5 凛、日常が崩れる音を聞く。
先ほど来たばかりだというのに、唯はもう帰り支度を始めていた。
「私、これからは奏山先生の授業にはできるだけ出るようにするわ。それから先生、やっぱり連絡事項はメールじゃなく、プリントで私に直接渡してくれる?」
「……え、はい、分かりました」
よく分からないけど、魔法少女になりたかった奏山先生が唯の何かを刺激してしまったらしい。
言葉通り唯は、先生の現代文と古文の授業には必ずと言っていいほど出席するようになった。しかも、授業中はスマホもいじらず真面目に、というより穴が開くほど先生を見つめている。
「いったい何が唯にそこまでさせるの?」
「一言で言うなら、尊さ、かしら」
今は学校のお昼休み。スーツ姿の唯はどこか遠くを見ながら呟いた。
どうやら今日は仕事を途中で抜け出してきたみたい。
その彼女は私からすすっと距離を取る。
「凛! どうして教室で焼きそば食べてるのよ! 服に香ばしいソースの匂いが移る!」
「だって、食べたかったんだからしょうがないじゃない」
私は湯切りの済んだカップ焼きそばに添付のソースを投入。わり箸でぐるぐるとかきまぜる。
この瞬間、すごく匂いが立つよね。
唯から悲鳴が上がった。彼女は「皆どうして平気なの!」と周囲を見回す。
クラスメイト達は慣れた様子で教室の窓を開けてくれていた。
「咲良さん、頻繁にそれ食べてるから」
「とんこつラーメンも好きよね」
うん、好き。
呆れ顔で唯が向かいの席に戻ってくる。
「外か学食で食べなさいよ……。凛って、欲望に忠実よね。やりたい放題してるのはあんたよ」
「お互いさまでしょ」
こんな感じで唯はよく登校してくるようになり、私も彼女と一緒にいる時間が増えていった。
それに伴って、なぜかまた右眼がシパシパするように。
もうすぐ診断で言われた一か月になるのに、どうしてだろう?
そもそもこれって、本当に魔障なのかな?
まさか、本物の魔眼が……?
もしそうなら嫌だな……。
私はもう以前のように、高ランクの戦闘魔法が発現したら、なんて思わなくなった。
唯の話を聞いてから意識的にダンジョン関連の情報を見るようになり、現実を知ったからだ。
中には民間会社から流出したダンジョン内部、つまり異世界の映像もあった。通常の動物ではありえない大きさの異形の怪物達。
魔法が使えたならあんな魔獣も怖くなくなる? そんなはずない。
映像は流出したものなので、ニュースなどでは流せないシーンもしっかり映っていた。帰還できなかった人達の最期の表情から読み取れたものは、ただひたすらに後悔の念。
それから、ダンジョン出現直後の映像も見つかったけど、閲覧注意と書かれていたので見るのはやめた。あれは被害が大きかったから私もよく覚えている。
通勤時間帯の駅のホームに門が開き、百人以上が亡くなった。
私は今のままの日常が続くことを願わずにはいられない。
周辺では異世界の門なんて開くことなく、唯も広報活動ばかりしていて。その内、いつの間にかダンジョンは現れなくなって。
きっと大丈夫だ。
私の日常には何ら変化の兆しはない。
前の黒板では奏山先生が小さな体を精一杯使って現代文の授業を行っている。
隣には、その様子を微笑みながら愛でる唯。
いつも通りの光景だ。
ジ、ジジ、ジ、ジジジジ……。
何? 右眼の感じが今までと違う……?
まるで警告を発しているみたいな……。
引き寄せられるように振り向くと、唯との席の間に黒い点が浮かんでいた。
空間に、穴……?
ま! まさかっ!
答を導き出すより先に、黒い点は大きく広がった。
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