第一話 研究所
追記 2025年 7月9日
表現・描写を追加しました。
導入部分の変更を実施しました。
私がここにいる理由……
目の前には、白衣を着た女の人。周りは何も変わらない。薄暗く、冷たい。
地べたに座る私の太ももは今にも凍りつきそうな程冷たい。
「リトル。さあ、今日も始めようか」
このセリフを何度聞いたかも、もう覚えていない。私は何の抵抗もなく腕を差し出す。
短刀で切りつけられるたびに私の腕から流れ落ちる血。女の人は淡々とその中の成分を吸っていく。
「はい、今日はこれでおしまい。毎日ありがとうね。でも、これがあるのと無いのとでは状況が大きく変わってしまうのよ」
そう言いながら、目の前の女性研究員は器具の片付けをしていく。
私の体の中には、治癒力と呼ばれる、特殊能力がある。どんな病気や怪我でも治せてしまう強力な回復薬だ。その力を持つのは私を含めて三人。私はその中の一人で、この力を研究するための研究所と呼ばれる拷問施設に監禁されているのだ。
毎日繰り返されるその言葉すらもう、聞き慣れた。時が流れる度同じ事を耳にする。
「それでも……私は……毎日は、嫌……です」
この人になら自分の正直な気持ちを言えると思った。ずっと言おうとした言葉を私は口にした。でもその直後、どうしようもない不安と恐怖が駆け上る。
研究員は研究員。優しい人なんていない。
「うーん……そうねぇ。じゃあ二日に一回ここに必ず戻る。これが条件で外に出てもいいわ」
衝撃的な言葉が、研究員の口から飛び出した。
「え……?いいの?」
私は思わず顔を上げる。
普段は恐怖で顔を合わせることすらできないが、私はその研究員の、光を失った血赤の瞳をしっかり見つめた。
「ええ、上官には許可を出しているわ。外部での実験ということにしているから」
「っ……」
自分はこれに少しは慣れたし我慢もできるようにもなった。でも体は何も変わっていない。変わったのは精神力だけで、体力的にはかなり辛い。
「…………なら……。いくらこれで誰かを助けられるのだとしても………」
自分一人より誰かが喜んでくれる方が本当はいい。ただ、精神力だけではどうにもならない。
強力な回復薬とは言いつつも、自分の意思で意識的に付けた傷を治すことができないという条件がある。
だからこの女の人が付けた傷はすぐに治すことができず、治るのに一週間は余裕にかかる。
「では二日に一回は必ず来てください。ただし、ここにいない間はさっき言った通りこの研究所の外にいる人々で困っている人がいたら助けてあげてくださいね」
「はい………分かりました………」
二日に一回だったとしてもどうせ私はこの研究所に通わなければならない――結局、私はこの辛さから抜け出すことはできないのだろうか。
✳︎
うっ…………ま、眩しい………
私は久しぶりに外に出た。本当に久しぶりだ。地面を焼く太陽の光がやけに強く感じる。
研究所、という機関に入らされたのは今から約三年前、六歳の時だ。その時のことを今でもはっきり覚えている。私はその日から本当に外に出られなくなった。
研究所は酷く暗く、廊下はもちろん室内ですらロウソクの光が無ければ、ほとんど周りが見えない密閉空間。さらには凍えるほど寒い北風が体に打ちつけてくるのにも関わらず、当然空調すらない。
私は錆びついた鉄格子の檻の中でそのような環境にずっとずっと閉じ込められ、心を抉られる実験を繰り返されてきた。
だけれど先程の女の研究員(名前は知らない)は信頼できる優しい人だと思っている。正直それ以外の研究員は皆、凶暴で薄笑いを浮かべるような奴なのだが。
ある程度の教育は受けていたので読み書きはできる。
しかし本当にそのレベルの教育しか受けていないせいでこの世界のことなど何も知らない。
ちなみに実験内容については簡単に。
一、狭い空間に閉じ込めて一週間に一回必ず重症者を治療する実験
二、毎日体のどこかしらに傷を付けられる実験。どの程度の切り傷を治せるかを確かめられる。
三、毎日治癒力を抜かれる。場合によっては失血で失神する。
…………という酷い実験だ。これで何回死にそうな目に遭ったか分からないぐらいだ。
でも今こうして外に出られたのだから二日に一回必ず行かなければならなくても外の空気に触れられるだけで一歩前進したと思う。ゆくゆくはここから出ていきたい気持ちもほんの少し、心の一片にある。
さて、どこに行こうか。
研究所から離れても実験は続く。
私は外に出ても誰かを助けなければならないという義務が付き纏っている。だから研究所の正門から一歩、二歩離れるたびに誰かが付いてきているような気がしてならない。
とりあえず久しぶりに外に出たのだから、この辺りを適当に歩くことにした。
三年という月日が経って、街中は随分と変わっていた。研究所の目の前に大きな城のような建物が立っていたり、馬車が行き交っていたり、商店街があったり…と私の知らない間に街は随分と発展していた。
「ねえ、君」
商店街の店を見渡していると、突然後ろから誰かに声をかけられた。
恐る恐る振り返ると私よりも上背のあるガタイのいい男が立っていた。金色の硬そうな鎧と金髪の頭が太陽の光で輝いている。背中には短槍のようなものを背負った男が目の前に仁王立ちで立っていた。その背格好は衛兵か、騎士のようだ。
え……?私、何か悪いことしたかな?
「なんですか?」
「その腕どうしたんだい?」
なんの躊躇もなく男は聞く。こんな街中で。
ただでさえ誰かにこの姿を見られるのが嫌だというのに。
「あ……これですか……」
なんだそれだけか、という気持ちと、なぜそんなことを聞くのかという疑問とか同時に浮かぶ。
言われて改めて見る。包帯の下からはっきりと見える切り傷。さっきよりも血が滲んで赤くなっている気がする。
ああ、でも面倒ごとになりそうだな……見ず知らずの人に……
「これは…その……大丈夫です。心配おかけしてすいません」
私はその部分を押さえてゆっくり後退りする。
その足をゆっくり早め……走ってその場から離れようとした。しかし――
「っ!ちょっと待てよ」
その男は追いかけてきた。私よりも足が速い。一瞬で追いついた。
「君、研究所育ちだよな?」
えっ…………
私は思わず足を止めて振り返った。思いがけない声が飛び出した。
「あなた、もしかして…私のこと監視してます?」
「ん…?何を言ってるのか分からないけど…監視はしてないよ」
「じゃあ、なんで知ってるの?」
男は首につけられた自分のリボンを指差す。そして、白い服の袖を捲って私に見せた。
……赤い、傷。
そこには私と同じような、短刀で付けられた深い切り傷が数本…はっきりと刻まれていた。
「これで…分かったかな………?」
男の声は切なく、悲しみの混じった声だった。今まで打ち明けられなかった気持ちを吐き捨てるような声だった。
首に付けられたリボン。間違いなく同じものだ。
「つまり、私達は同じ研究所育ちで、簡単に言うと仲間っていうこと?」
「簡単に言うとそういうことだ」
仲間。正直私はこの人の存在をあまり良く知らない。同じ施設にいたのなら会ったことがあるはずだが、感情を失い、口数もあまり多くなかった私には他人との関係性も薄く…私は自分に仲間がいるなんてことは今この時まで知らなかった。
真っ直ぐとその青く美しい瞳で私を真っ直ぐ見つめる。
「俺はスケール、君の名前は?」
「私は……リトル」
名前……
あまりよく知らない相手に名乗るのは少し息が詰まったが、私は正直に名乗った。
それから男は辺りを注意深く見渡し、私の包帯にそっと左手を近づけた。
淡い黄緑色の光が傷口を包み込む。ずっと続いていた痛みが消えていく。
包帯を外すと元通りに傷口が塞がっていた。
「これでよし」
「あ、ありがとう」
「じゃあ君も俺の傷、治してくれよ」
スケールは私の傷口を治してくれた。それなのに私が何もしない訳にはいかない。
そっとスケールの切り傷に手を近づける。軽く息を吐いて指先に力を込めた。
明るい、黄緑色の光がスケールの切り傷を包む。眩しいぐらいに明るく輝く。
スケールの切り傷も綺麗に塞がった。
スケールは私を見て笑いかけた。
「…………君の力は俺より全然すごいや」
「そうかな……?」
正直実感がない。いつものようにやっただけ。だけど確かにスケールのよりも光は明るく、眩しかったような気がする。
「君が使うこの治癒力…これはきっと最上級の力を誇るだろうね。そう、『ラルエンス ヒーリング』だ」
こんなところで堂々と治癒力を使った訳だが、大丈夫だろうか…
辺りを見渡してみる。人影は少ない。
なんだか体がさっきからおかしい。頭が重い。血の気が引いていくようなそんな気がした。
フラフラしてスケールにもたれかかってしまう。
「リトル…?大丈夫か…、少し休むか…?」
「う、うん」
「歩けるな?」
「うん」
「じゃあ、ゆっくりでいいからついてきて」
私はスケールの後ろに付いて歩いた。
✳︎
「ここだ」
スケールは何もないところで立ち止まった。静かな場所だ。
「ここなら誰にも見られないよ。今はこの公園の中、木の向こうを拠点にしている。公園といっても本当に誰も来ないようなとこなんだ」
私は拠点としている場所に辿り着いた瞬間、気づいたらその場に座り込んでいた。
脈拍が無意識に上がっていて、走ってもいないのにハァハァと息が上がる。自分でもはっきり分かるぐらいドクドクと脈打つ音が聞こえる。
「大丈夫かリトル」
「……………………」
大丈夫と言う言葉が口から出せなかった。
まだ会って数時間しか経っていない。何度も心配されたくない。
「ごめん、スケール、なんか、私………」
声が途切れてしまうほど酷く息切れが続く。
「………治癒力不足だな……私達の体だけに現れる典型的な症状だ。俺に会う前に研究所で抜かれているの知ってたのに、俺の傷まで治させちゃってごめんな」
スケールだって同じ状況のはずなのに、なんだか自分がすごく情け無く感じた。
「こちらこそごめん、さっきから、心配かけてばっかりで…………」
「謝らなくていいから」
スケールは私の腕に手を置いてヒーリングをかけてくれた。徐々に体の感覚が元に戻っていく。
「なんてお礼すれば……私スケールがいなかったら死んでた………かも」
「まったく大袈裟だな………このぐらい仲間なんだから当たり前でしょ?」
えへへ…と軽く笑みを浮かべるスケールの顔にはやはりどこか悲しみが隠れている気がした。
それでもその声は明るく、感情も私よりしっかりしている。本当に同じ施設にいたのかというぐらいに。
「スケールも研究所に居たんだよね?」
「そうだね……その頃の俺はどうだったかな……感情というものはどこか遠くに置いてしまっていたし、研究員の行為のせいで段々話しづらくなっていった」
会ったことあるはずなのに、お互い知らないのは一緒に話をしたことが無かったからか。
「今も研究所に通っているの?」
軽々しく聞いたつもりだったが、空気は一瞬で重くなった。
スケールは首を横に振って、視線を落とした。
「…………ずっと前に逃げ出してきた」
「逃げ出した……?そんなこと、できないはずじゃ…」
スケールは再び首に巻かれたリボンに手を触れる。
そのリボンはよくよく見ると傷だらけだった。
「これはもうあまり機能していない。俺はあの束縛から逃げ出すためにこれの監視機能を壊した。家に帰りたかった。だからこっそりこれを壊して逃げたんだ。でも……」
「でも…?」
スケールは力いっぱいその首飾りを握り締めた。
「もう、親も家族も家も俺のそばから消えていたっ…………!俺は帰る場所を失った。この首飾りを壊したことが知られればもう研究所には戻れない…だから一人ここを彷徨っていた」
「…………え…そ、そんな……」
そういえば、私の両親も最近はまったく顔を見ていない。私もスケールと同じようにもうすでに孤児になっている可能性は十分ある。
……だとしたら研究所にいた方がある意味安全なのかもしれない。
「…………それでさ、リトル、俺と一緒についてきてくれないか?」
本当はそうしたい。
でも、私は研究所に戻らなければならない。ここで逃げ出して、一人で隠れるように過ごして、戻った時にまた酷い扱いをされるよりはまだマシな気がする。
最悪殺されるかもしれないし。
「…………ごめん、私は、戻らなきゃ」
「そっか………」
目を伏せるスケールの瞳は小刻みに震えている。
せっかく出会った同じ力を持つ仲間を置いて自分だけ戻るというのもなんだか悪い気がする。
でも、やっぱり私は戻らないと………
不意にスケールは顔を上げる。泣き笑いのような顔で私を見つめる。
「途中までついていってもいいか?見送っていくよ」
「うん……ありがとう」
私達は元きた道を辿って戻る。せっかく出会った仲間を置いてでも私は研究所に戻らなければならないから………
作品をお読みいただきありがとうございます。
この作品は私のデビュー作(第1作目)になります。
ブックマーク・評価等していただけると大変励みになります。良ければよろしくお願いいたします。
また、この作品はダークファンタジーであり、残酷描写もそこそこありますので注意して読んでいただけると幸いです。