさの目だ。
「…………なんで知ってるの?」
私は恐る恐る言葉を紡いだ。
たった一言であっても喉の奥につっかえる何かがあるのを堪えて。
男は首につけられた自分のリボンを指差す。そして、白い服の袖を捲って私に見せた。
……赤い、傷。
そこには私と同じような、短刀で付けられた深い切り傷が数本…はっきりと刻まれていた。
「これで…分かったかな………?」
男の声は切なく、悲しみの混じった声。先程とは打って変わって、今まで打ち明けられなかった気持ちを吐き捨てるような声だった。
首に付けられたリボン。間違いなく同じものだ。
「あなたも、なの?」
「……そういうことだ」
仲間。
正直私はこの人の存在をあまり良く知らない。同じ施設にいたのなら会ったことがあるはずだが、感情を失い、口数もあまり多くなかった私には他人との関係性も薄く…私は自分に仲間がいるなんてことは今この時まで知らなかった。
男は真っ直ぐとその青く美しい瞳で私を真っ直ぐ見つめる。
「俺はスケール、君の名前は?」
「…………リトル」
名前……
あまりよく知らない相手に名乗るのは少し息が詰まったが、私は正直に名乗った。
それから男は辺りを注意深く見渡し、私の包帯にそっと左手を近づけた。淡い黄緑色の光が傷口を包み込む。ずっと続いていた痛みが消えていく。
包帯を外すと元通りに傷口が塞がっていた。
本当に、仲間なんだ、と実感した。これは、魔法じゃない。生の暖かさをうちに秘めた、何か、特別な何かを感じる。
「これでよし」
「あ、ありがとう」
スケールは私の傷口を治してくれた。それなのに私が何もしない訳にはいかない。仲間なら安心できる。今の行動を見て確信した。
私も同様にそっとスケールの切り傷に手を近づける。軽く息を吐いて指先に力を込めた。
明るい、黄緑色の光がスケールの切り傷を包む。眩しいぐらいに明るく輝く。スケールの切り傷も綺麗に塞がった。
スケールは私を見て笑いかけた。
「…………ありがとう。きみ、やさしいな。それに、君の持つ力は俺のよりも全然強いや」
「…………」
正直実感がない。いつものようにやっただけ。だけど確かにスケールのよりも光は明るく、眩しかったような気がする。
「君が使うこの治癒力…これはきっと最上級の力を誇るだろうね。えーっと、あそこの研究所用語で言うなら、君の力は……そう、『ラルエンス ヒーリング』っていうのに当たるだろうね」
ラルエンス ヒーリング……?そんな変な名称まで付いていたのか……?
そんなことより、お互いにこんなところで堂々と治癒力を使った訳だが、大丈夫だろうか……
辺りを見渡してみる。人影は少ない。あまり見られてもいないようだし、とりあえずは、大丈夫か。
その時、なぜか私は息苦しさを覚えた。血管の中の血が、早く流れる。体が熱を持ったように暑くなったり、ちょっと冷たくなったりを繰り返す。息が、苦しい。頭が重い。フラフラしてスケールにもたれかかってしまった。
「リトル…?大丈夫か……少し休むか……?」
スケールは心配そうに聞いてきた。その言葉一つ一つが心地よい。急にもたれるような態度を取ってしまったのに、突き放したり一切せず、私を包み込むように声をかけてきた。
「う、うん」
「歩けるな?」
「うん」
「じゃあ、ゆっくりでいいからついてきて」
私はスケールの後ろに付いて歩いた。
✳︎
「ここだ」
スケールは何もないところで立ち止まった。静かな場所だ。
「ここなら誰にも見られないよ。今はこの公園の中、木の向こうを拠点にしている。公園といっても本当に誰も来ないようなとこなんだ」
私は拠点としている場所に辿り着いた瞬間、気づいたらその場に座り込んでいた。
脈拍が無意識に上がっていて、走ってもいない、いや、すごくゆっくり歩いてきたはずなのにハァハァと息が上がる。自分でもはっきり分かるぐらいドクドクと脈打つ音が聞こえる。
「大丈夫かリトル」
「……………………」
大丈夫と言う言葉が口から出せなかった。
「ごめん、スケール、なんか、私………」
声が途切れてしまうほど酷く息切れが続く。
「………治癒力不足だな……私達の体だけに現れる典型的な症状だ。俺に会う前に研究所で抜かれているの知ってたのに、俺の傷まで治させちゃってごめんな」
スケールだって同じ状況のはずなのに、なんだか自分がすごく情け無く感じた。
「こちらこそごめん、さっきから、心配かけてばっかりで…………」
「謝らなくていいから」
スケールは私の腕に手を置いて、先程と同じように治癒力をかけてくれた。徐々に体の感覚が元に戻っていく。
「こういうとき、何を言えばいいの……?私――」
「大丈夫だよ。…………このぐらい仲間なんだから当たり前でしょ?」
えへへ…と軽く笑みを浮かべるスケールの顔にはやはりどこか悲しみが隠れている気がした。それでもその声は明るく、感情も私よりしっかりしている。本当に同じ施設にいたのかというぐらいに。
「スケールも……研究所に、いたんでしょ……?」
「そうだね……その頃の俺はどうだったかな……感情というものはどこか遠くに置いてしまっていたし、研究員の行為のせいで段々話しづらくなっていった」
私の口から出た言葉は自分でも分かるぐらいに震えている。でも、スケールは優しく包み込むような口調で、遠くを見つめながら言葉を紡いでゆく。
会ったことあるはずなのに、お互い知らないのは一緒に話をしたことが無かったからなのか。
「今は、なにを?」
軽々しく聞いたつもりだったが、空気は一瞬で重くなった。スケールは首を横に振って、視線を落とした。
「…………いまは、このあたりを歩き回っているだけ。研究所からはずっと前に逃げ出した」
「逃げ出した……?そんなこと、できないはずじゃ……」
私も今外に出ているわけだが、研究が終わったわけではない。逃げ出したわけでもない。
これも、一種の実験だ。
スケールは再び首に巻かれたリボンに手を触れる。
そのリボンはよくよく見ると傷だらけだった。
「これはもうあまり機能していない。俺はあの束縛から逃げ出すためにこれの監視機能を壊した。家に帰りたかった。だからこっそりこれを壊して逃げたんだ。でも……」
「でも…?」
スケールは力いっぱいその首飾りを握り締めた。
「俺は、この目で残酷なものを見た……親も、兄弟も、大好きだったものも、ぜんぶ、ぜんぶ、消えていた……!」
スケールは体を震わせながら、喉の奥から、ずっと押し殺してきた感情を爆発させるが如く、大声で言葉を吐き出した。
「…………え…そ、そんな……」
「俺は、リトルにその現実を直接知って欲しくはない……きっと、きみもおなじだ。もう、親兄弟はいない」
スケールの声はどんどん悲痛な叫びへと変わっていく。先程まで白かった肌は紅潮し、目元は腫れ上がり、群青色の深い目尻からは大粒の涙が溢れ落ちる。それが彼の着る金の鎧を濡らしていった。
しばらくして彼は顔をあげ、その少年の泣き顔で、私の手を握ってきた。私の、冷えて冷たくなった手に、スケールの、仲間の体温が流れてくる。
「…………リトル、お願いだ。俺と一緒についてきてくれないか?」
そう、スケールは言った。
本当はそうしたい。
でも、私は研究所に戻らなければならない。
逃げ出すことは許されない。
逃げたら、確実に殺される。
頭の中に、そんな勘が浮かんでくる。
血赤の瞳に、鋭い角。私の血潮で赤黒く汚した白衣。研究員が私に向かって鋭い白銀の刀をむけている。
「…………ごめん、私は、逃げてきたわけではないの。二日に一回戻る、という条件付きで外に出ることを許可してもらっているだけだから……」
「そっか………」
目を伏せるスケールの瞳は小刻みに震えている。
でも、やっぱり私は戻らないと………
不意にスケールは顔を上げる。泣き笑いのような顔で私を見つめる。
「途中までついていってもいいか?見送っていくよ」
「うん……ありがとう」
私達は元きた道を辿って戻る。せっかく出会った仲間を置いてでも私は研究所に戻らなければならないから………
作品をお読みいただきありがとうございます。
この作品は私のデビュー作(第1作目)になります。
ブックマーク・評価等していただけると大変励みになります。良ければよろしくお願いいたします。
また、この作品はダークファンタジーであり、残酷描写もそこそこありますので注意して読んでいただけると幸いです。




